編集の方から「思い出の山」を書け、と言われたのですが、今まであまり熱心に山へ行かなかったせいか、思い当たる山がありません。これから作るように努力しようと思いますので、初山行とさせて頂きます。これも初山行と言えるかどうか。
私は運動神経が鈍かったせいか、小学校の時分から、他の者が喜ぶ体育の時間をあまり嬉しく思わなかった。そのせいか当時は体も弱く、年中青白い顔をしていたようだった。そんな風だから勿論、山登りなどということは後にも先にも四年生の時の遠足で、栃木県の大平山へ行ったことしかなかった。
小学校六年の時だったと思う。家の親戚が佐渡の両津市にあった関係で、夏休みに遊びに行っていた。ある日、親戚の若い者が、ドンデン山へ連れていってやると言ったので、ついて行くことにした。佐渡には有名な金北山(最高峰)があるが、当時頂上にはレーダー基地が出来ていて、相川方面から自動車道路が上って来ていたので、面白味がなくなっていた。ドンデン山は金北山と尾根続きであるが、山頂には池もあって牛や馬が放牧されていた。
さて当日早朝一同勇躍両津を出発、その時の服装は、ズックの運動靴に白のトレーニングパンツ、腰に手ぬぐいを下げ、上は開襟シャツに学帽をかぶり元気いっぱいでした。町並みを抜け、川に沿ってつけられた自動車道を登って行くと、佐渡唯一の水力発電所の前に出た。そこから暫く登った貯水池の所で車道は終っていた。そこからは山道となって、山腹を絡みかげんに登って行く、道に落ちている馬糞を踏まないように注意しながら歩いた。頂上へ着いたのが何時頃だかはっきり覚えていないが、かなりの人がいて、両津高校と書かれたテントの中で、そこの人達から何か(多分おしる粉のようだった)を御馳走になったことを覚えている。
帰りの途中で頂度、両津港から新潟行きの船の出港が望遠出来、汽笛の音が我々の居る所まで聞えて来た。そしてその遥か海原の向うには越後の山並みが、淡く霞んで見えた。帰りは行きと途う道を下ったので、大変藪を漕がされ、まむしが出るぞと驚ろかされながら下りました。
翌日は大変な疲労で、食欲も出ず口をきくのも億劫で、一日中ごろごろしていたことを覚えています。登山ということは、こんなに疲れるものだと知らされて、それ以来高校へ行くまで山へ登らなかった所以です。楽しさよりも苦しさの方が勝っていたのでしょう、きっと。
次回は五十嵐雄二氏にお願いします。