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富士山氷雪訓練
小島 作蔵

山行日 1965年11月21日~23日
メンバー (L)小島、山本(敬)、溝越、別所、牧野、五十嵐、菅谷、山本(義)、斉藤

11月21日(晴)
 夜明けには間があるスバルラインを、トラックに詰め込まれ五合目へ。降りた途端に富士山特有の強い北西の風の歓迎、思わずウヒャー、サムイヨーンッ!てんで亀の子のように首をすくめて、かたわらの茶店にとびこみ、夜明けを待つ。5時頃茶店を出て、幕営予定地経ヶ岳八角堂目指し、暗い夜明け道を歩く。薄明るい山頂付近を望むが雪が全く少ない。すっかり明るくなった八角堂付近に天幕設営し、出発前にアイゼン着脱練習を4~5回行なった後、雪のある七合目付近まで登る。しかし毎年今頃の富士の氷雪訓練は、各山岳団体が定例化している関係で、その人数の多い事。五合目から七合目まで、色とりどりのヤッケ、オーバーズボンの列が続く。我々もその仲間入りをして、我会の親戚に当る石岡山岳会の連中と共に雪面の上に立つ。氷雪訓練の基礎であるアイゼン歩行、滑落停止の練習を行なう。少ない雪を求め、多数の山岳団体が入山しているために、その混雑は激しい。時々強風でバランスを崩した奴が、凄い勢いで滑落して行くのが見える。正に死のスベリ台に、定員以上の人間がひしめき合っている感である。我々がアイゼン歩行訓練を行なっている時にも、1名強風でバランスを崩した奴が滑り落ちて来た。それを止めようとした石岡の連中が3人、巻き添えをくって 一緒に落ちて行ったが、途中でキレイに滑落停止をした。しかし滑り落ちて来た奴は、尚も落ちて行きはるか下のパーティのザイルにひっかかり止った。見ていても危険このうえもなかった。午後2時頃、皆も睡眠不足気味なので練習をやめ、帰幕した。幕営地より見る下界の富士吉田市の夜景が美しい。夕食後、テントの中で色々と話し合う、夜の更けるのを忘れて...。

11月22日(晴)
 今日も良い天気である。近くに三ツ峠、丹沢、遠くには八ヶ岳、南アルプス、そしてはるか遠方には、白銀に輝く北アルプス、眼下には、山中、川口両湖と展望には事欠かない。唯一つ富士の美しい姿が望めぬのが残念である。今日も風が強いのか山頂付近は、雪煙があがっている。
 7時天幕出発、八合目付近にて練習を行なう。昨日よりも高いところで、斜面も幾分急なためか、少々緊張する。滑落停止とアイゼン歩行の訓練を行なう。訓練中、はるか上のパーティが滑落ダーッ!と叫ぶ。昨日の事もあるので皆緊張した顔つきで上を見て、避難の態勢をとる。しばらく間をおいて、岩かげから、すさまじい勢いで人間が跳ぶように落ちてきた。とてもじゃないが、止められるスピードではない。逃げるのがやっと、心配そうな目つきで滑落者のあとを追う。これも下部パーティのザイルにひっかかって止まった。全く今年は、事故が多い。午前は、滑落停止とアイゼン歩行訓練で終了、ここで山本氏と五十嵐氏が下山する。午後より、ザイルを使っての確保訓練、富士の影が山中湖をおおい、はるか遠い山々に達するまで、みっちり行なった。

11月23日(晴後くもり)
 溝越と今朝早く下山をする菅谷を残し、7時天幕出発、今日も八合目付近にて訓練を行なう。什上げの訓練である。滑落停止訓練を行ない始めて、何分もたたない頃、ドドンという音、あわてて上を見たら、キスリングを背負い、アンザイレンをした2人が落ちてきた゜シェーといってあわてて逃げ、2人をやりすごし、流れているザイルをつかんで、滑落者を確保した。2人とも怪我をしているので、応急手当をして練習を打切って、電気大学パーティと一緒に、遭難者2名を佐藤小屋へ降す事にした。
 氷雪訓練にとんだオマケがついたものだと思いながら、この怪我人をザイルでひっぱったり、かついだりして降した。
 予定より遅れ、2時に下山、馬返しより、富士吉田までの裾野歩きは、何回通っても好きになれない嫌な道である。唯みんな黙々と歩いた。それにしても今年は、事故が多かった。富士の山、滑落する人、止める人、そのまた怪我人、降す人、そのまた荷物を担ぐ人、と一人の事故者の為に、大勢の人達が手を貸さなければいけない。我々も今後山に行くうえにおいて充分に注意をして、多勢の人に迷惑をかける様ような事ことのないよう、極力務めるべきである。


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