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蓬峠から武能岳
今村 信彦

山行日 1969年5月2日
メンバー 山本(義)、鈴木、菅谷、今村、野田

 5月1日(夜)9時過ぎ、いつものエレベータ前に行くと、もうお馴染みの顔は揃っていた。
 久し振りの山行に期待は大きいが、連日の寝不足でもう眠い。軽身なら何とか皆と同じ行動がとれるだろうと思っていたが、これが君の分担された荷物だと言われた時は合宿などに参加して、大変なことになったと心配だった。通勤者に多く利用されている我々の乗った電車は大宮を過ぎてしばらくすると車内はガラガラとなり、静かな車内に我々パーティのみは賑やかだった。
 3時前土合駅に着く。まだ覚め切らぬ目をこすり、最初の難関である500段もの階段が待っている。重荷では実に辛い所だ。まだ星が輝く中をライトを頼りに芝倉沢出合に向けて出発する。4時、マチガ沢にて一本。空は白々しくなってくる。一昨年の合宿時に比べて残雪が非常に少ない。一ノ倉沢にて真っ青な空に映える岩峰が見事だ。
 芝倉沢のBC地はもう既に多くのパーティが設営しており、良い場所は見当たらない。かけらほどの真黒な残雪があるのみ、コブシと山桜の花が美しい。設営した天幕の中で一眠りした後、芝倉沢でスキーをするという小島さんのパーティより一足先に蓬峠に向けて出発する。天気はバッチリ、雲一つなく初夏を思わせるほどの暑さだ。
 湯檜曽川の流れを耳にしながら、僅かな残雪のあるジグザグを登る。鉄塔を過ぎ大小屋のような避難小屋の前を通り、急傾斜の雪面を直登し、蓬峠より武能峠寄りの鞍部に出る。新潟方面の山、朝日岳など展望が素晴らしい。武能岳への急な尾根筋は残雪なく乾いている。スキーを担いだパーティが目につく。武能岳の少し手前で一本、日射しが強く眩しい限り。快調なペースで武能岳を越え、次の鞍部で一本取る。武尊山が目前にどっしりと構えている。急登を一気に茂倉岳へ、風が強くひどく寒い。隣の一ノ倉岳から小島さんのパーティよりコールがかかる。雪庇のある尾根を一ノ倉岳を目がけて飛ばす。
 さて、これより芝倉沢の下降が始まる。小島さんのパーティはスキーでカッコ良く下るが、我々は切り立った雪庇から急斜面を下るのが怖かった。しかし、それも最初の一歩だけだった。尻セードを楽しみながら下る。上部の急傾斜を過ぎ、傾斜が緩くなった頃パーティより少し遅れ焦り気味の頃、とんでもない事をしてしまった。早く皆に追いつこうと無理に尻セードをし、加速がついた頃に目の前に穴が開いているのに気が付く、時は既に遅く止めることも避けることもできない。上から見ると浅そうな穴も意外と深くドンドン落ちてゆくのが判る。沢の流れに落ちる。すぐに立ち上がれた。"あ!!オレは生きている"と感じ凄く嬉しかったが反面、暗いクレバスの中は寒く不気味で恐ろしかった。足腰には異常がないようだ。モートーのコールを出すが応答なし。夢中で這い上がる。頭から出血があり少しボーッとしている。メガネのないのに気が付き、後からスキーで降りてきた小島さんに探してもらうが見当たらない。身体はずぶ濡れ、雪渓の上で凄く寒かった。ほんのちょっとした気の緩みから皆さんに迷惑をかけ、すまない気持ちでいっぱいです。それにしても別に怪我などなく、自力で下山できたのが不幸中の幸いでしょうが、メガネをなくしたのは大きな痛手でした。他のパーティを見ると自分のした行動が恥ずかしく、また皆さんに大きな迷惑をかけたことが申し訳なく、重い気持ちで下山しました。せっかくの良い山行を台無しにしたことをお詫びします。

