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鷹の巣B沢
播磨 忠

山行日 1966年8月6日~10日
メンバー (L)小島、野田、原口、牧野、小池、五十嵐、山本(義)、椎名、佐藤(史)、播磨

 10時頃BCを出発、岩のゴロゴロした歩きづらい河原を鷹の巣B沢へ向かう。真夏の太陽が容赦なく照りつけるうえ、無風なので焼けるように暑い。本谷から分かれて鷹の巣沢へ入り、間もなくA沢を見送って尚も行くと、B沢と滑滝で入ってくるC沢との出合に到着。ここには瀞などあって休むのに格好な場所なので一本立てることにする。全く良い天気である。
 まだ1時間と歩いていないのに、夜行の疲れと暑さのため大分バテ気味、だるい体を奮い起こしていよいよB沢へ入る。幾つかの滝を快適に越して行くと、いよいよ傾斜も増してどこが滝だか分からないような岩の斜面が何処までも続いている、その上を一条の水が申し訳程度にちょろちょろと流れているが、暑さのため生ぬるいので涼を呼ぶには程遠い感じである。
 一ヶ所ザイルで確保してもらって攀じた滝上でランチタイムとする。本日のメニューは何かな?皆が食事をしている間に雲行きが怪しくなり、一転俄かに?き曇ってきたので、早々にそこを辞して尚も登る。そこからはさしたる困難な所もなく、岩の斜面を両手両足を使って急登行、やがて沢が二分するので右を取って尚も登ること暫くで岩の斜面も終わり、水も涸れそうに一筋の流れとなって藪の中へ消えている。ここからはいよいよ藪と急な草付が始まる。稜線まで僅かだと思っていたが疲れた体には大変長く感ずるものである。距離としてはそれ程ないのであろうが、薮と浮石の多い所を落石に注意しながら、上に見える岩峰目指して黙々と登る。やっとの思いで草付の下へ出る。上部はガスのため稜線も見えず、踏み跡らしきものを拾って尚も登るが、気ばかり焦っても足がついて行かず、ずり落ちそうな急な草付を四つん這いになってひたすら登り続ける。大分アゴが出てきた頃、ガスで展望の利かなくなった稜線へ這い上がることができた(多分4時頃だと思う)。
 少し前まではもう二度と山へなど登りに来るものか!と思いながら、ヒィヒィ言っていたのが、登り終わるとそんなことは一切忘れて鼻歌の一つも出ようというもの、三々五々タバコを喫む者、パンを食べる者、水を飲む者等々、この一刻楽しそうな顔が並ぶ。
 帰りはオジカ沢の頭を経て中ゴー尾根を下降、幕岩を見ながら暮れ色迫る中を7時近くにテントに帰着した。

ヒツゴー沢
浅野 圭子

メンバー 原口、牧野、播磨、別所、小池、山本(義)、佐藤(史)、浅野

 これ程実力の差をマザマザと見せつけられた山行はなかった。豪雨で水浸しになった自宅の階段を上るくらいにしか感じない人もいたようだし、あたかも厳冬のアイガー北壁に挑んでいるかのような錯覚を起こしていた人もいたらしい。こうなると山の難易なんて主観的なものに過ぎない。

 いや、凄いのなんのなかった。ショッパイなんて言うナマッチョロイ表現じゃ駄目だ。実に生死を賭けた登攀であった。コースタイムどころじゃない。景色?高山植物?そんなのどうでもよい。前日、会社の連中の羨望のまなざしを尻目に、行って来るぞと勇ましく出かけてきた自分であるが、F1で不覚にも転倒して以来、すっかり怖気づいてしまった。しかし、F1で引き返すのはあまりにも情けない。なにくそと思ってお腹に力を入れて前方の岩を睨み付ける。だがビクともしない。誠に大胆不敵な憎き物体である。
 進むに進めず、戻るに戻れず、絶望的になること数回。幼き頃、そう可愛い幼稚園の園児だった頃、欄干のとれた橋を渡り始めたが怖くて真中辺でしゃがみ込んで泣き出したことがある。その時は誰かが飛んできて手を引いていってくれたのだと思うが、今ここで同じ動作をやっても成功しそうもない。とすると死を覚悟で進むより他に道はない。こんな岩場で19の(でしたっけ)あたら命を...と思うと色々なことが脳裏をかすめる。誰かにお金を貸していなかったろな、第○回目の初恋の人、私が死んだら泣いてくれるかしら...etc。
 これ程の恐怖の中にあっても幸福感はあった。自分の存在そのものが他の方々の迷惑になっていること、行動を鈍らしていることは火を見るよりも明らかなのに、誰一人としてさげすみの目つきも迷惑そうな顔つきも、(愛のまなざしも)向けなかった。その寛大なる精神、世のご老人方よ、当世の若者を嘆く必要はありません。怪我一つせず無事「魔の谷川岳」から帰還できたのも、ひとえに同行の諸兄姉の助けがあったればこそ。ここで厚く感謝の意を表し、山行報告とさせていただく。(おわり)

