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北ア・全山縦走報告
牧野 盛治

山行日 1964年8月5日~25日
メンバー 牧野、溝越、山本(政)、野田、小島、堀口、横田、小池、高田

 北ア全山縦走という大事業もあっという間に終わってしまった。最初のピーク白馬岳に立ってみた時、その長さに目を疑い唖然としたものだ。しかし、最後のピーク剱岳に立ってみると、反対にそのあっけなさに唖然とした。白馬に立って『どうにでもなれ』といった、言わば捨て鉢な気持ちになったのがつい昨日のような気がして、20日間という時間を感じさせない。それだけ毎日が充実していたと言えよう。この成功の陰には多くの人達の苦労があった。特に野田さんが唯一人で奮闘してくれた槍ヶ岳パーティ、彼にはいくら感謝してもしきれない。我々も槍で遭えれば必ず成功すると信じていた。またそれを楽しみにして歩き続けてきた。事実、野田さんに遭えたからこそ無事に終えたのだが...。あの重荷を背負っての苦労は筆舌に尽くしがたかったろうが。よくも頑張ってくれたものである。その他、剱岳での会員との再会等、嬉しい想い出であるが、頭に浮かぶことといったら重い荷を背負っての毎日毎日地面ばかりを見つめて歩いた辛いことが先ず最初である。一言言いたい、縦走などくそくらえ!!と。とにかく目下のところ、去年の南アルプスをやりえた感激というものが湧いてこない。東京に帰ってしばらくしないと浮かんでこないのかな?(8月22日急行『北陸号』車中にて)

◎行程について(敬省略しました)
 北アルプス全山は馬蹄形になっている、ここに北ア縦走の面白味がある。白馬岳からはすぐ横に剱岳があり、遥か山並みの彼方にぽつんとわずかに認めることができる。
 この全山縦走という御苦労な行為をなぜ敢えてしようとするのか?そんなこと知るもんか!!それほど長い、後立山を歩いている時は黒部を隔てた対岸を歩くのかとうんざりしたり、立山を歩いた時には先日歩いてきた後立山の山々を想い出したりで至極愉しい。そんな愉しみもあったが辛いことのみ脳裏に残る、白馬の登りの辛かったこと、重荷を背負っての不帰岳等々。とりわけ野田に遭って再度重荷になり、双六岳から太郎小屋までの長い行程は本当に倒れる直前であった。軽身になっても相当歩きごたえのあるコースである。ここはやはり、途中の黒部乗越小屋泊まりとし、余裕のあるそしてその素晴らしいお花畑を楽しむべきであろう。しかし、翌日の薬師越えやスゴからの五色までは非常に楽なそして愉快な旅であった。

◎参加者について
 出発時は山本(政)、溝越、牧野の3人、鹿島槍で山本下山し、後は槍ヶ岳で野田と遭うまでの1週間溝越と私の2人であった。途中、種池で宮坂氏と、双六で原口と遭う予定であったが遭えずじまいであったことは残念である。長い山行中、仲間に会えることほど嬉しいことはないのだから。
 最後の剱岳では小島パーティに計画通り遭った。小島、高田、横田、小池の4人に堀口さんとその友達2人を加えた6人のメンバー。男性4人に私達3人を加えた会でも選りすぐりの軟派な奴ら、天幕内では賑やかなこと蜂の巣をつついたような感があり、終始笑いごとが絶えない。先ずはその方のベストメンバーであろう、そしてこれらの人達は岩場の中毒者でもある。早速、剱の岩場にかじりついたのはそれを目的としたのであるから当然である。

◎装備について
 まず一番惜しまれるのは、我々の天幕である。宮坂さんに遭ったならば換えてもらおうと思っていた我々の天幕、放出品の重いヤツで雨にでもあったら散々な目に遭う。幸いにして雨は少なく助かったが、そうでなかったら小屋泊りの連続で首が回らなくなっていよう。それとホエーブス。2基持参したのだが1基故障してしまい、わずか1基で縦走を続けヒヤヒヤだったこと、夏の天幕と共にもう1基ぐらい買い入れてもらいたいものだ。

◎天候について
 後立山の時、冷池と唐松で雨に出遭った以外ずっと好天。晴男の本領を発揮した我々であった。夕立でさえ三俣蓮華の手前で1回遭ったきり。剱岳を下山してバスに乗り込んだと思ったら凄いシャワー。まったく我々の面目躍如たるものである。それに対して山本(政)は気の毒で白馬から鹿島槍まで雨が降ったり曇ったりで満足に展望を眺めたことはなかった。ところが、彼が下山するや否や晴天の連続。こんな具合に天気には恵まれていたが、それでも午前中は快晴だが午後には必ずガスってきたのはさすが北アである。一日中快晴だったのはスゴから五色までの1日だけであった。この縦走成功にはこの天気の力が多分にあり、去年といい今度といいまったく感謝のしようもない。

◎行動について
 最初の3日間というもの重荷のため、さすがにコースタイムより大きく遅れたりしたが後は快調そのもの。朝6時頃行動を始め、遅くとも3時には行動を終わっていた。まったくぶっ飛ばすという言葉が当てはまるほどコースタイムを大幅に縮めていたから驚き。しかも毎日必ず昼寝の時間を1時間以上とる余裕もできていた。1ピッチ40分行動、10分休みというペースも確実に守っていたしで行動に関しては、私が剱岳で二日酔いになり多少歯車が合わなかった以外は申し分なし。

