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『岩つばめ』200号に寄せて
宮坂 和秀

 岩つばめが発刊されてから200号に達した。当会の創立者の一人であり、現在の代表者でもある私にとって一入の感に堪えないものがある。想えば昭和8年10月に会が創立されてから今年で34年も経過した。10月の何日であるかは忘れたが、私と高木真次郎(既に死亡)と森瀬茂の三名で秩父の三峰山へ登ったのが「三峰」の名の起源である。三峰山から雲取山、七ツ石と歩いて氷川へ下った。
 何か会でも作って山々を踏破しようではないかということで歩き歩き考えたが、なかなか良い会名が思い当たらない。私の発案で三峰へ登ったことでもあるし、この三名を三つの峰に例えることにしようではないかという訳で「三峰会」と名付け、出身校の都立第一商の同期会の一部門として発足した。
 当時の会報の名は「岩つばめ」ではなく「三峰」であった。少人数で始め、同期会では会員数の増加は望めないので、間もなく一般市中団体に発展することにして、会名も「三峰山岳会」と改称して現在に至っている。長い年月の間には栄枯盛衰は世の習いとは言え、色々なことがあった。遭難事故のため危機に瀕したり、戦前出版物法に触れて警視庁に呼び出されてお目玉を食らったり、会員の殆どが応召軍人として戦地へ行ったりして機能が停止したこともあった。
 私は丹沢が好きで盛んに歩いていた時代には、丹沢の「三峰」と言われたほど会員の多くが丹沢に入ったことがあった。どこかの沢を遡って尾根に立って「モートー」を叫ぶと別の沢から「モートー」が返ってくるといったことも稀ではなかった。
 最後に「モートー」の語源について一言。私が別にやっていた「猛登会」と言うのがあり、コールに「モートー」を使用していたが、この会が解散したので譲り受けたのである。さて話が横道へ脱線したようなので元へ戻そう。会報の「三峰」は年報ということにして、毎月速報的に発行されたのが現在の「岩つばめ」の前身である。その岩つばめが200号を迎えるようになったのである。
 私としては前にも述べた通り一入の感に堪えないと同時に年報の「三峰」も早く出したいものと思う。


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