山行日 1964年12月30日~1965年1月3日
メンバー (L)小沢、小島、山本(敬)、野田、牧野、溝越、内藤、佐藤、横田、志村
《本年は停滞気味の会の再起を目指し新人の冬山訓練を目標に、冬山としては取り付き易い八ヶ岳に向けられ、昨年より富士氷雪訓練で冬山の基礎技術をと、いくつかの計画を持ったにもかかわらず、冬山には入れてくれ、基礎訓練は嫌だ、では話にならない。計画も出発直前になって急に不参加を申し出る者あり計画も大いに変更せざるを得なかった。計画、BCを行者小屋付近に、放射状登山を阿弥陀岳北稜、赤岳西壁ショルダーリッジ右稜、赤岳主稜、大同心、小同心等八ヶ岳積雪期のバリエーションを目指す。》
行動記録
12月30日(晴)
暮れの29日というのにガラガラの列車、バスと乗り継ぎ、9時農場を出発、行者小屋へ向かう。美濃戸より南沢沿いに積雪が見え始めた樹間を登る。雪の阿弥陀の頂がカチカチと光っている。痩せ細った北西稜がスッパリ切れ落ちた阿弥陀の北面の森林帯に14時30分、BCを設営。
12月31日(晴 西風強し)
7:00主稜、ショルダーリッジ右稜の小島らとBCを出る。文三郎尾根を中岳のコルへ登り、溝越、志村、小沢の3人で赤岳山頂へ夏道通しで向かう。赤岳の岩礫を水平にトラバース、竜頭峰の下に回り込んで縦走路に出て山頂に立ち,主稜、ショルダーの連中を風下の岩陰で待つ、「モートー」の声に野田、赤い帽子の小島、赤ヤッケの横田、山本と合流、9時30分小屋で軽い感触を摂り、縦走路を下って阿弥陀のコルで荷をデポ。11時30分全員で北稜に向かう。灌木に頼って急な雪稜を第一岩峰にと強引に登り、第一岩峰は左に回り込んで凹状を登ると北壁が迫り、北西稜も素晴らしい。第二岩峰も稜線通しに第一同様左に回って這松帯を強引に登って再び雪稜に出、阿弥陀岳へ急ぐ。権現岳、赤岳、横岳と連なる八ヶ岳の主脈、南アの白い峰々、白銀の北アの連山、眺望は素晴らしいが寒い頂上には長居はできない。コルを目指し急斜面を一気に下ってデポしたザックを背にBCへ、快晴の穏やかな楽しい一日だった、
12/30 | 農場(9:00) → BC(14:30) |
12/31 | BC(7:00) → 文三郎分岐(8:30) → 赤岳頂上(9:30~10:45) → 阿弥陀のコル(11:30) → 阿弥陀岳(12:15~12:30) → BC(13:30) |
山行日 1964年12月31日
メンバー (L)小島、横田、山本(敬)、野田
12月31日(晴 西風強し)
主稜ー小島、横田、ショルダーリッジ右稜ー山本、野田の予定で勇躍BCを出発したものの、赤岳西壁の基部に着いてみると陽は当たらず八ヶ岳名物の強風は吹きまくるしで寒くてしょうがない。早々とファイトをなくしてしまった。我々の登る右稜は下部岩壁帯が垂直に反り返り、いかにも手強そうであり主稜の方も満員で相当待たされそうであった。そのため全員で南峰リッジを途中まで登り、赤岳沢右ルンゼをトラバースして主稜へ、右稜は更に左ルンゼをトラバースして取り付くことにした。浮石の多い岩場とスノーリッジを登るうち、トラバースの困難なことを考え、そのまま南峰リッジを直登しようということになった。岩狂横田氏は"誤魔化された"と不満顔であったが、ファイトを失った私は大喜び、やがて核心部の5mほどのチムニーが現れ、背中のフリクションで登ると雪稜に出た。強風に注意しながら登り切ると赤岳南峰は目前であった。雪の少ないガレ場を登ると頂上に着いた。