◎食料について
 行動が万事こんな調子であるから食べる方も当然好調。最初の頃食欲進まず、山本に食料を降ろしてもらったのが後悔されるほどよく食った。とうとう三俣蓮華で食料が切れてしまい、仕方なく登山者から余った米を分けてもらい、野田に遭うまで飢えをしのいだという有様。とにかく東京に居る時より肥ったかなと感じるくらいよく食べたものである。中でも五色ヶ原で食べたソバ、何と3人で15人分を腹に詰め込んだもので我が会のレコードとなることであろう。また、双六では飯盒に入りきらないライスを2人でカレーをぶっかけて食ったというのも我々の好調さを物語る。
 その他、剣沢では夢にまで見た厚みのある『ビフテキ』ってやつかな、それにありつけたのも嬉しかったし、また差し入れのウィスキーを毎日チビリチビリととやったのもしかりで、こと食料に関してはことごとく愉快な想い出となった。ただ私がアルコールのがぶ飲みで二日酔いになったのはいただけない。

◎天幕場について
 今度の縦走で小屋泊りは3回、唐松と種池、三俣蓮華である。北アの小屋は全て山荘という感じであり、山小屋らしい山小屋といったら船窪小屋くらいで、久し振りで南アのような小屋に出遭い非常に嬉しい思いをした。小屋番に意外とカワイ子ちゃんがいたせいもあるが、幕営地はどこへ行っても人が大勢。静かな幕営を楽しめたのはスゴ乗越と船窪の2ヶ所だけであったが、スゴの方は水に不自由し結局快適なのは船窪のみ、中でも冷池と種池はまるっきりそっけなくあしらわれ憤慨したものだ。幕営地で困ったのは水場である。後立山では晴天続きでどこも水に不自由し、水を買い入れたことも再三あった。まさか東京で水不足に苦労し、山でもまた水に難儀しようとは思いだにしなかったネ。唐松では夕立の水を溜めて使い、烏帽子とスゴでは池の汚れた水を使用。五竜、種池。針ノ木、五色などでは疲れた体に鞭打って遥か離れた水場まで出かけたものである。
 そんな訳で水には終始苦労させられ、計算外の出来事に慌てた次第である。米などとがないで炊いたことも何度かあったし、まして食器などはまるっきり洗っていない状態であるから推して知るべし。 ーオワリー

北アルプス縦走 槍ヶ岳~剱岳
野田 昇秀

8月15日(上高地~一ノ俣)
 『おまえ、そんなに背負えるのかえ』『これぐらいなら大丈夫だよ』と母親の手前しきりに強がって見せたが、特大ザックの口まで入った荷物はさすがに重い。
 ショートパンツにゴムぞうりのハイカーを横目に牛の如く歩く。腰が痛くなってくる。『ああ、休みたいなー』『まだ20分だぞ、我慢しろ』と心の中で戦いながら明神、徳沢、横尾と1ピッチずつ歩く、横尾で1時間ほど休む。道も段々と狭くなりやっと山に来た気分になる。それにしても重い。ウィスキーの大ビン2本はチョイト無茶だったかな。捨てようかと思うがやはり担ぐことにするが、一ノ俣でK.O。20kgほど槍沢小屋上部まで荷揚げして一ノ俣に引き返す。
8月16日 晴、午後よりガス(一ノ俣~双六)
 9時に白馬から歩いてくる牧野、溝越とデートの約束。昨日サボったので早朝出発の予定が一人身の気安さ、目が覚めたら明るくなっていた。槍沢の左岸に付けられた道を喘ぎながら登り、槍沢小屋を通り過ぎテポ地点に着くが、振り向きもせずに通過する。快晴のせいか暑い。やっと槍の頂が見えてきた。もう9時を回っている。恋人を待たせているような気持ちで焦りを感じる。11時、肩に着き両君と握手。両君が荷物を取りに下ってくれた。私はその間、昼寝をする。
8月17日 晴(双六~薬師峠)
 双六岳への急登で今日が始まった。稜線の道を取って三俣蓮華へと向かう。振り返ると表銀座、槍ヶ岳、北鎌尾根が朝日に映えて美しい。三俣の頂上からは黒部五郎、薬師がよく見える。太郎小屋もかすかに光って見える。『今日は長いぜ、あの山の向こうまでだものなあ!!一つ山越しゃてな具合にはいかないぜ』池塘の多い山をいくつか越して太郎小屋に着いたのは夕暮れが近い頃であった。水場を求めて薬師峠まで行く。
8月18日 曇り(薬師峠~スゴ)
 昨日のアルバイトで今日の出発は10時にする。早朝、薬師へ登りに行った人達が幕営地に帰ってくる頃、のんびりと出発する。
 薬師岳頂上の祠の前にて記念写真を撮り、のんびり並んでスゴへ向かう。スゴには水がないと聞いたので今日は一日水を飲ましてもらえなかった、酒よりも冷たい水が飲みたい。
8月19日 晴(スゴ~五色平)
 長久さん入山の日、なるべく早く五色へ行こうと急ぐ。越中沢岳の頂上からは裏銀座、後立山が目の前に現れ、縦走してきた両君はしきりに懐かしがっていた。立山が見えだす。あれを越せば岩登りが待っていると思うと嬉しい。水は薬師で汲んできたきりで残り少なく苦しい。平らな草原状の五色ヶ原に到着。長久さんには遭えなかった。
8月20日 晴のち雨(五色~剣沢)
 早く皆に会いたい一心で飛ばしたせいか道を間違えること3度に及んだ。浄土山を越え一ノ越に出ると凄い人出。
 ヒゲボウボウの3人、恐れをなして雄山を駆け上がり、大汝山を通り越して別山乗越より剣沢へ駆け下りた。
 幕営中の小島さんたちを見つけて握手。夜、荷揚げしてくれたビール、ウィスキーで乾杯、遅くまで語り合う。


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