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尾瀬沼~尾瀬ヶ原
佐藤 史子

山行日 1966年7月16日~18日
メンバー (L)原口、椎名、小林、佐藤(史)

7月16日 小雨
 明け方より小雨にて幸先悪し。大清水にて朝食。登山者もまばらになった頃、何となく上がりそうな空模様に期待をかけ、登り始めたのです。大きな広葉樹林の陰からは、小鳥の澄んださえずりが聞えておりました。
 片品川を越え、冬路沢を渡る辺りで小休止。私は肩の痛みと前腕のびりびりした痺れとでグロッキー、ザックを下ろした途端、私の背中はこんなに軽かったのかしらん。手の切れそうな流れで顔を洗うと眠気も取れ、生きた心地が致しました。また、張りつめた気持もとれ、辺りの景色も少しは目に映るようになりました。岩清水を越すと、次第に木々も移り変り展望も開けて、赤城山や、上州武尊らしき山々が霧にかすんで見えます。やがて緩やかな道は三平峠にと着いたのです。
 峠を後に下り始めると、原口様この重いザックを10分ずつ背負おうではないかと言い出し、私たちも、あまり重い物を一人ではと、また経験だからと背負うことになる。最初小林さん、正確に10分、すごく強いんです。さて私、うーん、腰がフラつき歩けないわあぁー。3分もたたないうち敷木が雨に濡れていて、スッテンー。もう嫌、起き上れないんだもん。転倒した途端情ないやら、恥ずかしいやら、もう帰りたくなってしまいました。しかし、その頃には赤い屋根の尾瀬沼山荘が姿を見せてくれた。
 湖畔に沿った小道に入ると足下には。開花期は過ぎたが優雅な水芭蕉、艶やかなヒオウギアヤメ、可愛いいリュウキンカ等が咲き乱れ仰げば雄大な燧ヶ岳が沼に映え、神秘さを漂わせておりました。天幕は長蔵小屋の幕場に設営しました。その奮闘ぶりは御想像におまかせ致します。ひと休みして、さて燧ヶ缶へ。原生林は、緩い登りの連続です。登るに従い、利くはずの視界は利かず、またも霧がかかって来ました。雨は激しく、七合日付近にて引き返すことになる。下りは長く道はぐちゃぐちゃ、癇癪が起きそうでした。やっと迢に出ると、生い繁った草の緑、雨に揺れる水面が美しい調和を見せて幻の世界を彷徨っているようでした。今出て来た森は小暗く影を落し、山は相変らず白いベールを垂れていました。

7月17日 晴のち雨
 5時起床。林の空気は冷たく爽やかでした。早々に、一日遅れて発った4人さんいらっしゃる。くたびれたでしょ、御希望に沿いまして、朝食は"ひやむぎ"皆様よくお食べになった御様子です。
 今日は、鬼怒沼に行く予定なれど、皆気が進まず、尾瀬ヶ原一周と変更。小舟にて沼尻へ、岸には、赤い屋根が、草の緑が、白い雲が、山の青紫が、消えたり現れたり華かに沼の水を染めていた。4キロの道を下り切ると、広々とした尾瀬ヶ原、彼方には秀麗な至仏山を望むことが出来た。龍宮小屋にて帰る方々と別れ、のんびりと散歩です。椎名さんはお花の先生、池塘に浮かぶオゼコオホネや、ヒツジグサ、風にゆれる日光キスゲ、見渡す限り緑の絨毯には様々な花が咲き乱れています。窪地には小川が流れ、ドーナツの池やエメラルドの泉の探検です。牛首の手前で右に折れヨッピ川の吊橋を渡り、東電小屋を一通り、下の代十字路を経てもと来た道を急ぎました。誰も話をしなくなり、黙々と登るのみです。風を通さぬカッパは暑かった。

7月18日 雨のち晴
 今日で予定日数も終りというのにこの雨ではどこへも行けず、天幕にてゴロゴロ。
 さようなら尾瀬沼、また来る時には笑って下さいね。来る時とは異なり燧ヶ岳も沼も煙り静り返っていました。
 私にとっては、初めての天幕生活にて、期待よりは不安が強く無我無中の3日間でした。


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