結婚特集
中村 順

 昨年秋から今年の春にかけて会員同士も含めて8組11人の会員が結婚されたり、これから結婚式を挙げられます。多分これは三峰山岳会始まって以来の出来事だと思います。
 結婚するのはそれぞれの理由があるでしょうし、こんなに多くの人が短期に結婚するのは偶然の一致にしても、お目出度くまた喜ばしいことです。結婚された二人がこれからも一緒に山に登られるよう、そして現在独身の人達も早く幸せな結婚をされることを祈って、この特集とします。

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 結婚された人、される人を紹介する前に概要を書くと、先ず会員同士が3組、元会員とが1組、外部の人とが4組です。男性6人、女性5人です。
 入会してから結婚までの期間でみると最長で6年、最短で数ヶ月で、会員外と結婚した人は長くても2年ということです。また会員同士の結婚でも、夫婦どちらか一方は入会して2年以内でした。同期の桜同士というのはなく逆に2年以上離れて先輩、後輩の間という関係が見られます。年令でも女性上位が2組なのも面白いところです。
 結婚のきっかけは予想に反して山へ行ってというのはほとんど無く、山岳会だからというより交際の機会と、とらえた方が正しいようです。だから夫婦二人だけで山へ行ったという例もほとんどなく、山で二人だけで何をしたかという質問でアンケートをとるアテが外れてがっかりです。
 こんなところが概要ですが、独身の会員諸氏の参考になりましたか。以下日付順に結婚された方、される方の紹介をします。( )内は旧姓です。

○1984年9月1日 岩崎 和人
 若いのになかなかの道具を持ちユニークなTシャツで頑張っていたが、ある日駅に見送りに来てくれて「これ僕の会社の同僚です」といって連れてきたのが今のカミサン。一つ上の女房だが、連れ立って例会山行にも参加する山好きな夫婦です。

○1984年9月15日 川森 毅
 三峰に入会した女性が皆、最初に川森氏の顔を見て、ハッ!とする程の美男子。ところがくやしいかな彼は会員外の女性と結婚されてしまいました。でも彼は結婚しても山にも積極的に参加され、相変わらずルームで新人の女性をハッ!とさせています。

○1984年11月2日 中村 順
          (比留間) 恭子
 人間30もいくつか過ぎて独身でいると、やたら周囲の口がうるさいし、結婚すると今度は10も年下の新人の女性会員の尻を追っかけ回し、と言って、いまだに承知しない。

○1985年1月26日 片岡 光子(麻生)
 三峰の元会員の片岡氏と結婚と聞いた時はみんなもびっくり、ミッちゃんも長い間頑張ってきましたが、これでメデタシ、メデタシ。

○1985年1月26日 曾我 真理子(近藤)
 つい先だって入会されたと思っていたら、髪型が変って「私、結婚しました」とのこと。山に理解ある御主人のようで、これからも山行に参加されるとのことです。皆様よろしく。

○1985年2月24日 植村 隆二
            (平野) 美智子
 三峰をグイグイ引っ張ってきた彼も、ついに会員の中から妻を引っ張ってきた。美しい人を捕まえる時はこうするのかと思う程表面に出ず、相変わらず山へ行っているのかと思っていたら電撃的に結婚していた。

○1985年4月14日 川又 康司
             古矢 幸江
 三峰のホープとして10代で入会してきた川又氏も今や同郷のよしみで古矢さんと結婚することになった。会員同士ではあるが山へ一緒に行ったから結婚を決めたのではなく、ルームの帰りが同じ方向といったところが決った理由ではないかと想像している。

○1985年6月2日 棚網 宏
 婚約者の前でも神妙な顔で例の調子でお酒をあおるのか見たいところ。いつぞや酒を飲んで婚約者の家へ電話して大騒ぎしたが、それでも見限らなかった婚約者は素晴らしい女性である。

◎これより各人の「ザンゲ話」を記載します。

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僕、淋しかったのです
川森 毅

 結婚して約6ヶ月、毎日これ平凡という日々です。だから結婚前と結婚後で良し悪しは別にして自分の生活環境には大して変化はないように感じられます。山に関して、強いて上げれば山行回数が減り、行ったとしても手短な山に変ったことぐらいです。
 ただうちのことに関しては、初めて鹿児島から見知らぬ東京に出てきて、知らない人ばかりのところで生活する戸惑いがあったことと思っています。三峰の中にも何人か知り合いも出来、それなりにスキーその他において鹿児島では決して経験できないことを経験させていただいたと思っています。
 今後とも、月並な言葉ですが"平凡な家庭を"また"二人そろって八ヶ岳へ"を目標にやっていきたいと自分一人で考えています。会員の皆様の良きサポートをお願いして今回はこれにて!

