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小金沢連嶺
渡辺 靖彦

山行日 1963年7月7日
メンバー (L)渡辺、播磨

 天候が定まらないというのに新宿駅は山ヤで溢れており、二人の三峰の会員もご多分に漏れず混じっていたが座れそうになく、中野発の臨時に乗ることとし中野に向かう。
 ここも新宿程ではないが人が出ていた。『昔々、登山者という、夏になるとテントを担いで山に行く変な人種がいた、云々』という歌があるが、今やこの変な人種がこぼれんばかりにホームを埋めており、我々は変な人種と共に車中の人なった。
 塩山でバスに乗り換え、空が闇から目覚めてゆく中を裂石に向かった。裂石で腹ごしらえをして大勢のハイカーに混じって上日川峠へ、前も後も人人...まったく嫌になる、その上千石茶屋までの道は後からオートバイが来るほど広い道で一層山の情緒を壊すが、これも上日川峠までで大菩薩館に向かう辺りからはあまり人も入っておらず、山の気分を味わうことが出来た。館で再び食事をして石丸峠へ登る。今までとは打って変わり気持ちの悪いくらい静かで、並行してガスも加わって来た。
 峠に着いた時にはガスで何も見えず。あたかも美男子(二人)に顔を見られるのに恥じらいを感じて、姿を霧のベールの中に隠してしまい、我々に歩くことを強調しているかの如く思われた。峠から少し歩くと狼平という明るく美しい草原に出る。狼のように横になりたい気分になったが濡れていたので、止む無く歩を進める歩を進めるとやがて木の根の蔓る歩きづらい道となり、一休みしたくなる頃、小金沢山の三角点に着いた。ガスも上がり奥秩父の金峰山等が顔を見せ元気づけてくれたので、一気に雁ヶ腹摺山に登った。この山はこの縦走路の中で最も展望が利き、正面に笠雲で顔を隠した富士や更に秩父、南アと様々な山が疲れを癒やしてくれ、その上美しい女性も姿を久し振りに見せて我々を元気づけた。
 この勢いをもって黒だけに向かったが、何せ倒木の連続でアゴを出してしまい、山頂に着くと二人とも30分ばかり別世界を彷徨い歩いていたが、再び元の世界に戻され湯ノ沢峠へと下った。大蔵高丸を横目で見て、今までと趣の変わった沢伝いに、あるいは何の変哲もない木馬道を我が家目指し黙々と歩き続け、やっとの思いで日川林道の車道に出た。その時タイミングよく後からダンプカーが来て、我々は素早く便乗して景徳院のバス停に向かった、この間のバテたこと山歩き以上であった。

〈コースタイム〉
裂石(4:30) → 石丸峠(7:50) → 小金沢山(8:30) → 雁ヶ腹摺山(9:30) → 黒岳(10:40) → 湯ノ沢峠(11:40) → 景徳院(13:00)


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