トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ193号目次

楢俣川狩小屋沢
小島 作蔵

山行日 1966年7月3日~4日
メンバー (L)小島、他1名

7月3日(曇のち雨)
「到頭やっちゃたなア」
「ああ、あそこの高巻きの時にこの尾根に取付かずに、また沢に降りて沢を詰めて行けば良かったんだよ」
「だけん、この雨じゃ、例え沢を詰めてももっと惨めな状態だったかも知れんしな」
「だいたい俺達ゃ、この山を甘く見てたよな」
「このままこのガスが明日も明後日も晴れなかったらどうしようか、このままじっとここに居るか、それとも強引にこの凄い藪を掻き分け上に出るか、それとも下に降りようかね」
「そうだな、ここに居たらヘリコプターで捜しに来ても判らんねェし...」
「まあ先のことを心配してもしかたがねぇよ、先ず濡れた物を乾かしてゆっくりと休もう、そして明日に希望を持とうや...」
 古い松の根元でツェルトを被りガタガタ震えながら、こんな所でビバークしようとは今朝、湯の小屋を出発する時、誰が予想しただろう。しかし、現にビバークをしている。焦りと不安で何かしゃべっていないと気持ちがいらいらする...。
 霧が立ち込める湯の小屋を出発し、釣人が2、3人いる同元の滝を左に見て、森林鉄道跡の平らな道をゆっくり歩き、営林署小屋の裏手より楢俣川沿いの道に入る。不気味なほどに静かな道である。道は二つに分かれ右手に道を取り尚も行くと、自然と狩小屋沢に入った。沢は水量が多く溯行にはかなり苦労した。大きな滝は高巻き、小さな滝は越しぐんぐん高度を稼ぐ。沢は暗い感じの倒木の多い、あまり気持ちの良い沢ではない。
 雨も降り出し余計に気が滅入ってくる。行く手が倒木に遮られた。仕方なく尾根を高捲くことにする。丁度うまい具合に踏み跡もあり、針金がフィックスしてあったのでそのまま尾根に取付き尾根を詰めて、一気に稜線に出ようと藪を漕ぎ出した。高度は稼げるがこの藪の物凄さ、熊もベトコンも嫌がって避けるような感じ。身体はずぶ濡れ視界は全然利かず、しゃにむに上に行こうとするがエネルギーの消耗の割にははかどらない。とうとう頭上を岩と大きな木の根に阻まれ進退窮まってしまった。この頃にはかなり疲れ、濡れた衣類は体温を奪い思考力が鈍る。同行の林君(会社の友人、千葉山岳会員)と相談のうえビバークすることにした。午後3時である。

7月4日(曇)
 昨夜は寒さ厳しく殆ど眠れないままに朝を迎えた。不安と期待の入り混じった気持ちでツェルトのベンチレータより外を見る。一面のガスである。
「どうする、今日もあまりかんばしくねえな、強引に登るかい」
「こんな所じゃたとえ死んでも見つかりゃしねえぞ」
「冗談じゃねえや、こんな所で死ねっかよ」
ツェルトの中に居るといらいらするんで、外に出て傍の高そうな木に攀じ登り、じっと稜線らしき方向を見る。約30分、じっと見ていたがガスが段々と吹き上げられ、上部が薄っすらと見えた。
「林君、上が見えたぞ!大分まだ上だよ、何だすぐ右に沢があるんだよ、ヨシ登ってこいよ」
彼も木に登り上を見る。天気は段々と好転し太陽が顔を出した。思わず、抱き合って喜んだ。
「ヨシ、頑張って登ろう」と急いで用意をし、右手の沢に入り再び藪に入りぐんぐん高度を上げ、薮を抜け腰くらいの這松帯を抜け、ビバーク地から4時間後に稜線に到着した。至仏山頂も5分くらいで行けるところに見えていたが、疲れていたので止めにして稜線上の道(道というのは素晴らしきものなり)を鳩待峠へ下った。仏に至る山トハ...。

〈教訓〉
 至仏山頂西側の沢に入るにはツェルト、バーナー、つまりビバーク用具は必ず持参のこと。沢は水がない所まで忠実に詰め、絶対尾根に入らないこと。入山日数は最低2日、余裕をもって3日が理想である。
 要するに決して無理をせず、山の常識を守ること。今回はそれを守らず危険な目に遭った訳である。またこの辺の沢、川は「いわな」が良く釣れるとのことである。営林署小屋は泊まれる。

〈コースタイム〉
7/3 湯の小屋(6:00) → 洞元の滝(6:08) → 営林署小屋(7:08) → 狩小屋沢(10:40~11:00) → ビバーク地点(15:30)
7/4 ビバーク地点(10:30) → 稜線(15:10~15:30) → 鳩待峠(17:30~17:45) → 沼田駅(19:15)

トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ193号目次