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ああ、それなのに
曾我 真理子

 結婚はまだまだ先のことと、まるで他人事のように考えていました。結婚が決った時、友人達はたいそう驚きましたが、一番驚いたのは我に返った私自身だったと思います。考え過ぎてしまって決断できないことのままある私は、どうしようかなのままで時を過ごしてしまいそうでしたから、三峰に入会してまだ日が浅いことですし、山行にも満足に参加できない状態でしたから、少し早すぎたと思わないでもありません。
「1ヶ月に2回は?」「それはあんまりだ」「じゃ2ヶ月に3回なら、どう?」「う~ん、まあ・・・」。
 これは結婚する前の二人の会話、せめてこの約束の回数ぐらい山行に参加できればいいんですけれどもねー。山で知り合った人でしたから、もう少し山行に寛大かと思ったのですが。失敗といえば、まあこれくらいのものでしょうか。あとは何とかやっていけそうです。これからも山行には行くつもりですから、皆さんよろしくお願いします。

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結婚について
中村 順

 他人の事を散々書いて、いざ自分のこととなるとまるでだらしないのが落ちである。
 ただ、結婚で思い出すのは播磨さんか、伊藤さんが、かつて「山へ女性と二人だけで行ったら決りだよ」と言ってたことがあるが、僕はその生まれて初めて女性と二人きりで山へ登り、その女性と結婚したまことにお目出度い人間である。人の出会いは偶然の積重ねの気がしますが、そのチャンスを大切にしていきたいと思います。
 このところ山の方がとんと御無沙汰していますが、先ずは二人だけの生活を楽しんでからと考えています。だからもう少ししたら、今度は外へと発展するためにも、昔のように重荷を背負って、テントの中で酒をグイグイと飲むこともやりたいと思っています。これからも夫婦共々よろしくお願いします。

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後の後悔先にたたず
中村 恭子

 何となく山渓を手にして何年が経ったでしょうか、東京に数ある山岳会、その中で「どうして三峰を選んだのかな」と自問自答する毎日です。三峰に入会して「これから山を歩きたい」と言っている私に、友人達は「誰かいい人見つけに入ったんじゃないの」と冗談半分で冷やかしました。その冗談が現実になり、わずか数回の山行しか参加できない状態での結婚。しかも相手は10歳も年の違う人です。色々悔いはありますが、人の縁とは本当に不思議なものだと思います。
 今までは、共稼ぎのこともあり毎日時間に追われる生活でしたが、これからは一応主婦専業のつもりです。うまく時間をやりくりしては夫婦で、時には新しい刺激を受けに皆さんと一緒に歩きたいと思います。小さい体で今は体力も乏しいけれど、"生涯登山"を目標に細く長く歩きたいと思います。よろしくお願いします。

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美女と野獣
川又 康司

 「二人の結婚について何でもいいから書いてくれないか」と編集よりの言葉、何でもいいと言われても何を書いて良いのかまったく見当がつかないが・・・・。
 先ず改めて発表します。この度私、同じ会員であります古矢幸江と結婚することになりました。播磨会長御夫妻のご媒酌により、4月14日(日曜日)に私と伊藤さんが生まれ育った茨城の中心地、大都会の勝田市で結婚式を挙げることになりました。
 私、三峰山岳会に入会し5年が経ち、その間色々な事がありましたが、その中で最も大きな出来事になったようです。今から2年程前、彼女が会に入ってきたのだが、その時の印象は殆どない。その後11月21日に夜行日帰りにて、私と勝部(久)と彼女の三人で裏妙義山へ行った。この時がじっくりと彼女を見た最初であったと思う。まだ勝部(久)さんは新婚ホヤホヤ(9月に結婚したばかり)で、二人で久美子さんのオノロケ話を聞かされながらの楽しい山行であった。小さな体ながら常に明るく頑張って歩いていた(しかし体力は無かった)。
 そしてこの二人が結婚することになったのだから本当に不思議なものだと思う。その後一緒の山行にはかなり行ったが、二人だけで行ったことは今まで一度もない。式も終り一段落すれば二人で行こうと考えている。
「結婚しても山に行くわよ」
「子供ができても山に行くわよ」
と自分の体力も考えないで言うのを聞くたびに、勝部氏と共に二人で子供の面倒を見ている姿が眼に浮かぶ。まあこんなことはないだろう、多分ないだろう。ないと思う。年に数回だけなら・・・。あきらめよう。
 私達二人は会員同士ということもあり、三峰山岳会とはこれからも永い付き合いになることと思う。まだまだ私も山に行きますので、改めてよろしくお願いします。

