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随想
川村 悠

 梅の花が荒廃した土塀の内に春の日を浴びその桃色なる、また白なる花びらを銀色に輝かせています。そしてその後方には、白き冬の心を抱いた山々がブルーの空を貫いて重々しく座している姿は、やはり山という無限の存在を自然の心の如く神に見せている姿と言えましょう。
 アルピニストはその中で空白の世界に蝶の如く舞いながら、黒きまた白き眉にも似た心でありながら悲運の友の如くその灰色の壁と黒き土に足をつき、また手を触れてゆくのです。心に流れる血液の一滴一滴とハンマーに力を加えてその自然の心に偉大でかつ悲哀の入りたる美しき詩を歌ってゆくのですね。
 しかし、私は岩の心に美しい詩を歌うことはできません。私には岩の灰色な心に顔を触れることはできないのです。不思議ではありません。私は岩壁に登ることは不可能だからです。何故ならアルピニストが詩を歌う山は野生の心でなければならないからです。しかし、山は物体化した動物の醜態でもあります。
 ハイカーが山を歩き、ブルーの空を心に感じ、また泉の如く出ずる歌を口に出しながら黒き大地を大きく、また小さく歩む時、人間は童心に帰り海にも似たふるさとを思うでしょう。沢を行く時、ハイカーは白き指先より赤を生み、その血液の流れに詩人は驚嘆の叫びを静寂と冷水の渓山の中に歌うのですね。ハイカーは反抗し、愛し、自由と山と共に眠るかの如く再び山を愛するのです。ハイカーがまたアルピニストが人間である限り山は反抗し、悲嘆し、悲運の心で我々を愛するのです。女はこの山の心を神と叫び、男はこの心を無限と叫ぶ時、全てのハイカーとアルピニストは真昼の星(バルガックより)をブルーの空の奥に見出すでありましょう。
 私は重き、また苦しき壁を登っています。大学入試という花の命の如き頂を目的として私はいつも登っているのです。岩壁の詩を私は会の皆さんのために一筆書かせてください。それは決して岩壁の詩ではなくとも大きい心の壁であります。蝶が春に美しい花を求めて出ずるように私もまた花の咲く頃、会の皆さんと話せると思います。大学入試が終わったら私も山へ行き心を舞わせることでしょう。去年の中旬から全く山へは行きませんが、これも勉学の故、研究のため仕方がなく思っています。会の人々はお元気のことと思いますが、時々雪の舞うこの東京で白き建物を見つめながら心の中にその気持ちが晴れます。元日には横田さんからハガキをいただき、山の友の鉄の鎖の如き強い友情には新たに熱いものを感じました。ここに入れた二編の詩を会の皆さんに感じていただき、冬の間の冷たき血液に暖を入れていただけたら幸いと思います。

シルエット
黒き土はこころのふるさと
春山に入り
夕日に輝く
白き心の山々
人は黒き
シルエットなり
苦闘して
心、山に消滅す
もだえ、うめき、苦しみ
雪融けの水を飲み込み
歌と冷水に流す
水は山のヘルメスにして
黒き土は心のふるさと
ヒサシ

遠き女
遠き女に山の心がある
霧の中の苦悩のように
花は感じない
ただ女は想い出なのだ
マドレーヌ!
と叫んでも
応えようはずもない
フランス女ではないのだ
苦悩を知り
米の味を知り
麦の味を知った女
赤子に
白き乳を飲ませ
重い荷を背にして
ただ無言で歩く女
霧の中の苦悩のように
遠き女に
思い出がある
ヒサシ


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