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幽ノ沢左俣集中
野田 昇秀

山行日 1964年9月5日
メンバー (L)野田、小島、佐藤、内藤、横田

 技研部では毎年9月の幽ノ沢登攀が恒例となっている。右俣、V字状壁、そして今年は左俣を登ることになった。参加者多数のため2パーティに分かれて集中の形式を取ることにした。
 足の具合が悪いという内藤さんと出合で別れて幽ノ沢に入る。水流は非常に少なく、美しく磨かれた滑滝の廊下を二俣まで行くと、ガスのかかった中央壁が陰気に目に入る「雨が降りそうだなー岩場が終わるまで持ってくれればいいけど」と小島さんの声。時々空が明るくなる。二俣からすぐ左手の滑滝を直登して右岸の灌木帯に入るが、跨いだり潜ったりで悪戦苦闘の末、滝沢のF1に出ることができた。1ルンゼを登る小島、佐藤、高田のパーティを見送りながら横田と私は滝沢の登攀を開始する。横田トップで垂直に近いフェースを25mほど登り左手のクラックに入る。ハーケンを打つ音が幽ノ沢に響き渡り、確保している私にも緊張感が伝わってくる。クラックを途中で左手の草付きに入り見えなくなった。やがて「ザイルが足りないぞ」との声に5mほど登る。いよいよ私の番だ、フェースはホールド、スタンス共に細かく左手のクラックは水に濡れてつるつるであり、草付きは今にも崩れ落ちそうな悪場の連続で、2ピッチ目は私が登る。60度ほどの階段状フェースを快適に登り続けると、右へのトラバース地点を通り過ぎてしまった。コンテでトラバースを終わるとF2の上に出た。雨が降り出し、時折隣の1ルンゼから聞こえた「猛登」も聞こえなくなった。ひっそりと静まり返った滝沢をザイルを外して駆け上がるように登った。雨に濡れた草付きを避けて岩場を拾いながらの行程で、段々と増す傾斜に「下を見ないほうがいいぜ」との声、見るとはなしに下を除くとガスに包まれているとはいえ凄い高度感である。やがて熊笹の中に入るとすぐに中芝新道に出た。午前11時である。1ルンゼ隊に会う約束が12時のため、雨を避けて岩陰で昼寝をする。あまりの寒さに目を覚ますともう1時過ぎ、小島さんたちは下ってしまっただろうと雨の降り続ける中芝新道を下り出すと、立ち込めていたガスが晴れて奥壁ルンゼの草付きを登っている3人が見えた。「モートー」「ナニヲイママデサボッテター」「ハヤクノボレー」と怒鳴っているうちにまたガスが3人を隠してしまった。1時間後、小島さんが一人で登ってきた。佐藤さんが10mほどスリップ足を捻挫したと言う。歩けるから大丈夫だとのこと、それから2時間後、4時頃5人揃うことができた。芝倉沢の出合に着く頃、真暗となり旧道を歌を歌いながら歩く。時々横田氏得意の佐渡情話も飛び出し、合いの手を入れる高田氏と疲れ切った身体を励まし合いながら土合駅に着いたのは10時を過ぎていた。心配して残っていた内藤さんは山の家で東京と連絡中、全員無事を知らせる。


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