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稲子岳岩場合宿
小島 作蔵

山行日 1963年9月22日~24日
メンバー (L)小島、岡野、小沢、内藤、野田、藤田、高田、他2名

9月22日
 紅葉で美しい山道をバスは喘ぎながら渋の湯に到着した。遅い朝食を摂りパッキングをし直して中山峠目指して登りにかかる。水戸石岡山の会を加え総勢9人、登りはさほどきつくはないが何故か疲れが激しい。汗で身体が濡れる頃、キャンパーで賑わう黒百合平に到着した。中山峠は目と鼻の先である。澄み切った秋空の下でしばらく小休止。汗で濡れた顔に心地よく吹く風も心なしか肌寒い。疲れも取れ再び荷を背負って中山峠を過ぎ急勾配な道を下る。左手に目的の稲子岳が見え始め、もう少しの辛抱で背中の荷から開放されるかと思うと元気が出てくる。いい加減膝が笑い出す頃、道が平らになり左手の稲子岳東面の岩壁が目いっぱいに入る。岩壁の真下の樹林帯の中に天幕を張り、昼食後岩登りの準備をして全員で大きな岩でゴロゴロした斜面の岩壁の基部に到着した。去年私が落ちたフェース、泣きながら登ったルンゼ等、全然変わってはいない。
 直ちに小沢・森岡、野田・風間、小島・内藤というパーティを組み、各パーティ好みのルートを選び第一バンドまでの登り下りを行う。藤田、高田、他1名は岡野氏の指導の元に基礎訓練を行っている。各パーティ2本くらいのルートを登った後、本日の練習を終了。眼下に見える我が城を目指し下る。赤い夕日が岩壁を染めて山の彼方に沈む頃、薪を作る者、火を炊く者、そして片道20分の水場にザックを背負って水汲みに行く者と各自分担して食事の準備をする。さすがに日が陰ると寒い。
9月23日
 寒さに身を震わせながら天幕から顔を出し岩壁を仰ぐ、真青な空に朝日を反射した岩肌が美しい。朝食後、ビル工事の土方のような姿をして斜面を登り基部に到着。藤田、高田、他1名は基礎訓練を、我々3パーティはお互いに頂上で逢うことを約し、私達はやや遅れて凹状ルンゼンを下から見上げると簡単に登れそうなので軽い気持ちで取り付いた。しかし、その期待はすぐに裏切られ、下手をするとやられるかも知れないと身体が汗ばんでくる。私がトップになり慎重に高度を稼ぎ小さなテラスに着く。内藤君の登ってくるのを待って再び登りだす。隣のルートを登っている野田パーティの声とハーケンを打つ音が聞こえる。オーバーハングだ!!腹の中がキューと締め付けられるような感じがする、何処にハーケンを打ったら...と岩を見ているうちに右上に残置ハーケンが眼に入り、素早くそれにアブミをかけ身体を起こすと、アラウレシヤカタジケナヤ、残置ハーケンがベタ打ちされているのが判った。どうにかそれを越し、その上のテラスで内藤君を確保した。フーフー言いながら彼が登ってきた。ルートは左に捲くようになりテラスに着いた。頂上は直ぐ上だ、ここで一本立て、ここからぐいぐい登り頂上に到着した。頂上は風が強く天気も悪くなり、小雪がちらつき出した。まだ到着しない野田パーティ、小沢パーティが気になる。約4~50分遅れて野田君達が到着した。途中キジをうっていたので遅くなったとのこと、岩場でのキジうち、ウンを天に任せたという訳か。更に30分位遅れて小沢さん達が到着。
 全員揃って記念撮影をし基部へ下り昼食にした。今日帰京する内藤君が下山した。午後から小沢さんと私は岡野氏の指導の元に単独登攀の練習、他は各自パーティを組んで第一バンドまで登高訓練をして今日の練習を終了した。
9月24日
 午前中練習してもということで朝から下山とする。朝食後、天幕を撤収し稲子湯に向かって下る。天狗を登り縦走する高田君と別れて我々は霜柱を踏んで日本晴の空の下を朝日に照らされ帰京の途についた。

稲子岳南壁中央フェース直上ルート
野田 昇秀

山行日 1963年9月23日
メンバー 野田、風間(石岡山岳会)

 先に登った小沢隊が浮石の多い凹状フェースを右にトラバースするのを見た後、同じ所を登り始める(7:40)。トラバースしないで直上する、ややルンゼ状になりホールド、スタンスが小さく緊張する。25mザイルを使用したためこの辺りでいっぱい、後続の風間さんに10mほど登ってもらいやっとチムニー下で確保する。頂部にチョックストンのある5mほどのチムニーをフリクションを効かせて登り、岩陰に潜り込んで確保、5mほど上に昼寝の出来そうなテラスが見えるがザイルが延びない。大テラスで小休止。大岩を右から左へへつり、やや被り気味のリッジにアブミをかけて乗越す。草付きを左にトラバースしてテラスに出て、左側の壁にハーケンを打ちアブミで乗り切り針塔に出た。


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