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北アルプス縦走 白馬岳~冷池
山本 政雄

山行日 1964年8月5日~25日
メンバー 牧野、溝越、山本(政)、野田、小島、堀口、横田、小池、高田

8月5日(白馬岳)
 久し振りの重荷で白馬尻小屋に着くまでにすっかりバテ気味になる。雪渓より調子が良くなり2ピッチで上部まで登り切るが、村営小屋まで倍くらいの時間を費やす。休んだらすぐ眠くなってどうにもならない。それにしても凄い人出である。白馬音頭とかいうレコードがジャンジャン鳴ってどっかの温泉にでも来た感じ。
8月6日
 5時起床、日の出が美しく寒くてもまた別格だ。7時、テントを撤収して出発する。昨日の疲れが未だ残っているが皆元気だ。稜線に荷を置き頂上往復。頂上よりの展望は素晴らしく、これからの行程である唐松、五竜、鹿島槍が遠く浮かんでいる。天気も良く快調なペースで天狗山荘着、昼食後すぐ出発。天狗の大下りを過ぎ、いよいよ今日の難所不帰キレットにかかる。二峰が凄く切り立った壁でクサリや鉄棒にすがり慎重に進む。荷が揺れる度に気持ちが良くない。我々が最終パーティであったが無事不帰を通過。唐松岳をガクガク登る頃、雷雨に襲われ土砂降りの中を小屋へ逃げ込む。今夜は小屋泊りとなるが、素泊り金500円。高いなあー。雨水を溜めすぐ夕食にかかった。
8月7日
 天候の回復を待ち、10時に五竜小屋までと決めて出発。ガスと風が相当強い。白岳を過ぎる頃天気も少し良くなる。2時、五竜小屋着、早速テントを張り、ウィスキーで乾杯。今までで一番うまい飯にありつく。夕焼けが素晴らしく美しい。黒部を経て剣が黒々と浮かび上がった。皆で山の歌を大声で歌ったり、楽しい一時でした。
8月8日
 4時起床、遠見尾根の雲海と美しい日の出で一日が明ける。稜線は未だガスっているためガッカリ。五竜頂上はガスの中で、五竜の下より上下の激しい岩場の連続で神経を使い時間もかかる。キレット小屋で腹ごしらえをして、小屋より少し登ってキレットにかかる、両脇はスッパリ一直線に切れ落ちている。クサリにすがってやっと向こうの岩に渡る、これで一息入れるも鹿島槍まで急激な登りが続き、苦しい登りである。ガスの中を北峰往復。誰も居ない頂上のケルンに我々も石を積んだ。南峰までガラガラの岩場で不愉快な登りが1時間近く続き頂上の大きなケルンに迎えられた。白馬より望んだこの頂きを今しっかりと足を踏まえているのだ、と思うといい知れない満足感で一杯になる。大休止の後、冷池へガタガタと下る。小屋の人に水場を聞くも全然ないとのこと。また、幕営地はここではないと追い返され散々であった。1リットル50円で水を買って30分近く逆戻り。北アは段々観光地化して、小屋主も事務的で不親切になってきたようだ。インスタントそばを食って早々にシュラフに潜る。
8月9日(赤岩尾根下山)
 夜中に大雨となりビッショリ、寒さで目を覚ます。種池に行けばヤゾーさんがいるだろうということで、10時に雨の中を撤収出発する。赤岩尾根分岐で牧野、溝越両名と手を握り「元気で」「気をつけろ」と励まし合って別れる。「モートー」
 大谷原にバスはなく鹿島村まで歩き、鹿島館主宮坂氏のところで飯をご馳走になった。

