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剣山
別所 三郎

山行日 1962年8月16日
メンバー (L)別所、溝越、渡辺

 去る6日に多数の男女に見送られ四国への旅に三人が出発してから10日過ぎ待望の信仰と伝説の山「剣山」に登った。この山は徳島県を東西に走る山脈の盟主である。この山名の由来は源平の昔、平国盛が安徳天皇を奉じ武運長久を祈り剣を納めたところからこの名前が生まれた。別に山の形から来たのではない。「これから行く人のために念のため」また山頂付近にはソロモン王が宝物を埋めたという伝説があり最近まで何人かの人々が神のお告げと称して掘ったという信仰と伝説が結びついた嘘みたいな話がある。これらを胸深く秘めて期待と闘志をもってバスに乗り込んだが、バス代300円を乏しい乏しい財布から持っていかれ完全に出ばなをくじかれ前途を真黒に追いやったそのバスが登山口に着いた。そこからは急な登りが続き2~30分登り詰めると立派な神社が現れ、これからの無事を祈り、今までの続きの展望の悪い急な登りを追分という分岐点に着いた。ここで一息入れ尾根へと向かったが、せっかく尾根に出ても勉強不足で付近の山々がさっぱり判らず眺めるに過ぎない。
 そんな所を歩きながら最初のピーク「一の森」に着いた。しかしこの時には腹がペコペコで腹が減っては戦ができぬとばかりにヒュッテに飛び込んでメシを無我夢中で胃袋の奥深くへと詰め込んだ。ここで偶然にもヒュッテのおばさんが昔、東京に居たというので昔話に花が咲き東京に耳を傾けているうちに1時間余りも過ぎ、後ろ髪を引かれる思いであったが別れを告げ一路頂上を目指した。30分余りで標高1955mの頂上に立った。天候が悪く展望は良くなくまたさほど見るべき山もなかった、山頂には測候所がありその北側には剣を納めたという宝蔵石伝説を物語っていた。また山頂小屋に寄ると地元の山岳会より記念のペナントが贈られる、そのペナントを手に持ち勇躍としてバスの停留所に飛鳥の如く下った。途中歩くたびごとに蛇やトカゲがごそごそ動いていたが、さすがの彼等も我々の顔を見て恥ずかしいのか皆遠くから歓迎してくれただけでその顔をめったに見せなかった。

〈コースタイム〉
登山口(9:40) → 追分(11:15) → 一の森(11:50~12:20) → 二の森(12:35) → 山頂(12:50~13:03) → 名項(15:04)


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