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奥秩父縦走

山行日 1967年5月21日~23日
メンバー 佐藤(史)、小倉、小林

5月21日(晴)(記録: B)
 念願だった奥秩父縦走は温かい見送りに勇気づけられ汽車が新宿を発車と同時にスタートした。心配された天気も金山峠にて車を降り、朝日に輝く新緑に目と奪われた途端忘れ去った。瑞牆山荘はバラック造りでしたが白樺と萌える若葉の調和が美しい。目の前に切り立った瑞牆がぐんぐん迫ってくる。山荘前より里宮坂の急坂で重い荷が貨にくい込み一汗かき、やっとの思いで見晴台に出る。瑞牆は眼前である。トップAは快調、Cはバテ気味。朝食はスタミナをつけなければと詰め込めるだけ詰め込む。そこから間もなく富士見平で奥秩父特有の原生林へと様子は変わり飯盛山、高見岩の鞍部を越えると大日小屋に着いた。Aは水汲みにCはよほど堪えたらしく横たわっている。Bは荷物を出したり入れたり大分パッキングがうまくなったらしい。
 大休止の後、御利益あってたいして登りも苦にならず大日岩に出た。雄大な岩を背景にカメラに収まる。学生のパーティが歓声をあげながら抜いてゆく。神風登山である。我々はマイペースで先程の学生の休んでいる前を一寸お先にと言わんばかりに通り抜け、いよいよ今日のピーク、千代の吹上げの登りに入る。バテ気味な身体を労りながら登りきると冷たい風が頬をなで、気分を爽やかにしてくれた。この辺りの池から残雪があり期待していた石楠花は固い蕾で花には早い。金峰小屋を経て五丈岩のある頂上へ、第一の目的地に着いた嬉こびを分かち合う。大弛小屋まで時間はたっぷりありそうだったのでのんびりと下る。
 夕食は苦心の献立?味もばかにしたものではありません。空には星がいっぱい、明日も天気が良さそうです。

5月22日(晴) (記録: A)
 全く行いの良い女性ばかりと見えます。何故って、今日も快晴ですから。早朝大弛小屋を出発、朝の冷気は肌に爽やかに染み渡ります。今日も快調なB、Cさんに押され、私も俄然ハッスルし国師ヶ岳へ一気に登る。富士がかすかに望まれる。石楠花新道への道を右に見ながら少し下り、朝食のため大休止。今朝のメニューはビタミンABC以下豊富なカロリーと栄養を含むものばかりです。女性だけですのでやることはとても上品、さあスタミナ付いたところで出発しましょう。縦走路には雪がだいぶあり、かわりばんこに滑ります。途中、新人訓練らしきパーティに出会いました。新人一人に一人先輩がついてしごき棒を持っているのには驚き、ちょっぴり気の毒な気がしました。
 厳しい登り下りの路もいよいよ大詰め、富士見台、水師と急なガレ場を休み休み登ると甲武信ヶ岳でした。時は2時近く、ここからの展望は素晴らしい。今まで見られなかった数々の山並みを提供してくれた。一休みし、甲武信小屋へ下り本日の宿とする。小屋はきれいで番人は親切な人でした。人が少なかったせいかお風呂までいただき恐縮してしまいました。そのせいではないが、秋には再び甲武信に来ようと決めました。

5月23日(晴) (記録: C)
 4時30分だという日の出に間に合うよう甲武信岳へ急登、明けてくる空に富士が映え周囲の美しさに夢心地です。しかし現実は厳しくお互いにムーンフェイスです。慣れぬ山行の疲労と睡眠不足が主な原因と思いますが。
 頂上には別れ難いが再び原生林へ、森は静けさをたたえ一行を包んでくれた。苔むした倒木や羊歯の繁りに気取られてるうちに三宝山到着、展望は180度、西に八ヶ岳、南ア、昨日歩いた縦走路、あと判りません。"きれいだなの"一言で十分です。
 そこからは緩い下りの連続で武甲白岩で休み大山まで岩場でちょっとスリルを味わいました。大山から十文字峠は軽快な下りである。私達は左へ折れた。景色も気温も低山風に変化した。小屋近くでようやくあずま石楠花を見た。それもほんの少し。まだ寒いんだなあと思う。日溜りで最後の自炊、感慨深い。
 白泰山まではだらだらと長く蒸し暑い。"この芋っ葉め"当るものがないので足下にの葉に当たる。それでも頂上からの眺めは雲取、笠取と奥秩父の山並みが素晴らしい。ここまでくれば栃本へもう少し。疲れた足には平坦な道も地獄のようでした。その上A、Bは私が蛇嫌いと知ってか知らずか、そっと避けて歩き、そんな事とは知らない私、最後から真中を歩いたからたまりません。一尺もある蛇が目前をガサガサ、キャアー。3年は寿命が縮まりました。
 しかし楽しいことが多かったこの山行、女性全員ゆくことができたら良かったのになあと思いました。

※女性だけの例会山行です。名前は3人で伏せました。勝手に御想像下さい。


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