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二月の鳳凰三山
渡辺 武夫

山行日 1962年2月24日~26日
メンバー 渡辺、山本(敬)

2月24日 曇
 汽車の動揺で目が覚めた時は、韮崎を過ぎて新府も近くなった頃だった。いつの間にか座席の下へ潜り込んだ相棒の山本を起こして下車の準備をする。夏ならば駒、鳳凰の雄姿が線路の向こうに見える穴山の駅もまだ陽が昇らずぼんやりと待合室の灯がついている。目が覚めないのと夜が明けないのとで、なかなかファイトが湧かない。どうせ今日は御座石までなのでゆっくりと夜明けを待つことに決める。
 駅長室のストーブにあたりながら1時間もすると明るくなり始めた。しかし、天気はあまり良くない。もう4度目の平川峠越えであるがどうした訳か峠道を間違えてしまった。古枯れの峠路付近を2、30分うろうろしてやっと小武川へと下って朝食を摂った。
 30分ばかりの朝食を終わって曇空の小武川を歩き始めて20分。そこに昨年と一変したものを見つけた。川の右側に十数軒の人夫小屋が建ち、川の中央には長々と堰堤が作られ、対岸の山から山へ資材運搬のケーブルが走り、右側の中腹へトロッコが走っている。あまりの変わりように目を見張ってしまった。後で判ったことだが堰堤工事と小武川沿いに道路を作る工事ということである。
 ケーブルの音に削岩機の音を聞きながら小1時間も行くと、うるさいほどに御座石鉱泉入口と書かれた所へ着き、落ち葉と冬枯れで真赤になった木々の道を鉱泉へ向かう。鳳凰登山道が家の土間を通っている鉱泉へ着いたのが10時近くであった。鉱泉の人に雪の状態を聞いたが、1月中旬以降入っていないのではっきりとしたことが判らないと言う。生憎天幕を持ってこないので計画通り鉱泉泊りとした。まだ昼前なので白樺林へ行って時間を潰す。

2月25日 曇
 昨晩寝る前に風呂に入ったので、ぐっすりと眠れ山本に起こされたのが5時近くであった。天気は今日も思わしくない。出発の準備をして1時間の後、鉱泉の裏から急坂を登り始めた頃はもう薄明かりが射してランタンの光も無用になっていた。
 急登に喘いで1ピッチ、精進ノ滝の分岐西ノ平へ着く。ここからがこのコース中最もきつい燕頭山への登りである。昨年の夏、山いちごを食いながら歩いた北岳行の時を思い出しながら急登を続けて1ピッチ、やっと雪が現れ始めた。昨日まではラッセルの心配をしていたが今日は雪があるのか心配になってきた。1,800m辺りと思われる頃から雪が現れ、滑るのでアイゼンを履く。それから1時間、熊笹の燕頭山へ着き昼食を摂る。
 ここからは大した登りもないのでゆっくりと休む。積雪は40cm。小沢のトラバースを2、3回繰り返すと鳳凰小屋も間近い。相変わらずの曇空から小雪が舞い始めたが、明日の天気もあまり期待できないので、小屋へザックを置き三山の往復に向かった。トレースのある森林帯の登りをしばらく続けると雪の全く付いていない賽の河原へ着き、地蔵のオベリスクの直下へ着く。風が駒方向から強く吹き付け、曇空の下にぼんやりと駒、アサヨ峰、仙丈が姿を現している。稜線上の雪はあまりなくクラストしている所もない、小雪が降ってきた稜線を観音岳へ向かった。

2月26日 小雨
 昨晩から2、30cmの降雪でトレースがすっかり消えてしまい、まだ雪が降っている。今日晴れていればもう一度三山往復をするつもりであったが諦めて下山の準備にかかる。そうこうする中、ガスが切れ青空が空いっぱいに広がってきた。もうじっとしていられない。山本と相談して地蔵だけ往復することに決める。
 昨晩の降雪でトレースの消えた森林帯の道を辿った。しかし、稜線へ出てがっかりしてしまった。上空は青く晴れているが駒方面はガスがいっぱいに山々を包んでその一片も見せなかった。山本が雪に潜りながらアカヌケ沢の頭まで行ったが何も見えなかったらしい。昨日簡単に通った小沢のトラバース地点も降雪のため腰まで潜ってしまい、思ったより時間をかけてしまった。
 燕頭山で昼食を摂り、また雪の降り始めた急坂を下り、2ピッチ目で鉱泉に着く。汽車の時間に間があるので炬燵へ潜り込み、1時間ばかり話し込んでしまった。鉱泉の人にまた来ることを約して雪が降ってきた道を穴山へ下った。

〈コースタイム〉
2/24 穴山駅(4:22~5:45) → 小武川(7:25~8:25) → 御座石鉱泉(9:50)
2/25 御座石鉱泉(5:50) → 西ノ平(6:40) → 燕頭山(9:50) → 鳳凰小屋(12:25)
2/26 鳳凰小屋(10:10) → 燕頭山(11:55~12:25) → 御座石鉱泉(14:05~15:15) → 平川峠入口(16:25~16:35) → 平川峠(16:45) → 穴山橋バス停(17:30)


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