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八ヶ岳縦走
原口 藤雄

山行日 1965年10月16日~17日
メンバー (L)原口、牧野、浅野、山本(義)

10月16日
 茅野から渋ノ湯行のバスに乗り夜行の疲労でうとうとしながら市街を抜け山の中に入っていく。晩秋の八ヶ岳、空はあくまで清く香ばしい落葉の中を登る。後に霧ヶ峰、左手に蓼科がせり上ってくる。バスの中からの紅葉を凝視するうちに硫黄泉の臭いが強い渋ノ湯に到着する。日影のために寒さが感じられるので、休む間もなく沢を渡り右手の尾根に取り付く。風もなく暖かい陽ざしを背に受けながら高見石への道を左に見送り、右手の尾根を20分程登ったとき、水筒に水を入れるのを忘れ、M氏に依頼して、しばしの休息。激しい登りもなく、枯木のある平坦部から左に道をとり、のんびりと周囲を眺めながら登る。樹林帯の中に入ると番号が黒百合平まで続いている。ヒュッテから岩塊の急登をし、スリバチ池畔に出、その西側の岩稜を通り。天狗岳まで一投足、天狗岳は縦走路上の東天狗と2,645mの三角点を持つ西天狗とからなっている。高見石から茶臼、縞枯、横岳、蓼科までの北八ヶ岳が一望、右下には紅葉の上に映える稲子の岩壁、奥秩父の山々、穂高から後立山の連峰が新雪を被り青空に浮かび上っている。中央、南アも間近かに望まれる。驚ろかされるのは硫黄岳の赤茶けた凄まじい火口壁である。夏沢峠へは、根石岳を越え、広い稜線の這松の中を箕冠山に着く。ここで道は二つになり、右へはオーレン小屋道、左に直角にやがて右に曲って樹林の中を馳け下ると夏沢峠である。夏沢峠は縦走路を隔てて二軒の山小屋が軒を接し、急な岩礫の斜面を1ピッチで硫黄岳に登り、眼前に展開された横岳、赤岳、阿弥陀岳の雄大さにしばし驚嘆し、今日のアルバイトもわずかと先が見えているので、しばしの語らい。横岳への縦走路から大同心に取り付いているパーティを眺め赤岳小屋へと向う。佐久側にガスが舞い上り、太陽が我々を右から照し、ブロッケン現象を作り上げる。目然のなせる技に満足感を味わいつつ小屋に入る。今夜の食事はメンチ丼にギョウザ、窮屈な小屋の泊りは天幕に比較すると雲泥の差がある。素泊り500円、水50円の請求があった。

10月17日
 暗いうちから食事の仕度をする音に眼を覚まし、表に出ると満天の星空に雲一つなく薄灰色の遠くに北アの全山が静かに腰をすえていた。刻一刻と移り変わる色彩の交響なる御来光、人々の顔に喜こびと神秘の思いを心にうえつける。岩くずの急斜面を登り、2,899mの三角点を持つ赤岳山頂に立つ。赤岳山頂の大展望は素晴らしいの一語につきる。昨日と同じく、風もなく雲海が朝の喜こびを伝えるかのように富士山まで届いている。権現が大きく手を広げ、その向うに甲斐駒ヶ岳、北岳、仙丈の南アが望まれる。赤岳からキレットへの下りはぐずぐずのガラ場で慎重に下る。キレットでしばらく森林帯に入り、再び権現岳の山頂まで急な岩尾根の登りになる。ハシゴや手を使わねばならないところがあり旭岳の小岩峰を過ぎると権現も目の前にある。ピークまで往復し、大林止のキレッ卜の彼方に赤黒く、青空にそびえる赤岳が望まれる。権現岳からギボシの岩稜を通過して樹林の中を下れば青年小屋の建つ鞍部に出る。バーナーでラーメンを煮る間に編笠山へ往復する。最後のアルバイトとばかり往復とも馳け足で若さ?を見参。小屋から等高線沿いに編笠山を捲き、長い森林帯の下りを終えると草原に出る。長い林道を下り、林道を横切って小淵沢駅を目指して今回の山旅を終る。

〈コースタイム〉
10/16 渋ノ湯(8:10) → 黒百合ヒュッテ(10:35~10:50) → 天狗岳(11:50~13:00) → 夏沢峠(13:35~13:45) → 硫黄岳(14:25~14:30) → 横岳(15:30~15:45) → 赤岳石室(16:35)
10/17 赤岳石室(7:35) → 赤岳(8:00~8:30) → キレット小屋(9:35~9:50) → 権現岳(11:00~11:50) → 青年小屋(12:25~14:00) → 小淵沢(17:00)

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