登攀時間 1時間
山行日 1965年1月2日
メンバー (L)小沢、溝越、牧野、志村
1月1日(小雪のち曇り)
大同心峰正面壁を小島、横田、小同心峰正面クラックを野田、山本のパーティで登攀すべく今日を待ったが、昨夜半からの降雪は朝になっても続き、新たに15~20cmの積雪を見る。登攀を断念停滞する。午前のニュースは大同心の雪崩事故、甲斐駒の山学同志会の事故、北ア槍ヶ岳の事故と多くの事故を報じた。夕方、内藤、佐藤がBCに入る。
1月2日(濃霧のち晴 風強し)
小島、山本等、小同心パーティと共に7時15分BCを出、行者小屋で別れる。赤岳~硫黄の稜線縦走の溝越、牧野、志村、小沢は真直ぐ夏道を石室のコルに向かう。急な樹林帯を過ぎると樹木も次第に矮小になり、諏訪平より吹き付ける強風に晒されコチコチに凍った急峻な岩稜を登ってコルに出て、赤岳へと稜線を急ぐ。山頂にて強風を避け小休止、横岳へとベルグラの稜線を下る。アイゼンが気持ちよく軋み快調なピッチだ。10時35分硫黄小屋に入る。小島パーティとの約束の14時までにはかなり間があるので小屋番に依頼、11時30分小屋を出る。赤岳頂上にもまして大ダルミの西風は強く、再三再四三点確保体勢を要した。硫黄の大ケルンを後に雪稜を下る頃には薄日も出てきた。峰ノ松目のコルでジョーゴ沢側に雪稜を外して樹林帯を鉱泉へ、13時15分BCに戻った時には晴れ上がり、横岳西壁、大同心、小同心など多くの岩峰が素晴らしい。
17時、小同心パーティが戻る。健闘ごくろう。暖かいテントの中で完登の喜びに話が弾む。内藤、急用のため今朝早く下山。
〈コースタイム〉
BC(7:15) → 石室コル(8:30~8:35) → 赤岳頂上(9:05~9:25) → 硫黄小屋(10:35~11:45) → 鉱泉(12:45) → BC(13:15)
山行日 1965年1月2日
メンバー (L)小島、山本(敬)、横田、野田
1月2日(濃霧のち晴 風強し)
天幕からツラを出し横岳の西壁を眺めるが一面のガスのため何も見えない。昨日、大同心で遭難事故があり嫌な気がしたが、元気に天幕を後にした。行者小屋にて縦走パーティと別れ、我々は赤岳鉱泉まで下り、その裏の地点より取り付くことにする。しかし、目指す岩峰が見えぬのでどの沢が、どの稜が正しい取付き点なのか判らず、トレールを頼りに一本の稜にルートを取りひたすら高度を上げる。時折ガスが吹き飛び左手の沢を通し一目でそれと判る大同心の岩峰が望見でき、我々のルートが正しく小同心峰の主稜を登行していることを確認して、確実な足取りで高度を稼いだ。
途中岩稜が現れたが慎重にノーザイルで乗越し、雪のリッジをラッセルしながら基部に到着した。岩には先行パーティがいたのでそのパーティが上がるまで一本立てる。西の空は晴れているが我々が今立っている空は未だ雲に覆われ、風がまともに吹き付ける。寒い!
