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全山縦走
牧野 盛治

山行日 1963年7月12日~22日
メンバー 牧野、溝越、別所

7月12日(曇のち雨)
 前夜23時45分新宿発で会の先輩達の盛大な見送りを受けて出発。韮崎でバスが接続しておらずトラックをチャーター。降りた地点からとんでもない道を教えられ、小雨降る中をしゃにむに登るも全員大バテ。結局、笹の平と黒戸山の中間に飛び出し安心したものの、足が重くやっとこさ五合目小屋に着く。

7月13日(晴)
 予定が狂ってしまったので今日は大変なアルバイト。天気も前日とは打って変わっての快晴、思い切り飛ばす。駒山頂での大観、昼食と昨日の苦労も忘れて楽しむ。北沢峠で第一隊と「モートー」を交わしながら別離。横田君を加えた強力メンバーで北沢を遡行。増水のため脚を度々濡らし、野呂川出合で渡渉できず右往左往して1時間ほど苦労し、岩をヘズルようにして進む。時間がかかり野呂川出合から2時間、小仙丈沢の出合地点でビバーク。満天の星空の下で話に花が咲く。

7月14日(晴のち曇)
 今日はどうしても北岳小屋へ行かねばならない。両俣小屋まで橋が流されていて渡渉したり、ヒヤヒヤのヘズリの連続。それでも急ピッチで進み小屋から左俣に入っていよいよ北岳の登り。大滝の下で遊んで急登にかかり途中獣道に入り込むも無事稜線へ飛び出す。北岳山頂へ立つが強風ですぐに辞し薄暗くなる頃北岳小屋に到着。第二隊の野田さん達と再会、固く握手を交わす。

7月15日(晴)
 北岳で下りる横田くんと別れ間ノ岳へと向かう。
 愉快な稜線漫歩だ。駒がもう小さくなり反対に塩見、荒川が大きくせり上がってくる。間ノ岳山頂で2時間ばかり遊び、本日の幕営地、熊ノ平へと向かう。三峰岳を越すと熊ノ平はもう目の下でお花畑の快適な道をご機嫌に飛ばす。

7月16日(晴)
 今日は塩見を越える日で愉快な仲間と一緒に飛ばす。北荒川を過ぎ、おっかなびっくりの道を越し、塩見岳への急登1ピッチで山頂に着く。荒川岳や振り返って駒や白根を眺めると来し方、行末がが感無量の思持である。山頂でしばらく憩う。三伏峠の少し手前で「猛登」のコールを聞く、丁度小沢さん達が峠に着いたようだ。急いで小屋に下り無事の出逢いを喜ぶ。

7月17日(曇)
 峠の手前で3日間行動を共にした第二隊と別れ、雲行きが怪しいので先を急ぐ。烏帽子を過ぎる頃から強風が吹き付け天候が荒れそうなので本日は高山泊り。途中のお花畑が素晴らしい。

7月18日(晴)
 朝のうちにぐんぐん高度を上げる。空気の澄んだ荒川前岳の展望は素晴らしい。ゆっくり遊び、小沢さん達と別れ、赤石岳へと向かう。目の前の赤石の全容に胸を躍らせ、大聖寺平から一気に山頂へと進む、櫓の建つ絶頂は人気もなく我々の天下だ。コーヒーを沸かしての祝杯に時の経つのも忘れる。山頂を辞しガラ場を通り百間平を過ぎ、百間洞にテントを張る。

7月19日(晴)
 中盛丸山までの足は重く兎岳を無事通過、足をガクガクさせて聖のキレットを下る。そこから聖岳へ登るのかと思うといささかうんざりする。我が身にムチ打ってようやく山頂に辿り着く。振り返って見ると昨日越えた赤石が大きく見え、遠くの方に光岳への山稜が連なっている。ガラガラの悪場を聖平へと下る。

7月20日(晴)
 今日も快晴でご機嫌に上河内、茶臼と過ぎる。しかし、本日の行程長く崩れ落ちてしまいそうな怠感に脚が重く、その重い脚を引きずるようにして光岳へと登る。南ア南端の三角形の小屋の一夜は印象的だった。

7月21日(晴)
 小屋から光岳へと往復し、甲斐駒からの長かった行程もこのピークで終わることになる。三人で握手をし感無量。いよいよ下山、急坂を何の苦もなく愉快に下り、長い軌道歩きもご機嫌、しかし大間まではあまりにも長く、千頭ダムの手前で暗くなり飯場に泊めてもらい、久し振りに風呂に入って畳の臭いをかいだ。

