山行日 1965年12月29日~1966年1月3日
メンバー (L)小島、野田、横田、原口、山本(敬)、牧野、溝越、五十嵐、山本(義)
1月2日(晴)
今日も良い天気だ。昨日より遅く天幕を出る。北沢峠より左へ尾根道、しかも樹林帯の、とくらあ、のんびりする。左手より北岳がマッターホルンよろしくピラミッド形の姿を見せてくれるなんてェな、なかせるネェ!正に冬山のハイキング。
「帰りは、この道をシリセードだね!」
「アタリキよ!」
「何か今日は、風がねえみてえだな」
「今日摩利支天やりゃあ、よかったによう」
「それにしても駒の頭ァ、ガスッてやんなッ」
「ア、彼奴ら余程ついてないねッ」何て、人間は気楽である。のんびりと雑談しながら登っていたが、樹林帯を過ぎた途端、右手より吹いていたね、思わずヤッケのフードをかぶり、やっぱり冬山だと思い知らされた。もう少しだ頑張れと上に出たトタン(トタンもブリキもないよッ)アリャと思った。小仙丈じゃ仕方がない、目指す仙丈岳は、雪のベッタリついたカールを従え、はるかかなたに鎮座まします、てなもんだ。風を避けて一休み、「カメラのシャッターが凍って動かねえや」寒いから行こうと強風の稜線を、顔半分マヒさせて、何の因果で...と思い仙丈岳を目差す。空はきれいに晴れわたっている。完全に冷えきった身体で頂上に立ち記念写真もそこそこに下山。下山と来ると楽しい、シリセードの出来るところは、ところかまわず、すべり落ちて、登る時の何分の1かの速さで下まで降りた。俺達は、登山を楽しんでるのではなくて、下山を楽しんでいるのか、それも雪のスベリ台を滑って喜んでるんだから、思わずオカシサがこみあげてきた。
1月3日(晴)
また来る時には、笑ってオクレと往路を降りる。一人の事故者も出さずに、下山出来る。この気持こそ、また山に来るんだという気を起させるものでは、なかろうか...ナッ!
12/30 | 戸台(8:45~9:00) → 丹渓山荘(11:40~12:40) → 八丁坂終点(13:30~13:40) → 北沢峠(15:15~16:00) → 幕営地(16:15) |
12/31 | 停滞 |
1/1 | 幕場(7:00) → 仙水峠(7:45) → 水晶沢二俣(8:40~8:45) → テラス(9:30) → 摩利支天頂上(12:30) → 縦走路(13:15) → 駒津峰(13:45) → 仙水峠(14:15) → 幕場(15:00) |
1/2 | 幕場(7:45) → 小仙丈岳(11:00) → 仙丈岳(12:20) → 幕場(15:00) |
今回は、当初の予定では、次表1の通りであったが、天候のためと、夏に一度もやっていず、偵察もしていない所ということに、危険を感じ鋸岳を中止し、表2の通りとした。ずいぶん弱気な奴だと思われても良い。俺は自分のとった処置に対し、はずかしいとは思ってはいない。キザないい方だが、危険と困難は違うということが少し、わかったような気がするんだ。色々いい訳がましいことをいうようだが、俺達ゃ生命が惜しいからね!しかし、残念であった。
12/30 | (先発メンバー 野田、横田、小島) 戸台→丹渓山荘→北沢峠→徳衛小屋幕営地(BC) |
12/31 | (後発メンバー 原口、山本(敬)、溝越、牧野、五十嵐、山本(義)) 先発隊と同行程にて入山、先発隊と合流 |
12/31 | 先発パーティ BC→仙水峠→摩利支天→甲斐駒→BC |
1/1 | パーティをA、B二つに分ける Aパーティ (L)原口、溝越、牧野、五十嵐、山本(義) Bパーティ (L)小島、山本(敬)、野田、横田 A = BC→甲斐駒→BC B = BC→甲斐駒→六合石室(ACとする) |
1/2 | A = BC→北沢峠→仙丈岳→BC B = AC→鋸岳→AC |
1/3 | A = BC撤収、下山、丹渓山荘へ B = AC撤収、下山、丹渓山荘へ 丹渓山荘にてA、B合流後共に帰京 |
1/4 | 予備日 |
12/31 | 後発、入山までは変わらず。しかし、先発は停滞。 |
1/1 | パーティをA、B二つに分ける。メンバーは表1と同じ。 A = BC→仙丈岳→BC B = BC→摩利支天→BC |
1/2 | A = BC→甲斐駒→BC B = BC→仙丈岳→BC |
1/3 | A、B共に下山 |