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とうとう、こうなりました
古矢 幸江

 三峰山岳に入会して早くも2年半になります。その間、多いときで月3回、平均月2回くらい山に入っていました。沢登り、冬山、岩登り訓練、きのこ採り・・・実に色々な山行をすることができました。基礎から指導していただき、会にはとても感謝しています。そしてまた、今回は三峰によって大きな人生の転機を迎えることになったのです。
 入会前は夏の北アルプスを小屋泊まりで縦走するのがせいぜいであった私には、シュラフや食料を持っての山行はいつもきついものでした。体力がなく(といって努力もしないのが悪いのですが)、バテてばかりいる私に川又さんは、個人装備を少なくすること、食料なども工夫することを具体的に教えてくれました。そして昨夏は励まされながら、会津の丸山岳から朝日岳まで歩くことができました。
 まだ二人だけの山行はありませんが、暖かくなったら行くつもりです。テントでセッセと夕食の仕度をしている時、「メシ、まだ?」などと言われて、フト毎日の延長のようで嫌になってしまうのか、その辺はまだよくわかりませんが・・・・。
 このところ何となく落ち着かず山には行っていません。いつも冬は山行回数が減っていたのですが、これからは以前より少なくなるかも知れません。大きな山行をしたいという気持ちもありませんが、山が好きなのでいつまでも細々と続けていくことになるでしょう。自分の興味のある山に、自分なりに計画を立てることを忘れずに・・・。そして会の皆さんともご一緒させて頂きたいと思いますので、今まで同様よろしくお願いいたします。

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棚網 宏

 入会して丸2年が過ぎました。実質的には、ほとんど山行にも参加せず幽霊会員の一人といったところなので、私の名前を見ても思い当たらない方が多いと思います。私自身、何故入会しているのか実はよく分からないのですが、一つ理由を挙げるとすれば、それはやはり自然が好きだからです。と言うのは嘘で酒が好きだからに一言に尽きます。山行の何倍もの回数を飲みに行っているのではないかと思います。山に行く人は酒好きが多いようですが、当会もその例に漏れずかなりその手の人が多いようですが、実に結構なことだと勝手に思っています。
 最後に山のことを少し書きます。私は趣味によって結ばれた口ではないので、今後はどうなるか分かりませんがやはり山は大好きなので、機会をみて参加できる山行には顔を出させて頂きたいと思っております。その時は、ぜひよろしくお願いします。

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山やの奥さん
植村 美智子

 知り合った頃、つまり私がまだ"植村さん"と呼んでいた頃、その植村さんなる人がよく言ってたことは、自分は本当はハイキングが好きなんだよ・・・そんな話。でも、私がいつも見ていたのは、ザイルを入れ、ヘルメットをぶーらん、ぶーらんさせたザックのうしろ姿。いつの頃からか"きつい""行きたくない"と出発直前まで連発し、ザックを背負った途端、ルンルンルンででかける。この人にとって"山"っていったい何なんだろう?なって思ったものでした。
 一緒に暮らすようになって1ヶ月、そろそろ山への思いが募り始めたようです。私といえばこの1ヶ月、いったい何をしてきたのでしょう。朝は6時30分に起き、朝ごはんを作り、ご主人様を送り出し、後片付けをして、自分の身仕度をして出勤、仕事、会社から帰って大慌てで夕食の買い物から始まり、夕食の仕度ができてほんの少しホッとして、ご主人様の帰りを待ち、二人で夕食を済ませ、食器を洗ってもう11時。毎日毎日、時間に追われていました。一日中、通勤電車の中から献立のことばっかり考えて頭の中では、いつもおかずの名前が飛び交っていました。始めて1~週間というものは、ただこれだけのことでもうヘトヘトでした。みんな、こんな生活しているんですね、私も頑張らなくちゃ。
 先日、うちのご主人様、久し振りに谷川に行ってきました。ほんとにもう、嬉しそうにウキウキして、目をランランと輝かせ、ご機嫌で山から帰ってきた顔を見て、ウフフ・・・あーあーです。