北アルプス縦走 冷池~槍ヶ岳
溝越 教之

8月9日(雨もたまにはいいよの一日)
 朝起きると雨、相談して種池まで行くことにして撤収、出発。黒部側からの風雨にポンチョも用をなさず、歩きながらポンチョに雨を溜めて飲む。種池に着くと間もなく晴れ、40人ばかりの団体客が来たので賑やかだったこと、それにゲストのヘリコプターが参加したので一層。
 夜『うちは温泉旅館じゃないので静かにして下さい』『ギャフ!ン』
8月10日(一つ山越しゃ...の一日)
 鳴沢岳で先行していた2人のパーティに1Lの水を貰う。ありがたかった、まったくの話。我々水が欠乏しているような顔をしていたのかなあー?鳴沢岳からの稜線は薬師から剣の今度の山行の最後の稜線と並行し、下に黒部人造湖、それに黒四ダムがチラリズムを呈し、それらを"おかず"に食った昼飯の美味しかったこと。例の如く針ノ木では昼寝をして峠に下り早いとこ飯にして寝ちまう。
8月11日(ぶったるんだ一日)
 ロマンチストと熱き涙を流して別れ(おっとペンが滑った、羨んじゃいけないよ!)、行くが男の生きる道...ああ!いい調子!
 蓮華でもう小さくなった白馬、青き山稜を雲海に浮かべた妙高にシャッターを切り、蓮華と北葛岳の鞍部に一目散。ここまでは気張った一日になりそうであった(本当に)。ところが鞍部で岩遊びしゃれ北葛に向かったところが、灌木の中の道なのでまるで蒸し風呂、想像してくれこの辛さ。
 北葛で疲れ半分、ヤケ半分で昼寝。後から来た2人の下男を引き連れた3人の淑女達に『玉子焼きをごちそうして上げる』と言われてお断りして七倉に(男の宿命とは何と冷酷なのだろう)。船窪小屋の中にはもう5、6人の人が炉端に座っていた。その中に一輪の白百合が咲き微笑む、いい小屋だった。隙間だらけの煤けた小屋。テントを張ったのは我々2人だけ、明日の辛さも知らずに静かに眠る幸福な奴らよ!雨の女神だとてどうして雨を降らすことができようか?
8月12日(気張ってがっちりの一日)
 小屋に泊まった3人に先行されて我々2人はただただ足元を熟視して追いかける。朝日が昇る頃船窪に着いた。ああ!辛い道、50分10分のピッチが規則正しく行われ3人の待つ不動に着き半食半寝、ガスに巻かれた南沢岳の三角点に立った時、今日の辛いコースも終りだなーという感傷めいた気持ちに駆られ一瞬涙も出なかった。烏帽子のガスのかかった緑の楽園はスキップを踏んでランランラン。
8月13日(昼寝の罰が当たった一日)
 今日のコースは稜線漫歩、前後左右、岩に穴の開くほど見ちゃった。真砂岳で水欠乏にて空缶を探して錆臭い水で昼食、そして太陽の下の半裸体(勿論上半身だよ)で昼寝。この昼寝が未来にどのような因果関係をもたらすかもつゆ知らずに、ゴォーゴォー。
 スバリ岳で夕立、昼寝の結果が夕立になるとは、ヤケになってポンチョも出さず三俣に、こじつけの理由をつけて小屋泊まりにして、かわい子ちゃんを眺めつつだらしない顔、ああこの顔でこの顔で...。
8月14日(のんびりした一日 その1)
 小屋を一番遅く出てキャンプ場にテントを張って雲ノ平に。日本庭園は良かった。言うことなし。まあ待ってくれ、スイス庭園で男性的な北鎌尾根の岩稜と我々を圧するばかりの薬師の優容。食って、歌ってハモニカ吹いて雲ノ平小屋まで行かず、いい気持ちになって足取り軽く我が宿に。
 『明日は、どちらまで行かれますか?』
 『もう下ります』
 『お米余っていますか?』
 『少ないけどありますよ』
 『食料がなくなってしまったので、よろしかったら分けてください』(頭をかきながら平身低頭)
 このようにして晩飯にありつく。人の情けに縋るとは我々の本意ではないが背に腹は変えられずカレースープのお粗末さ。
 『あー早く会いてえなー』
8月15日(のんびりした一日 その2)
 双六で熊の肉入りラーメンを食らい『天下泰平』晩飯を考えると『波乱万丈』
 例によって2人の情に縋る。今日もカレースープ。『明日会えるからいいよな!』もう諦めの気持ち。
8月16日(山友の有難さを味わった)
 快晴だ!9時、槍山頂のデートに遅れたら大変とひんやりした朝風に吹かれながら一路槍に...8時半槍に着く。まだデートの相手は着いておらず、石垣の下で膝を抱きながら待つ(哀れ!この姿を銀座にでも持っていけばどのようなことになるか?想像つくね)。槍沢が朝靄で神秘的...。
 9時になっても相手は来ず、12時になっても来なけりゃ、昔面倒見た奴もいないから下山することにしよう。11時、2人で槍山頂に、360度の展望ではあるがデートの相手が来ないので、吸うタバコの数が増すばかり。11時半、この山行で最も嬉しく忘れることのできないことが起こった。山頂から下を見ると一人のでっかいキスリングの男がゆっくりと登って来た。一人なのでおかしいと思ったが(デートの相手は3人)一応コールしてみる。『モートー』一瞬間をおいて『モートー』が反ってきた、もう幸福いっぱい胸いっぱい、山頂から飛んでいきたい気持ち。来てくれたのは野田さんだった。一人で来てくれたのだ、一つのことで結ばれた友情って頼もしいもんだよな!
 昼食は野田さんの上げてくれた食料をたらふくいただいて、槍沢小屋に置いてきた荷物を取りに一目散、荷物を取ってまた一目散。
 双六に着いたのは、もう薄暗くなった6時だった(教訓!人間、食い物がありゃ最高に幸福だよね)。