いよいよ、YO-K-YA-Nのオーダーでアタックを開始する。まず基部右側より取付き、左斜め上方に登った。その後左にトラバースしてクラックに入る。凍り付いた岩は手の感覚を奪い自分の手でないような気がして今にも落ちるのではなかろうかと、必死になって登った。30mくらいでクラックが消え水平なリッジに出た。トップのYOが寒そうにジッヘルしていた。リッジの突き当りは壁になっており、一人用の洞穴があった。後続のYAのジッヘルをしている間、YOはその洞穴に潜り風を避けて手を暖めている。YAが到着したのでラストのNのジッヘルを頼んで2ピッチ目に向かうYOのジッヘルをした。2ピッチ目は洞穴の下のバンドをトラバースしてクラックに入る。手は先ほどのように冷たく感じなくなくなり、今度は気持ちよくぐんぐん登った。上部に行くにつれクラックはクーロアール状になり、すぐ長さ1mのナイフリッジに飛び出す。トップのYOがそのリッジに跨り、強い西風にまともに吹き付けられながらジッヘルを行っていた。後続のYAのジッヘルも続けてもらう。私が着いたのでYOは第3ピッチに向かう。このナイフリッジは3人で満員なのである。ここでルートが二つに分かれていたが、左側の幅30cm高さ2mほどのチムニーをルートに取る。YAと私がリッジに差し向かいで跨り、ラストのNのジッヘル、トップのYOのジッヘルを各々行った。西風が吹き付け、睫毛眉毛が真白に凍り付く。時折青空が顔を出し、暖かい太陽が光を放つがそれも瞬く間に消えて無情な風の訪問である。トップのYOの姿が視界から消え、ザイルがぐんぐん延びた。「登って来い」とトップの声があり、ラストのNも到着したので3ピッチ目の登りにかかった。早く終わってくれと思いながら冷たい岩をつかみ、クラックを登った。クラックは急に広くなり痩せ窪みに出て、これを左に出るとかなり大きなテラスに出た(このピッチは25mくらい)。この上に8mほどの雪の岩峰が続いていたが難なくこれを越し、小同心の岩峰に着いた。風は強いがガスは薄れ、薄日が射す状態にと天気も好転している。小同心の岩峰からリッジをだらだらと下り途中、岩のトンネルで一休みの後、現れた岩峰を右に巻き稜線に向かって登る。P.M1時稜線に飛び出た。直ちに縦走パーティと落ち合う約束の硫黄岳石室へと急いだが、パーティは先に下山したとのこと、そこで小休止した後強風下の稜線を硫黄岳山頂に向かって歩く。山頂を越した頃に天気が好転して一望のもとに展望が開けた。さっきまでひいひい泣いて登っていた小同心の岩峰、昨日遭難事故を出した大同心の岩峰、遠く浅間、中央アルプス等、冬山の一番美しい光景を眺めながらのんびりとくたびれて帰幕した。
〈コースタイム〉
天幕(7:15) → 基部(9:10~9:30) → 小同心峰(12:40) → 稜線(13:00) → 石室(13:30~14:10) → 天幕(17:00)
1月3日(晴)
9時、BCを撤収、完全に踏み固められた雪道を一気に美濃戸へ、山道より仰ぐ雪の阿弥陀は紺碧の空に美しい。
〈コースタイム〉
BC(9:00) → 農場(11:00)
共同装備
▽天幕 2張
▽ツェルト 1張
▽スコップ 1丁
▽バーナー(ホエーブス) 4台
▽大鍋 2
▽中鍋 1
▽コッヘル 2組
▽ザイル(ナイロン40m) 2本
▽カラビナ 30
▽ハーケン 20枚
▽アブミ 7台
▽ハンマー 4本
▽バイル 1本
▽アイスハーケン 9枚
▽ガソリン 8L(8L使用)
▽メタ 5個(2個使用)
▽ローソク 8本(2本使用)
▽トランジスターラジオ 2台
▽グランドシート 1枚
朝 | 昼 | 夜 | |
12/30 | いなり寿司 みかん |
ブドウパン マーマレード ウィンナー みかん |
米飯 すき焼き |
12/31 | 米飯 味噌汁 とろろ 茶漬け海苔 漬物 |
ビスケット チーズ かりんとう 羊かん みかん |
年越しそば 天ぷら(エビ、ネギ)、甘酒 |
1/1 | 雑煮 酢だこ 伊達巻 かまぼこ |
煎餅 氷砂糖 チョコレート 甘納豆 リンゴ |
米飯 スパゲティサラダ 肉団子 ポタージュスープ |
1/2 | 雑煮 酢だこ |
クラッカー 羊かん 揚げ煎餅 切りイカ チーズ みかん |
汁粉 白菜漬物 |
1/3 | ラーメン 漬物 |
ビスケット ゼリー ピーナッツ みかん |
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備考 | 朝、夜 食後にコーヒー or 茶あり |
▼会員にとって山だけが生活の総てということではないが、多くの不参加の申し出は、山に対する情熱の薄れを感ずる。雪山への"憧れ、熱意"は強いものでなければならないというのに。だが参加者全員の努力と気力が過去試み得なかった積雪期のバリエーションルートへ、内容的には貧弱かも知れないがともかく試み、達成した今、我々の下山は満足感に満ち足りたものであった。▲