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二人のなれそめ、結婚にいたるまで
作者不明

 宇宙の広さを知ることがなくても、生命の神秘や歴史を知ることがなくっても、ここに川又クンと幸江さんの二つの生命の出会いがありました。今は幸福の絶頂にある二人にも暗く、苦しい日々がありました。
 遡ること半年前の山行の帰りの電車の中を想像してください。そこには口数の少ない、物静かな川又クンの姿があったのです。
「今年の正月は、家族そろって温泉でも行くかな」というおれの言葉に「温泉?温泉かあ、いいなあーっ。オレは正月どうなってんだっぺ」と深いため息ともに口を閉じる川又クンなのでした。
 その胸をよぎる思いはなんだったのか、幸江さんとの楽しい山行。そして両親の顔。厳格な家柄に生まれ、自分の将来を期待されていることを良く知っているのだ。だから、良家の子女を選ばなくてはならなかったのではないか・・・。両親が、がっかりするのではないか・・・。と気遣いつつ、一方に幸江さんの笑顔。
 初めての山行は裏妙義だった。勝部夫人を含む三人の山行だった。三人でNSPの歌を歌いながら帰ってきた。楽しかった。以来、「抱きしめたい」ほど愛しい人になってしまったのだ。パチンコで取った時計をプレゼントしたり、山行を幸江さんの好みに合わせたり、と愛の表現を試みてきたのだし、彼女は一度だってそれを拒んだことはなかったのだ。
 けれど、口数が多いことは気になっているようだ。自分でもわかっていることだけれど、これだけはどうにもならない。第一、しゃべることを辞めたら生きている意味がなくなってしまうではないか、言葉の洪水に慣れてもらうしかないのだ。それに最近では「話題を捜さなく済むから楽よ」と言っている。それ程気にすることでもないだろう。それに数日前の彼女との会話。生まれた家は広いお屋敷だったが、今はアパート住まいの身をあわれみながら「結婚したら庭付きの家に住みたいんだろう」と問えば「いいえ、私は今夜食べるごはんと、明日住む所があればいい」と答えたのだった。もはや、彼女との間を隔てるものは何もない、とその時は思ったのだった。故郷「茨城」の家のこと、両親のことをすっかり忘れていたのだ。彼女のことを話したら、どんな嵐が吹きまくることやら、それを思うと沈み言葉も出てこない。
 それにしても、会のみんなは少しもオレたちのことに気づいてないらしい。アブの大群から彼女を守ったのもオレ、白毛門で彼女が落としたザックを拾ってきたのもオレだった。もうデートだってしている。  ちえ子は「もうすぐ古矢さんの誕生日ね」「何をやろうかな」「指輪でもやったら」こんな話もしているのに分ってないらしい。
 委員会でもそうだった。「古矢さんは仕事を辞めて、結婚するらしい」というウワサをしているので「オレがもらってやるんだよ」と言っても、誰も信じない。いつもアパートまで送っていることを知らないのか!。もっと、やんなるのは竹次郎さんだ。彼女を送るついでに竹次郎さんを送ったのはいいとして、車を降りる時になって「大丈夫かおい、彼女の方を先に送った方がいいんじゃないか」としきりに彼女の身を案じている。まいっちゃうよ。
 みっちゃんは、そうじゃなかったな。救助訓練の帰りに、鎌倉の海へ遊びに行った時のことだ。波とたわむれるオレたちを見て、「二人はお似合いね」と言ったんだ。おだやかな海面、まっすぐにのびる水平線、沈みかける夕日、赤く染まる幸江さん。などなど思案をめぐらし、電車にゆられる日々もあったとか。
 しかし、目出度くも嵐は吹かず"曇のち晴れ"程度で解決。お正月は快晴の蝶ヶ岳に二人そろって登ったのでした。
※尚、この物語は全てフィクションであり、実在の人物とはあまり関係のないこと、ご了承ください。


岩つばめ 253号 目次