7月22日(曇)
 1週間続いた晴天も今日辺りから崩れそう。寸又川出合で観光客に遭い、もうすっかり下界に降りてきたのだなあと残念に思ったり嬉しく思ったり!大間でビールで乾杯、南ア全山を無事果たした満足感であろうか、こんな美味しいビールは初めてだ。バス、気動車、東海道と順調に接続、夜遅く帰京。

北沢小屋~仙丈岳
内藤 晴次

山行日 1963年7月13日
メンバー 内藤、山本(政)

 私の都合で明日早く下山しなければならず、そのためにはどうしても今日中に仙丈を登ってこなくてはならないので、時間的には遅いが行きたい者だけが強行することにし、北沢で縦走隊を横田に頼み、我々5人は北沢小屋に着く。前日寝不足と重荷、急登の連続で調子の出なかった山本も今日は元気なので二人で仙丈往復に出発。
 ランプ、ヤッケ、ピンチ食少しなのでピッチもぐんぐん上がる。原生林の尾根道もかなりきつい。滝沢の頭に出る頃、藪沢よりかなり強くガスが吹き付け視界10mくらいになるがトップの山本、ものともせずにただ黙々と登り続ける。ガスった仙丈に着いたが視界ゼロでは感激も、くそもあったものではなく小休止もそこそこに、一気に北沢小屋に駆け下った。

〈コースタイム〉
北沢小屋(14:00) → 滝沢の頭(14:55) → 仙丈岳(15:50) → 北沢小屋(18:00)

広河原~三伏峠
野田 昇秀

山行日 1963年7月14日~17日
メンバー 野田、藤田、小池

7月14日
 運よく広河原まで入ってくれるハイヤーをつかまえて、広河原まで1時間はほどの快適なドライブである。吊橋の手前でシュラフを引き出しオカンをする。
 朝、我々の出発を祝ってくれるかのような快晴、御池まで森林の中を行く、草すべりの急坂は真夏の強い太陽に照りつけられ、いささかバテ気味。稜線に着くと途端にガスがかかり展望はゼロとなり美しい花の咲いている小太郎尾根の岩道を北岳頂上へ向かう。頂上で縦走隊と会うことになっていて1時半より3時まで待ったが来ないため、北岳小屋へ下る。黄昏の迫った稜線に4人の姿が見えた時の嬉しかったこと。縦走隊の悪戦苦闘の話に花を咲かせながら夜遅くまで語り合う。

7月15日(晴、夕立)
 昨日の続きは今日と楽しい語らいの中に朝食を済ませ、6時半にYさんが単身広河原へ下って行く。7時出発、中白根で30分、間ノ岳で2時間半とさぼりにさぼって熊ノ平着2時、夕食を済ませて記念の白いハンカチにサインし、ダベッテいるうちに夕立、天幕を撤収して小屋に逃げ込む。

7月16日(晴)
 快調に森林帯の中を縫いながら塩見岳へは何となく到着。本谷山を過ぎて三伏峠が近くなる頃、風の便りにモートーが聞こえ、峠の下で三伏班と合流、旧小屋近くに幕営。

7月17日(晴)
 今日は広河原班下山の日、縦走隊と一緒に出発し、三伏峠から塩川まで2時間で下り一番バスで帰京する。

〈コースタイム〉
7/14 甲府(0:30) → 広河原(1:50~5:30) → 御池(8:10~9:00) → 稜線(11:25~12:30) → 北岳(13:40~15:00) → 北岳小屋(16:50)・・・縦走隊合流(19:00)
7/15 出発(7:00) → 稜線(7:35~7:45) → 間ノ岳(9:40~12:00) → 三峰岳(12:40~13:00) → 熊ノ平(14:00)
7/16 出発(5:15) → 新蛇抜山(7:05~7:15) → コル(9:35~9:45) → 塩見岳(11:15~13:00) → 三伏小屋(17:05)
7/17 出発(6:50) → 三伏峠 → 塩川(8:45)

三伏峠~光岳
山本 敬三

山行日 1963年7月16日~22日
メンバー 山本(敬)、牧野、溝越、別所

7月16日
 塩川にてバスを降り、朝食を済ませ南沢沿いの平坦な道を進むが、縦走隊のサポートも兼ねているので冬山並みに荷が大きく、おまけに陽はカンカン照りつける。2時間ほどで沢から分かれ尾根に取付く。40分に10分の急な登りに喘ぐこと5ピッチ、やっと傾斜が緩くなり三伏峠に着いた。お花畑で休んでいると本谷山の縦走隊の姿を見つけ露営地にて合流する。

