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立山・剱岳
原口 藤雄

山行日 1967年8月6日~8日
メンバー (L)原口、他1名

8月6日
 富山電鉄、ケーブルに乗り継いで美女平に着いた。バスの整理券をもらう、展望台にて景色を眺めるのも束の間、乳白色のガスに包まれ視界は遮られてしまう。やっとバスに乗車、弘法、追分、弥陀ヶ原を過ぎる辺りからガスが切れ始め、バスは右に左にと大きくカーブを描き、コバイケイソウの群落が美しく咲き誇っている。横に大日の山がどっしりと構え、前方に立山三山が緑と雪渓のコントラストをなし浮かび上がってくる。
 小1時間ほどで室堂停留所に到着。荷物はとうに降ろされて待っていた。38kgの荷はどっしりと肩に食い込むようである。みくりが池でブドウを冷やし昼食にする。頬を撫でる風が心地よく、しばしの眠りを誘うようである。地獄谷の原を通り抜け、雷鳥荘の前を過ぎて浄土川に掛かる橋を渡った所でポツポツと降り出してきたので、急いで雷鳥平に天幕を張った。張り終わったら青空が広がり、太陽が夏の息吹を与え、いたずらに登るばかりが能じゃない、優しい草花と語り合い、山々の霊気に満たされて自然の大いなる恵みを受けなさいと誘ってくれるようで、動くのが億劫になりしばしの憩いの一時を得た。雄山の山荘に明かりが灯り、あちこちの天幕からメロディが流れてくる頃、満点の星空が明日の天気を約束してくれるようであった。

8月7日(晴)
 雲一つない立山の冷気に促され陽が射し始める少し前、天幕を後にして別山乗越目指してジグザグを繰り返すと、汗もかかずに1ピッチで乗越に着く。雲海が出始め、その向こうに能登半島が見え、日本海と空との境が妙なる色彩を醸し出している。後立山連峰、立山三山が目の前に、その右、浄土の間に薬師がどっしりとした勇姿、大日の山々、今日の素晴らしき天気に心も軽く、尾根通しに剱に向かう。大きな上り下りを2~3回繰り返すと前剱で、そこで鶏の唐揚とフランスパン、メロンで昼食。剱はその先に奇異な感じを与える岩肌が青空にそそり立ち、雪渓が遥か下の方に広がり、カニの横ばいともう一つの鎖場を越すと剱岳で、下りは長い行列が順番を待っていた。
 山頂の展望は申し分なく、北の全山が眺められ、白山の山塊が雲海の照り返しの中にポッカリと浮かび上がり、眩しいくらいの太陽の反射がある。しかし、足元は空き缶が岩の間を埋めていた。
 頂上の眺めを後に帰りを急ぐ、鎖場は先程の混みようもなくスムースに通り剱山荘を通り、別山乗越まで緩いトラバースを続けるのみで楽しい散歩道である。高山植物が咲き乱れ、小鳥の声に耳を貸し、喉が渇けば雪渓の冷たい水が待っている。
 別山乗越から別山を通り夕日を浴びながら真砂岳の手前にある尾根に付けられた大走りの下りをのんびりと歩いて天幕に着いた。

8月8日(晴)
 今日も天気が良い。浄土川の室堂から一ノ越へ行く道の反対を通り、のんびりと一ノ越へ、雷鳥が私達の足元から現れては飛んでいった。一ノ越から雄山まではすごい人の行列で登る気がせず、後立山から槍ヶ岳、その右に美しい曲線を見せる笠ヶ岳の山並みを眺め去りし日の思い出に浸り、当分来られないであろう山々をしっかりと目に収め、しばしの休憩の後、8年前の幼かりし時にここに来た時のことなど思いはかりながら、もと来た道を天幕に帰り、エアーマットを出して昼寝をきめこみ、室堂から午後のバスで帰路についた。

〈コースタイム〉
8/6 富山(5:38~6:25) → 千寿ヶ原(8:35~9:10) → 美女平(9:17~10:10) → 室堂(11:20) → みくりが池(11:40~12:00) → 雷鳥平BC(12:50)
8/7 BC(6:20) → 別山乗越(7:50~8:20) → 前剱(9:40~10:30) → 剱岳(12:30~13:05) → 前剱(14:55~15:15) → 別山乗越(16:50~17:00) → BC(18:45)

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