蓬峠から大源太へ
菅谷 正

山行日 1969年5月3日
メンバー 山本(義)、鈴木、菅谷、溝越、野田

 5月3日(晴)、予報でゆくならば今日は曇り明日は雨だが、しかし我々の気持ちに反して朝からオテント様がギラギラと輝いている。昨日一日で充分な天気が今日も続きそう。
 今村さんと入れ替わりに、朝着いた溝越さんを入れて5人で先ず蓬峠まで昨日と同じく登る。昨日、山本さんと今村さんがバテた辺りをなかなかのペースで登って行く。途中でグリセード等を練習しているパーティを横目で見やり、雪融けの水を飲みつつ順調にゆく。今日は大源太を越えて越後湯沢へ抜けることにした。
 尾根へ出ると昨日と同じく越後の山々が素晴らしい。残雪の越後の山々が自分の目の前へ迫ってくる。小さな避難小屋を後にし尾根道をゆく。水溜りがあり、サンショウウオの卵がいっぱいある。まるでカエルの卵と同じように白い泡のようなものの中にいて、見ていると気持ちが悪くなる。
 蓬峠の小屋を過ぎて呑気に昼食をして大源太へ向かう。雪が柔らかいために足が取られたりしながら岩場の登りに入った。
 ここは会の誰も来たことがないという話だが登りはきつい。結構長い、もう頂上かと思えばまだ上がある。やっとの思いで頂上へ出た。暑くってシャツなど着ていられない。シャツを脱いで汗を拭き、パインの缶詰の美味いこと。
 ここから真っ直ぐ越後湯沢への下りである。笹があったり藪のような所があってようやく部落へ出た。学校の付近で休み、ここから嫌な車道、後を振り返って後ろからの谷川岳を眺めれば正面からと異なった味がする。途中、アイスクリームをほおばり駅へ。
 夏の越後湯沢は冬のスキーと異なって客がないのか町が閑散としていて店などが開いていない。駅前の酒屋でビールを飲んで汽車で土合へ。土合からベースまでの長いこと。今までの山行で山を越えて、その下を汽車でベースまで帰るなどというのは初めてである。

朝日岳
播磨 忠

山行日 1969年5月4日
メンバー 山本(義)、鈴木、菅谷、播磨

 5月4日(晴)、今回の合宿には都合で1日しか入山できず、3日の夜行で上野を出発、4日の早朝芝倉沢出合のBCに到着した時には野田さんが一人で朝食の支度をしており、他の人達はまだテントの中で寝ておりました。今年のゴールデンウィークは天候異変と思えるほどの晴天続きで、当会会員諸君も連日猛ハッスルであちらの山、こちらの谷と飛び回ったとかで、そのせいか寝起きの顔を見ると疲れたような冴えない顔が並んでいました。聞くところによると、今日私が来るというので例の神通力で雨になることを期待していた人もいた様子でしたが、残念ながらそうは問屋が卸さなかったようで、恨めしそうな目を五月晴れの空へ向けていました。
 朝食後、スキーに出掛ける小島さん達と別れて、一路大倉尾根に向けて出発。今日の第一目標はうまく湯檜曽川の渡渉ができれば大倉尾根から朝日岳、白毛門を経て土合に降りる予定。さて渡渉地点に着いた我々は渡れるかどうかと見てみるが、雪融けの水を集めた流れは激しく、丁度その地点が川幅が狭く淵のようになっているので一寸難しいようだった。何とか渡れそうな所を見つけようと少し下流に向かって歩いて行くと、100メートルほど下った所で何とか渡れそうな浅瀬を見つけて、覚悟を決めて渡ることにする。最初は水の冷たさも何とか我慢できても、川の中ほどまで来ると足が痛くなって何とも堪らない。水嵩も膝の辺りまで来たが、それでも何とかかんとか向こう岸へ渡ることができた。上がってみると水の冷たさで足が赤くなってしまった。
 大倉尾根の最初の登りはえらく急で道も不安定であるが、ひとたび尾根の上に出れば後は割合楽な一直線の登りが朝日岳まで続く。途中軽い食事を摂って、3ピッチで朝日岳の肩に到着、稜線上は意外と風が強く少し休んでいると寒いくらい。芝倉沢に目をやれば雪渓を登っている人々が、砂糖にたかっている蟻のように見え、茂倉岳の上には苗場山の平頂が顔を出しており、更にその上には秋のような青空が何処までも広がっている。谷川岳に来てこれほどの上天気は今までなかったような気がする。
 帰路は白毛門から急な東黒尾根を夏のような暑さと一歩踏み出すごとに出る砂埃と、所構わず出ている木の根っこに悩まされながら下りました。ただ下る途中唯一の慰めは石楠花や大ぶりのコブシの白い花が咲いていたことですが、何か今年の谷川は雪の少なさや花の咲き方を見ても、季節の進み方が例年より大分早いような気がしました。

