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笠ヶ岳・朝日岳
野田 昇秀

山行日 1967年5月1日
メンバー (L)野田、別所、鈴木、今村、黒須

 5月1日、皆下山して5人になってしまった。激しい訓練の2日間を終えて身体が痛い。息抜きに笠ヶ岳へ行くことにした。
 B.Cから湯檜曽川沿いに雪の道を1時間ほど歩くと大倉尾根の末端に出る。夏道がわからずに主稜と思われる尾根に雪橋を渡って取り付いた。かなり急傾斜の雪壁をステップを切って30分程登ると石楠花の密林に出る。悪戦苦闘30分で雪稜となり雪の消えた尾根には夏道が出ていた。1P1時間50分のガンバリで笠ヶ岳山頂に着いた。今日帰京する黒須君は白毛門から土合へ下山していった。私達4人は蓬峠まで行くことにした。晴れていた空には巨大なレンズ雲が現れ、雲堤が空を暗くした。完全に前線の通過である。朝日岳に登る頃には横殴りの雨に叩かれた。もどろう。そう考えてみても大倉尾根は下部の雪壁が危険だし白毛門を越えるのは遠い。このまま進んでもそれほど時間の差はあるまい。多少の不安があったが行くことにした。
 視界ゼロ。唯ひたすらに先行パーティのトレースを追って行った。沢に下っている。あまりに下り過ぎるので私達はガスの切れ間に見えた送電線の鉄塔目指して登った。もう一つ送電線を越せば七ツ小屋への登りになる。猛烈な藪に出る。しばらく藪漕ぎをする。雪の上に出る。雪の上を歩く。これを何回か繰り返した。何時間登っても道には出なかったし、指導標もなかった。気が付いた時はもう遅かった。全身ずぶ濡れ、風には煽られるし疲労している。食料も着替えもない、疲労凍死の条件は揃った。残るのは精神力だけであった。夕暮れが間近に迫り焦りに焦った。雪渓をグリセードで下りたい欲望を必死になって抑え、黙々と登り続けた。
 5時を過ぎて道が判らなかったら雪洞を堀ってビバークにしよう。でも一夜をガンバリ通す自信はなかった。皆そうであろう。バテたと一人として弱音を吐く者がいなかったのがせめてもの慰めであった。死が幾度となく頭の中を横切る。同行の3人には何と詫たら良いであろうか、まして両親には、会にはさぞ迷惑をかけるであろう。この上に道がなければ全ては終りである。時間切れ寸前で登り着いたピークの上には何と朝日岳山頂との指導標があるではないか。やった。リングワンデリングをやってしまった。
 どうしてと考えるより、道に出た方が嬉しかった。明日ゆっくり反省しよう、今は無事にB.Cに入ることだ。風雨は相変わらず強いが、もうB.Cは近い。大倉尾根の下部の雪壁を嫌って、左側の藪の中を下って行った。もう二度とこの誤ちを繰り返すまい。肌で悟った山の恐ろしさを忘れずに、よリ安全な登山をしようと心に誓いました。

〈コースタイム〉
5/1 B.C(6:20) → 大倉尾根取付(7:20) → 笠ヶ岳(10:30~11:00) → 朝日岳(11:45) → B.C(20:35)

堅炭岩KⅢ右支稜
別所 三郎

山行日 1967年5月3日
メンバー 小島、野田、牧野、別所、鈴木

 もしかしたらKⅢリッジをやれるかも知れないと思っていた。もう4ヶ月近く山肌を味わっていない。山好きな者なら誰でも味わうであろう、あの「山に行きたい!」気持で心が占領されていた。その思いが僕にクレッターシューズを買わせたに違いない、軽くて調子の良い靴は4日間実力以上に僕の足を雪渓、尾根、岩稜にと導いてくれた。
 さて谷川春山合宿最終日、テントキーパーに今村君を残し、小島、野田、牧野、別所、鈴木のメンバーで堅炭岩尾根の末端を芝倉沢から取り付く。最初から物凄いブッシュ、1時間あまり頑張ったがはかどらないので芝倉新道へ出てしまう。
 9時30分、3日前に7人の侍と登ったKⅢ・KⅣのコルに着く。先日、ガスの中をビナ通しで登ったαルンゼを小島さんと僕で3ピッチほどかかり草付きのトラバースを経てKⅢ右支稜取付き点まで下る。ここから見上げるとコースは右側へオーバーハングの手前までリッジ通しに進み左へ急折してスラブを横切って蒼い空で切れていた。
 小島さん、トップお願いします。僕の声は少し震えていた。「ここまで来てしまえばもう引っ込むことは出来ない」ザイルを手繰る手は幾分堅くなっていた。リッジの右にザイルが伸びて10mほどで止まった。小島さん「いやな所だな」ザイルがまた伸びて30mほどで「オーイ、登って来ていいぞー」の声、動き易いように張られたザイルに導かれて10m登るとハーケンが二つ打ってある、そこから急に左に曲がっていて小島さんの顔が見えた。ビナを外し、小島さんがグリップビレイをしている所まで行き、そのままトップに替わり左上にスラブをトラバース気味に登り、草付きのバンドに出る。途中ハーケンを一つ打ちバンドを回りこんで楓の木のあるテラスに出る。ここまで取付から2ピッチ、小島さんを確保し、すぐ確保してもらい外側に拡がっているチムニーに取付き、上部は詰まってオーバーハングとなっている。ほぼ直角に近く拡がっているのでフリクションを使うと外に飛び出しそうになりながらハング下まで登る。右側にハーケンが打ってありアブミをかけ、20分ぐらい奮闘の末どうにか乗越す。ハングの上にはチムニーが3mほど続いておりそれを登り終わると大テラスに出た、木の根にセルフビレーをして「いいぞうー」の声をかける。ここからはKⅢ・KⅣのコルが見える。
 野田さんから「どうだい」の声、牧野氏は岩壁に寄りかかって昼寝と決め込んでいる。後は1ピッチだ、大ハングの左を回り込みしっかりしたホールドの続くリッジ状を登り切りKⅢの頭に出て、初めての本格的な岩登りを終えたのであった。

堅炭岩KⅢ右支稜略図
堅炭岩KⅢ右支稜略図

〈コースタイム〉
5/3 B.C(6:30) → 芝倉沢(7:00) → 堅炭岩尾根取付(7:30) → 芝倉新道(8:30) → KⅢ・KⅣのコル(9:30) → KⅢリッジ取付(10:30) → KⅢの頭(12:10) → 芝倉沢(13:30) → B.C(13:45)

春山合宿を終えて
小島 作蔵

 雪渓訓練、岩登り訓練、そして普通の登山が出来て、多数の人が参加できる合宿にしたいと、欲張った計画のもとに、谷川岳を選んだ、条例の問題等もあり、心配したが、何等不便も感じず、成功のうちに、合宿を終えたと思う。昨年の夏山合宿の時も、多数の参加者を見たが、これからの合宿は距離的な問題が、合宿の成功を左右させるのではないかと思う。
 これからの合宿の際、ただ山に登るだけではなく、幕営生活の面からも色々と工夫をしていきたい。多少の苦しいことでも後から想い返して「あの合宿は辛かった、しかし、テントへ帰ってからは楽しかったな」と思われるように。


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