 筆のはずみで多少オーバー気味になったらしい。1割~2割引きで読んでいただけたら幸いである。

鷹の巣A沢
野田 昇秀

メンバー 小島、牧野、椎名、山本(義)、佐藤(史)、野田

 8月8日、今日も快晴である。真青な空の中を谷川の本流から鷹の巣沢へ。A沢へとゴーロ歩きを続けると、広かった沢筋も急に狭くなり幕岩の丁度後ろ側、峭壁門に着きました。最初の滝を小島さんの肩を借りてズリ上がるとズタズタに裂けた雪渓が上部まで続いていました。雪渓の上をキックステップで登って行ければ早く稜線に出れるのだけれど、あまりにも危険が多過ぎる。事実10時頃、目の前で雪渓が大音響と共に崩壊したほどでした。私達は右岸の岩場をザイルを付けて、カニのように横に横にと二俣まで沢に降りることなくトラバースして行った。浮石が多くザイルが触れただけでガラガラと音を立てて落ちていく嫌な場所でした。二俣から岩と雪渓でできたトンネルを潜り抜けて右俣に入りました。
「もう終わったようなものさ、後草付を1時間も登れば稜線さ」とザイルをしまい込んで鼻歌交じりに登り出したのも束の間、すぐに15mほどのチムニーの滝に行く手を遮られました。中ほどまで登ってみると意外に手強い。ザイルを付けてから改めて登り直しました。5mほど直登してから右側の洞穴を腹這いになって横切り、被り気味の草付を強引に登るとその上はツルツルのスラブでした。小島さんはスラブの上で、私はスラブの末端で万全の確保体勢をひいてから、当会の優秀な女性クライマー、椎名、佐藤さんが登り、牧野、山本さんが登ってきました。10m程のスラブはホールド、スタンス共にほとんどなく悪さに悲鳴を上げながら登りました。この上から草付に入りましたが急傾斜のためザイルを2ピッチ使用したほどでした。
「4時間もあれば稜線に出れるさ」と軽い気持ちで取付いてもう何時間過ぎたことであろうか。太陽は既に西に傾き夕暮れが間近に迫っているのに私達はまだ草付の中で悪戦苦闘を続けていた。足の下に見える二俣のBCを恐る恐る見下ろしながら草付を右に左にと登り、やっと幕岩尾根に出た時は正直に言ってほっとしました。稜線で小休止後、今日中に帰京する小島、佐藤さんは中ゴー尾根を下って行った。私達4人は欲張ってオキノ耳まで登りました。雲海が山の中腹を覆い、夕焼けが空を真赤に染める中を今登ってきたA沢を懐かしみながら天神尾根からもう真暗にになった巌新道を下ってBCに帰り着いた。

〈コースタイム〉
BC(6:00) → A沢(6:15) → 第一の滝(7:20) → 二俣(11:00) → チムニーの滝上(14:00) → 稜線(16:20) → トマノ耳(17:50) → BC(19:25)

夏山合宿の感想
小島 作蔵

 今までの夏山合宿とは大分違った感じの合宿だった。先ず場所が谷川岳という地理的に近かったことから、多くの参加者があったことは社会人山岳会の大きな特徴を表していると思う。と同時に、今後の合宿計画の良き参考資料となると思う。
 また、登りは全て沢を登ったこと、これらは谷川岳という山の特徴を表していると同時に、各会員の技術がそれだけ上がっているんだと判断したい。もっとも中には、毎日続く猛暑に耐えられなかったためかザックを背負い、重い登山靴を履き、おまけにヘルメットを付けたまま滝の中に飛び込み、耳の中に水が入って片足で跳ねていた人達もあったとか(それは落ちたんじゃない、もしかしたら)。山に来て水泳ができたために無事だったなんてえのは楽しいやね。沢登りのための必須条件、一つ水泳ができること、という新発見は何が収穫だってこれほどの収穫はなかったね。
 マッ、色々あったが今回の合宿は苦しかったし、楽しかった。第一、天気が実に良かったからねっ(誰かに対しての皮肉ではないよ)。


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