春山合宿(スキーの部)
小島 作蔵

山行日 1969年5月2日~5日
メンバー 小島、その他

5月2日
 従来ならピッケルを手にし、雪渓を登り雪渓をグリセードで降りる。というところなのだが、今回は全日数をスキーに費やそうということで重いスキーを背にしての合宿参加である。芝倉沢出合のベース地には雪もなく少々不安になる。蓬峠班の野田さん達を見送り、芝倉沢突き上げの稜線で会いましょうと、我々3人はスキーを担ぎ芝倉沢を登る。以前同じ時期に来た時は残雪も豊富にあり、沢を登るのも楽だったが、今年は残雪が少ないため一度旧道を歩き再び芝倉沢に入る。旧道より上部の芝倉沢は残雪も豊富にあるので、ほっとする。天気も快晴、初夏の太陽は、容赦なく照りつけ、汗が頬を伝って足元の雪面に、ポタポタと落ちる。長い単調な雪渓登りである。何度か引返そうと思ったが、稜線直下の斜面を思い浮べながら頑張る。所々小さなクレバスがあり、帰りの滑降に充分な注意を要する事を思い知らされる。傾斜はぐんときつくなり、稜線も目前に迫る。天幕出発後、約4時間かかって稜線上に出た。野田さん達は未だ来ないので、しばらく昼寝をする。蓬峠よりの野田さん達も見えたので、我々はスキーで、野田さん達はグリセード、シリセードで降りる。傾斜がかなり急なのと、スケールが大きいので、緊張する。丁度岩場に取つく前のあの嫌な気分である。先ずは斜滑行とキックターンでスキーに、雪に慣れ、斜面に対しての恐怖感を取除く。さあ、いよいよ自分のもっている最大のスキー力を出しきって滑降し始める。今年最大のスケールのスキーなので、ゴキゲンで滑る。しかし、スキーパーティの一人がスキーを担いで降り出したので、それを待ったりして、休み休み降りたので時間は、グリセードで降りている野田さん達よりも遅い。滑降の途中で今村氏がクレバスに落ちてメガネをなくしたとの事、グリセードで降りている内に気がついたら落ちてしまったとのこと、頭から血を流し、アオイ顔をして、クレバスのそばに立っている姿を見た時はびっくりした。クレバスの中に降りて、メガネを探したが、クレバスの下の流れでメガネは流されたらしく、見つからなかった。今村氏の怪我も大したことなく一安心し、またスキーをつけて降りる。雪が多けれぼ、テントまで滑れるのにと思いながらも途中でスキーを外して帰幕する。
5月3日、4日
 連日の好天で気分がたるんだのか芝倉沢を詰める元気もなく、堅炭沢に木の枝をたて、回転スキーの練習をする。

春山合宿の反省
野田 昇秀

 驚く程雪の少ない谷川岳であった。まるで6月上旬を思わせるように、芝倉沢の虹芝寮前は桜が満開でした。ハラハラと桜の散る幕営地に、竪炭岩の見えるBCで私達は4日間を楽しく過しました。毎日が快晴に恵まれ、スキーに登山にと、出かけて行きました。行動の記録は別に載ると思いますので、ルームにて久しぶりに開かれた合宿の反省会の内容をここに記す事にします。
 第一日目の行動中の出来事でした。蓬峠から武能岳を登り、芝倉沢を下降中、某君が雪渓の割目に転落しました。幸い傷はたいした事ありませんでしたが、大いに反省しなければなりません。芝倉沢を幾度も下降している人は、この沢の下降の楽しさを満喫しながらシリセードやグリセードでどんどん下ってしまう。自分の楽しみだけを追求して各自がちりぢりになった時に起りました。もしお互に声をかけあって、クレバス、シュルントの危険を知らせたなら、全員が安全に下降する事が出来たであろう。「チームワークを大切にしましょう」と改めて話し合った。
 食糧はかなり豊富にありましたが、例によって昼食に対する批判が多かった。果物がたりない。菓子ばかりだ。パンはのどを通らない等。よく研究する事になりました。
 装備関係では、炊事用具が足りない、バーナーの不良があった。ガソリンが多すぎた等。以上は事前の準備が悪かったせいである。また永らく使用して来た冬用テント4人用が、そろそろだめになりそうだとの報告がありました。
 打合せ会をもたなかったせいか、行動予定を朝出発前に決定し、また途中にても簡単に変更してしまう。そのため別行動中のスキー組が登山組の予定をぜんぜん知らない結果になってしまった。ルームを活用してもっと登るコースの研究をすると同時に、どこを登りたいと意志表示をして欲しい。また登山予定表を作成して参加者全員にくばる必要がある。
 全般的にトレーニング不足が目だちました。毎日の行動にさしつかえる程ではなかったが、サブザックの軽装にもかかわらず一日の行動を終えるとかなり疲労していました。山へ行く機会の少なくなった人は、都会での運動(トレーニング)に関心を持つ必要があります。
 以上、断片的になりましたが、反省会の記録をお知らせいたします。


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