7月17日
 6時出発、烏帽子岳の分岐で藤田、野田、小池君らと別れ急登を2ピッチで烏帽子岳へ着く、荒川岳が見え、今日中にこれを越すのかと思うとうんざりする。烏帽子岳を下った頃からガスがかかり風も強くなる。大河内岳を越え、板屋岳は知らない間に過ぎ、雨も降ってきたので今夜の泊りは高山露営地とする。陽が高いうちにテントを張る、水はテントの前を流れ快適な露営地である。

7月18日(快晴)
 夜明けと同時に出発、いよいよ荒川岳の大傾斜面の登りで稜線は見えるがなかなか近くならない。重荷に喘ぎ荒川岳に着き大休止の後、サイドばかりバカでかい不格好なザックの小沢、中山さんらと別れ、荒川小屋手前の水場で水を補給、大聖寺を過ぎ2ピッチで小赤石へ、赤石岳はもう目の前だ。頂上でコーヒーを沸かし大休止、長いザラ場を下りゴルフでもできそうな広い百間平を過ぎ百間洞へ、百間洞を百間ブロと聞き間違え風呂に入れると喜んだ人もいたが!

7月19日(快晴)
 露営地から聖岳が真正面に見える。百間洞小屋まで下り、そこから中盛丸山・大沢岳のコルへ出て、気持ちの良い稜線を中盛丸山、二つぐらいのコブを越し兎岳へ、ここからの眺めが素晴らしく、後ろを振り返れば駒ヶ岳から光岳、中央連山まで見え、兎岳に別れを告げキレットへの大下り、風がなく暑くてやりきれなく、おまけに水が不足し全員疲労気味で時間の都合もあり聖岳頂上で1時間休み聖平へ向かう。

7月20日
 今日も快晴で聖平を後にして上河内岳は割愛してお花畑へ下る。美しいお花畑にて大休止の後、茶臼岳へ、この辺りから先は森林帯となり倒木も多く、潜ったり跨いだり非常に歩きにくい。易老岳の僅かな登りを過ぎ鞍部へ、急登を速いペースで登りイザルヶ岳の水場のある平らな所に出る。気持ちの良い所で光小屋は草原の一番奥にあり頑丈な立派な小屋である。

7月21日
 いよいよ縦走も終わりに近づいた、荷を置いて光岳を往復、下りにかかり思っていたより道は整備されていて歩きよく、しかし長い下りで吊橋を渡り大休止の後、沢沿いの平らな道は飯場まで続き最後の登りを過ぎやっと軌道に出、歌を歌いながら歩く、この調子だと大間に着くのは10時を過ぎそうだ。千頭ダムの手前までくると飯場の犬が我々に向かって吠え立てたので、中から人が出てきて泊まっていけとのこと。お言葉に甘え中に入れてもらい、風呂に入り、久し振りに畳の上で寝たのでよく寝られた。

7月22日
 飯場の人に厚く礼を述べて、また軌道を歩きだす。大間まで10キロほどで苦にもならず歩き、大間にて待望のビールで乾杯。大間からバスで奥泉へ、奥泉から気動車に乗り千頭へと出た。

南アルプスに想いを寄せて
牧野 盛治

 山家なら一度は夢見る南ア全山縦走、それも瞬く間に終わってしまった。想い出の駒、忘れることのできない北岳、間ノ岳、そして塩見、荒川、また行くことが出来ないと思った赤石、聖等々。今思えば本当に簡単に越えてしまったように思われる。勿論、駒への登りの辛かったこと、野呂川の目をつぶりたくなるような個所を通り過ぎたこと、北岳で吹かれたこと、そして他のリレー隊との出逢い等、思い出深いものである。ましてや快晴続きで僅か10日間でやり遂げたこと等。自分でも恐ろしくなるほどついていたと言える。
 ともあれ、山登りの沢山の技術を折り込んだこの山行は、山の生活を大幅に変えてしまった。縦走の醍醐味、そして南アルプスの魅力に引き付けられた点、誠に酷な山行と言える。これからも暇と金がある限り南アの地図を拡げることだろうが、未だ親不孝が続きそうで困ったことである。


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