天下茶屋 黒岳 破風山
石田 淑子

山行日 1991年2月3日
メンバー (L)阿部、大久保、服部、石田、他1名

 いつか訪ねてみたいと思っていても、心の隅では絶対に行く事はないだろうと思えてならない場所があるものだ。遠い昔から行く事は望んでいるのに・・・・・・私にとって、ここ御坂峠の天下茶屋がそんな所だった。私の少女時代の時間を多く費やさせた小説家の大宰治のゆかりの地であるというだけの事なのだが、囚に、太宰は昭和13年初秋に滞在中の井伏鱒二を訪れ彼の許しを得てこの茶屋に投宿し、11月初旬までここで執筆していた。太宰に言わせると、ここからの富士はあまりにおあつらえ向きで、一目見て狼狽し赤面しどうにも註文通りの富士で恥ずかしくてならなかったそうなのだが、私も来てしまって恥ずかしくなると困るから「いつか、いつか」と来る日を何十年と延ばしていたのかもしれない。ここでの生活を書いた彼の小説『富獄百景』は、一般的太宰観を払拭するさわやかさと真面目さに満ちた一編だ。あえて私は珠玉と言いたい。この思いもザック中にそっと入れて山にむかった。リーダーの阿部さんに訳を話してルート変更をお願いしたら、この茶屋の前までタクシーが入るとの事で、ここまでは歩くことなく来てしまった。天侯はリーダーの人格を反映し穏やかに晴れわたり、風もなく、おあつらえ向きの富士山はゆったりと坐っていた。茶屋は閉じられ、旅人の姿もなく、白く光った富士のみが、多分昭和13年と同じ姿で在った。スパッツを付けまるで市街の公園のように綺麗に作られたまだ新しい石段を御坂山へと歩き出す。途中太宰の文学碑があるのをやり過しそうになって大久保君に呼びとめられる。"富士には月見草がよく似合ふ"ちょっとセンチになってしまう。登山道に出ると雪がかなりあって手袋をしないと手が令たい。鼻水も出て来る。そして富士はどこにいても皆を眺めている。「まるで風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ」等々太宰の言葉を思い出しながら歩いていると御坂山山頂に出る。軽く一本取って黒岳に向かう。前方を指して大久保君「あれが黒岳だよ」服部さん「黒いもんな」石田無言(そうかな、枯木色だな)。だらだら道を登ったり下ったりしているうちに黒岳ピーク到着。そう・・・・・・、登頂という感じがしなかったのだ。ここで昼食を取りゆっくりしていると、リーダーが熱い珈琲をたてて皆を喜こばせてくれる。暖かくて眠くなってしまう。ゆっくり休んで破風山へ。30分位で着いてしまった。地図に眺望よしと書かれてある通りここからの眺めも・・・・・・であった。ここから見付峠まで15分。ここより大石村へと下山した。日帰り山行の割には時間的余裕があり、登りもきつくなく、とても良いルートだと思った。

<コースタイム>
天下茶屋10:30発→稜線出合11:25~35→御坂山12:05~20→黒岳13:05~14:05→破風山14:40~50→見付峠15:00~10→林道出合15:40→バス停16:20

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岩つばめ 275号 目次