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笛吹川東沢遡行
牧野 盛治

山行日 1963年10月6日~7日
メンバー 牧野

 一般に奥秩父の沢は険しく危険とされていた。その奥秩父の沢、それも田部重治氏の名文『笛吹川を遡る』を読んで以来惹きつけられてきた笛吹川をやろうと決心したのがつい先日。『笛吹川』何と快い響きを持った名なのだろう。新宿を正午に発つ満員の列車とバスに揺られ天科5時着、対岸の単調な軌道歩きも広瀬に入るとなくなり、しばらくトラック道を行くと木立の中に笛吹小屋を見つける(泊)。
 翌朝、今にも泣き出しそうな天気の中を東沢へと向かう。荒れた西沢出合を過ぎるとしばらく尾根を絡んで枝沢を越える。途中にホラ貝の奇勝があったりして楽しい。河原に下り飛び石伝いに右往左往。紅葉も八分ほどで見事だ。山ノ神を過ぎると東沢も俄に美観を呈し東のナメ、西のナメそしてナメ沢と急で巨大なスラブの沢床を落とし、その上を這うが如く水が流れている。紅葉と相まって日本画のようなうっとりする風景である。カラー写真を持ってきたらと悔しく思ったり残念に思ったり。
 やがて左手から大きな金山沢が入り込む。地下足袋に脚絆と丹沢スタイルに変わり、これからがいよいよ本格的な沢登りだと胸を弾ませる。入るとすぐに第一の炊きがかかっており、その上は見事な釜、続いて長大な滑、青々とした釜、淵と順序良く現れる。写真機を取り出すのも忘れてその美観に見とれる。これから先全ての滝は大きな釜を持っており、その途中には数10mに及ぶ一枚岩が続いて美しい紅葉の落葉の中を油が流れるように白く静かに流れてゆく。滝の直登というスリルこそあまりないが沢登りの醍醐味を満喫させてくれる。そのクライマックスは何と言っても両門の滝であろう。天井はそこだけ丸く抜けており、遥か上の深い原始林の中から30mに及ぶ滑滝が同じ釜に注いでいる。その二つの滝の中間は真白なスラブが上まで続き、辺りは紅葉で赤く映える。全く素晴らしい景観である。
 両門の滝から二つの大滝を越えるとしばらくゴーロ状の河原となる。奥秩父らしい原生林と紅葉のコンビネーションで、ここもまた素晴らしい雰囲気を醸し出す。傾斜が急になると再び沢となる、わずかな踏み跡を辿ってぐんぐん高度を上げる。正面には待望の甲武信岳の山頂が見え始める。最後の滑滝を飛沫を浴びて対岸にトラバース、ガレ沢を急登すればやがて甲武信小屋の水場に着く。もう小屋までは幾ばくもない。笛吹小屋から8時間弱のハイピッチで来てしまった。尾根の上に出ると東沢が一望にでき、色々な感慨で胸がいっぱい、同時に満足して小屋の人となったのである。
 翌朝は快晴の中、甲武信岳から十文字峠、梓山と単独行者のきままな、そして御機嫌な山行を終えた。文字通り有終の美といったかっこうである。


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