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谷川岳上越国境稜線
井上 貞雄

メンバー 井上

第1日目
 谷川岳に登る場合、何処から入山してもそうであるが、先ず深い樹林帯を通らなくてはならない。第1日の目的地、肩の小屋へは夕刻までに到着すればよいことに予定し、中型キスリングにはカメラ、自炊道具、燃料、食料それに油絵具一式など余計な物も含めて計47.5キロ。前半の急登高に相当バテることを覚悟した。夜行列車で眠れぬまま新潟県土樽駅に5:20着、今回は久方振りに越後側から入山した。
 清水トンネル入口で右折、ほぼ蓬沢沿いにススキの原を行き、間もなく蓬峠への道と分かれて丸木橋を渡ると暗く不気味な感じの道である。展望は利かず単調で苦しい急登行が延々と続く。ぐんぐん高度を稼ぎ振り返ると土樽駅が眼下の樹林の間に覗かせ高く登った実感が湧く。だが出発してから苦しい2時間、意欲的健闘も空しく47.5キロにグロッキーとなり遂にダウン、キスリングを枕に高鼾となった。目が覚めたのが2時間後、ピッチを上げて辛い急登が暫く続いた。大木の尽きる頃、道はどうやら尾根らしくなり石楠花群に花のないが心惜しい。気が付くと濃霧が次第に身の回りを覆いいささか不安気味。幾つもの峰を越え突き上げた山頂が矢場の頭。ここで初めて登山者と出遭った。眺望を期待して来たものの見渡す限り深いガスに視界ゼロ、まったく遺憾至極である。
 茂倉岳へは登り下りの尾根歩きで快適だ。二回ほど太陽が顔を出したが、いずれも挨拶程度すぐに引っ込める。途中「水場有り」の道標に50mくらい熊笹の道を下るとたらりたらりと雀の涙だった。
 再出発した頃、茂倉沢側の風が強くなり、煙状のガスは異常に流れる。時折ガスの切れ間から見せる緑の傾斜面には環境の良さがあり新鮮な色彩は自然美に相応しい。だがその感激も束の間、あっという間にガスに隠れ視界は閉ざされてしまう。左に避難小屋跡を見送れば次の峰が待望の茂倉岳山頂である。
 一ノ倉岳へはマラソンアタックである。空が真暗になったからだ。風向きが変わって右の万太郎谷側から吹いてくる。悪天候を予想すれば案の定、山は娘心と相成った。15分後に一ノ倉岳に立ったが既に全身びっしょり、物凄い集中豪雨に見舞われた。新しい二つの遭難碑に冥福を祈り一ノ倉岳を降りる頃には強風に変わり雨後の道は滑ること夥しい。気温14度で少々寒い。背の低い樹林を縫って岩場が出現した頃、風が凪いでガスが深い。時々景観を望ませるのが楽しみの一つだ。通称ノゾキと呼ばれる岩稜から急峻な一ノ倉沢の岩壁が見える筈なのだが、生憎巻立つガスに見ることできずガッカリ。歩き出した頃、ガスの中らコールサイン。返答すれば二人のクライマーが一ノ倉本谷からザイルを手にして現れた。一人は負傷しており、自然落に石遭ったと言う。
 オキの耳までの約30分くらいガスってはいたが無風状態となり静かになった。オキを降りてトマの耳に向かう頃、強風雨は再び横殴りに吹き付け悪戦苦闘となった。鞍部からトマの耳(谷川岳頂上三角点1963.2m)へ最後の登りは熊笹をもってアタック、誰もいない頂上から肩の広場を迷わずに無事肩の小屋へと到着、ハンゴーの飯にありついた。5時半頃シュラフに入ったが番人の不親切に皆非難していた。
 6時頃「天気よくなったぞ」と言う声に、皆小屋を出ると赤い夕陽が素晴らしい。オジカ沢の頭、万太郎山、平標山へと国境稜線はもとより遠く苗場山、北アルプス、後立山連峰までが晩照のオレンジにくっきりと描き出されているではないか。昼間の悪天候は嘘のようだ。闇の東の空とは対照に西の空は光明の美景となり我々は惜しみなく鑑賞満喫した。

第2日目
 起床は早朝4時、荷造りして出発用意。万太郎山からどっちへ向かうか、先ずは天気を確かめるために表に出る。生憎ガスだ。冷たい雨が降っている。「期待は裏切られたか」変わり易いは娘心と山の天気、成程文字通り千変万化の気象だ。
 耳口不自由な四人のパーティが「中ゴー尾根を下降したいが未知が判らない」ということで同情、小生道案内を買って出た。小屋を出ると物凄いガスにどこに降口があるか判らない。稜線を一行五人は並んで歩き出したが一番最後の人が濃霧で見えず行動は慎重だ。四人のうちしゃべれる男性が一人、聞くことのできる女性が一人、他の二人(男女)は共に耳口不自由といった気の毒な方達、リーダーはしゃべる者、サブリーダーが有耳の女子。中に二人を入れてパーティは中正に編成されている。歩き出して約15分、中ゴー尾根の分岐点に着く。「ここが中ゴー尾根です」と教えると、リーダーが全員に手まね口まねでスムーズな連絡。四人は大いに感謝してすず熊笹に道を降りて行った。
 小生がオジカ沢の頭に登り始めた頃、冷雨がひどくなり曇天の空を見て回復の見込みなし、ガスは終始視界を閉ざし風雨は下から吹き上げてくる。こうなると単独の稜線歩きは少々心細い。期待した緑の景を望めることなく、オジカ沢の頭にて引き返すことに決心。3時間後に肩の小屋で濡れた衣類を取り替えた。
 お茶を飲んでいるとさっきの四人が戻ってきたので驚いた。天気が悪いので小屋に戻ろうとしたら道を間違って稜線をオジカ沢の頭に向かって歩いていたと言う。小屋泊した奴らはまだのんびりしており、予定を変更したと言う。小生は三角点に登り空模様を判断したが、雲の厚いのと展望の利かないのに直接下山に決め、8時頃西黒尾根を降り始めた。ガスの中から幾人ものハイカーが登ってくる。一枚岩のスラブ「氷河の爪痕」では苦心して登る若いハイカーを高みの見物、何枚かのシャッターを切った。
 憬雪小屋を過ぎた頃、太陽が頭上から照りつけ暑さが加わる。ラクダの背でシンセン岩峰をスケッチしたが、油絵具は使わずのまま樹林帯に突入した頃、登山者は少なくなり全く静かだ。孤独を愛して下降山を続け静寂の山道とでも言いたかったが途中、腕くらいの太い大蛇に出遭って肝を冷やした。以後快調なペースで土合に下山、湯桧曽温泉で汗を流し水上駅まではバスを利用して無事帰京した。


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