北アルプス縦走 剱岳八ツ峰
小池 泰雄

8月21日
 商売道具をそろえて剣沢の天幕を出る。岩の塊のような剱岳にはガスがかかり、今にも降り出しそうな天気。20日までは素晴らしい天気だったそうである、誰だい雨男は。平蔵谷の出合で源次郎のフェースをやると意気込んじゃってるK、T氏らと別れ、我々は長次郎谷の雪渓をテクテクと登る。荷が軽いためか快調なピッチでジャンジャン高度を稼ぐ。しばらく行ってから右手のガレ場を登り、Ⅴ・Ⅵのコルへ。いよいよ登攀開始である。Ⅵ峰のルンゼ状の岩場を登る。ホールド、スタンスがガッチリしていて安定感がある。ガスがなければ高度感は最高だろう。Ⅵ峰から先は数え切れないほどのゴチャゴチャしたピークを登ったり下ったり、尾根道と岩場の中間ぐらいの感じである。途中、変な場所に変な鉄の棒が立っていたので、危うく三ノ窓谷に下るところだった。冗談じゃないよまったく。ピークが沢山あるのでどれが何峰やらサッパリ見当がつかないが、そのうちには頂上へ着くだろうと、また登り下りを繰り返す。やがて上の方で人声がするのでそろそろ稜線かと思ったらもうそこが山頂だった。ひと足先に着いていた溝越氏を発見、やがて牧野氏らが、そして昼過ぎになって源次郎組(何だかヤクザみたい)が到着し無事剱岳集中登山を成功させることが出来た。滅多にやれるもんじゃありませんぜ、剱岳集中なんて。
 八ツ峰コース ー 横田、野田、小池
 源次郎尾根 ー 小島、高田
 別山尾根 ー 牧野、溝越、他1名
8月22日
 今日山を降りる縦走組より一足先に剣沢を出発する。剣沢の大雪渓を昨日と同じように下る。天気も昨日よりは良いようで先ずは好調。長次郎雪渓を登りⅣ峰とⅤ峰の間のルンゼに取り付く。2パーティに分かれて、私と横田氏は「RCCルート」とやらを登る。所々にハーケンが打ってあり岩は硬くガッチリしている。途中、真新しいハーケンをせしめ、横田氏ホクホク顔。2ピッチあまりで呆気なく稜線へ出てしまい、Ⅴ峰を越してⅤ・Ⅵのコルへ。長次郎雪渓をグリセードで下る。私はピッケルを持っていかなかったので、途中で拾った木を使う(尤もこの木は誰かが作ったらしく、おあつらえ向きのピックまでついているのだから愉快である)。剣沢を登る頃から雨が降り出し、早々に天幕に逃げ込んだ。
 (参加者)小島、横田、小池、高田
8月23日
 朝早く天幕を撤収し、室堂へ急いだが結局翌日朝の帰京となった。列車14時間とは。剱岳というのは遠いね、まったく!!


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