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八ヶ岳地獄谷より権現岳へ 1回目
山越 勲

山行日 1962年1月14日~15日
メンバー (L)山越、小島(作)、山本(敬)、渡部

1月14日 快晴
 清里より清泉寮を経て地獄谷に入る。雲一つなく奥壁が朝日に輝いて美しい。河原の凸凹が深雪に隠れ、悪戦苦闘3時間の末BC予定地、赤岳沢出合左岸の岩小舎に入る。昼食後、権現沢左俣の偵察とラッセルに出発。ゴルジュまで行って引き返す。

1月15日 快晴
 すっかり夜が明けてから出発。昨日の踏み跡を辿り、ゴルジュは右手よりトラバースして越す。埋まり切っていない滝が二つ現われるが何れも左岸より高捲く。段々傾斜が急になりラッセルもきつい。やがて大きく左折して大滝が姿を現す。高さ約30m、沢幅いっぱいのブルーアイスで全然手が出ない。ルートに予定していた左岸のルンゼも第一のスラブ滝が埋まっていないので登れず。大滝右側の草付が一寸登れそうだが、大滝の手前にある滝は上部1mほどがハング気気味で登れず、ルートを断たれる。あっちこっち試みるが何れもだめだ。遂に引き返しを決意する。残念だ。岩小舎に戻って荷をまとめ清里に向かう。

八ヶ岳地獄谷より権現岳へ 2回目
山越 勲

山行日 1962年4月8日~9日
メンバー (L)山越、山本(敬)

4月8日 曇、ガス
 稜線付近はガスでどんよりした天気だ。気温も高い。ゴルジュを通過してから少し行くと物凄いデブリが沢幅いっぱいにせり出している。状態からしてつい最近落ちたものだ。狭い沢の中なので一発出れば全て終わりだ。大滝の手前の滝はアイスフォールになっており、右手チムニー状をカッティングで登る。大滝は登れないので左岸の草付きを1ピッチ半で尾根に出て反対側のルンゼを下る。このルンゼには前記アイスフォールの下に出合っており、我々がルートに予定していたものだ。出合付近は貧弱だが、奥に行くに従って深い。傾斜も急だ。1ヶ所ハーケンを使う。やがて右に直角に曲がり我々は左の支流にルートを取る。本流はそのままバットレスの正面に突き上げているらしい。ひと頑張りで尾根に出る。
 ガスでよく判らないが左の沢は深く切れて左俣本流らしい。予定ルートのバットレス左カンテに連なる尾根に出たのだ。少し行くとナイフリッジになる。小さな雪庇が右側に出ている。傾斜も急で這松に掴まって登る。
 1mほどの岩峰を左からトラバースすると、ガスの晴れ間にバットレスが圧倒的な姿を現した。少し登って基部に達する。左カンテがガスに消えている。そのまま登って今日中に稜線に出ることは可能と思われたが、下部のアルバイトで疲れているので慎重を期してビバークと決す。雪を均してツェルトを被る。推定高度2,600m。

4月9日 曇、ガス
 待ちに待った朝が来た、上部は晴れで姿の良い赤岳が望まれる。眼の前のバットレス正面は下半部がハング気味で登るとすれば相当な困難を伴うようだ。
 6時半出発。取付きから10mほどは草付きを登ってテラスに出る。ここでアンザイレン、2ピッチ半約70mでバットレスの頭に達する。この登りは完全な岩場で下半は浮石多く、しかも権現沢まで切れ落ちた素晴らしい高度感に緊張する。
 岩場の頭からわずかで権現岳最高点に到着、ガスで展望はない。帰路は小淵沢に下った。

〈コースタイム〉
4/8 清里駅(6:30) → 真教寺尾根分岐(7:40~7:45) → 地獄谷(8:25~8:40) → 赤岳沢出合(9:30) → ゴルジュ(11:15) → バットレス左稜(15:15) → バットレス基部(16:15)
4/9 バットレス基部(6:30) → 権現岳(7:40~8:05) → 青年小屋(8:55~9:30) → 小淵沢駅(12:15)

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