山行日 1970年5月2日
メンバー 野田、菅谷、山本(義)
前夜、上野駅へ行くと、みな揃っていたがいつもの参加者より、家庭の都合の溝越君と3月のスキーで脚を骨折した鈴木君の二人が参加出来ずきびしいが、約1年ぶりに菅谷君と沖電気のスキーパーティーの人達が昨年に続き参加してくれた。
小池の車に食料、装備を乗せ野田さんと先に出発していった。3時前、土合駅に着き、500段もの階段を登り、ライトを頼りに芝倉沢のBCに向って出発する。途中で先に着いた野田さん達と合流し、明け方BCに着いた。今年は残雪が多いわりにはテン卜の数が非常に少なかった。
スキーの小島さん達より、一足先に鉄塔尾根に向けて出発、合宿の第一目標で、まだ登ったことのないこの尾根は、最初から急で踏跡もあるような、ないような、藪に近い尾根である。快晴の初夏を思わせる強い日射しで、登っても、登っても先は見えず、途中から石楠花林で足がとられ登りにくい。芝倉で雪上訓練をしているパーティのみが、目につくだけである。藪と雪渓登りを繰り返しているうちに大雪渓の上に出た。ここから急な登りだが、強い日射と汗で顔が痛みだしてくるが、1ピッチで武能岳の鞍部に出た。休憩後、茂倉岳、一の倉岳を目掛けて飛ばす。
これより芝倉沢の下降である。上部の急斜面の雪渓を、グリセードで降り、途中から、かけ足で一気にBCに着いた。
夕方、一升瓶を持って今村君がBCに着いた。
山行日 1970年5月3日
メンバー 野田、播磨、山本(義)、今村
2日夕方、皆より1日遅れ、一升瓶ぶらさげ入山。テン卜では、すでにアルコールに染り、雪でバッチリと焼けた顔の連中が居た。
3日朝6時半、テン卜を出発。芝倉沢を詰める。薄日が登るにつれ晴れ上り、眩しくなる。去年とは対照的に、雪がすごく多い。
心配していた程バテず、快調なペースで稜線に出る。一ノ倉岳付近は、西からの風が強く、息も苦しい。避難小屋近くの笹の中で一本。眼下には、一ノ倉沢の岩壁が望まれる。話しに聞いていた以上に嫌らしく感じる沢だ。この岩壁上の稜線を、トマの耳まで1ピッチ。皆、快調にとばしているが、息切れが激しくたまらない。昨年と比べ全体的に登山者が少ないが、ここだけは、賑わっている。またスキーを担いだパーティも目につく。いよいよ西黒尾根の下りだ。急斜面であるが、ボサボサの雪でグリセードも出来ない。尾根上は、背丈を越すほど深く、溝状に堀られた、急傾斜が所々ある。ガレ沢の頭まで、所々おっかない思いもするが、あっという間であった。これより西黒は長いので、マチガを下るうという事になる。皆グリセードでドンドン下っていくが、去年のことがあるので、気になって仕方ない。少し遅れ一歩一歩下山。本谷にでると急に緩やかとなる。スキーヤーが多く、まるでゲレンデのように、華やかだ。ミニスカートの女の子を横目でチラチラさせながらの下山。旧道まで1時間強とあっけない下りだった。負傷者が一人、仲間の担架で、運ばれてゆくのを見る。ここで夜行日帰りの播磨さんと別れ、旧道沿いにベースへ向う。緊張がほぐれたのか、予想以上に長く、カッタルかった。
〈コースタイム〉
BC(6:30) → 稜線(9:55) → 一ノ倉岳(10:00~10:45) → トマの耳(11:35~11:50) → ガレ沢の頭(12:20) → マチガ沢旧道出合(13:05) → BC(14:30)
山行日 1970年5月4日
メンバー 野田、小島、菅谷、今村、山本(義)
合宿の最終行動日であるが、気分がたるんだのかどこも登る元気もなく、とにかく蓬峠まで登ることにする。1ピッチを快適なペースでとばすが、急な登りになると、急にペースがにぶくなり、第一鉄塔までがやっとだった。今日下山する、野田さん、菅谷君が先に下山していった。我々三人は、10分休憩をし、1時すぎBCに向ってグリセードで下る。
メンバー 小島、小池、他3名
5月2日(晴)
空模様は申し分ないが初日でもあることだし実力も考えて、武能岳方面へ向かう野田さん達のパーティを送り出し、本日はポール潜りなんぞで足慣らしと決定。勿論全員意義のある訳がない。堅炭沢の出合へ着いたところで適当な斜面を探すため斥候を出すことにし、従って当然のことながらアミダにて人選を行う。勝負運には全く自信のない小生は予想通り文字通り貧乏くじを引き、芝倉沢方面へブラブラと散歩に出かけるが、今年は兎に角4月上旬並みの残雪のため何処でも滑れる感じで、そうなると人間欲が出るものでなかなか場所が決まらない。ようやく芝倉沢の旧道との合流点付近でポールを立て練習を始めるが、前夜の疲れからか2時間あまりでバテ気味となり早々に天幕へ引き上げた。
5月3日(晴)
前日とほぼ同様の理由から山本さん達を先に送り出し、我々もスキーを担ぎ天幕を出発、ただひたすら稜線を目指し芝倉沢を登る。強い日差しに喘ぎながら帰りの大滑降を思い浮かべ、4時間を超える苦闘の末ようやく一ノ倉岳へ辿り着き大休止を取る。一ノ倉岳の頂上は谷川岳から仙ノ倉山方面への主稜、朝日岳から巻機山方面等が一望のもとで、強い日差しに沢から吹き上がる風が実に気持ちが良い。さあいよいよ今シーズンのフィナーレを飾る大滑降の開始である。稜線直下の急斜面をゆっくりと慎重に下り、足の慣れたところでスピードアップし、クレバスに注意しながら豪快に滑る。正にスキーの醍醐味ここにありの感で思わず「グンバツ!」午後3時頃天幕に滑り込んだ。
5月4日(晴)
天神平より谷川岳へ登る予定だったが、天神ロープウェイがストライキで運休のためマチガ沢へ行くが、スキーヤー、観光客で満員のためやる気をなくし、早々に帰途につく。ミニスカートのカワイ子チャンのあられもない格好(滑降ではない)なぞ見物できたのがせめてもの慰めでした。
5月5日(晴)
今日も良い天気である。ゆっくりと起き、ゆっくりと天幕撤収、記念写真などを撮りのんびりする。今日は下山である。
途中、水上温泉で温泉に浸かって汗を流す。汗は流れ気持ちもさっぱりするが日焼けしたどす黒い顔はキレイにならない。皆んな土人の顔である。山の中は雪が残り、ようやく木の芽がでようかとしている時だったが、この辺りは新緑がキレイである。なた明日からスモッグ公害の東京で生活するかと思うと、何となく憂鬱になってくる。
近くてスキーもできる山、ということで結局昨年と同様芝倉沢を選んでしまった。しかし、雪も多く天気も良く、登山班もスキー班も満足したのではないだろうか。一ノ倉沢ではかなりの事故が起きたようであったが、こちらは平和そのものであった。
ヒマラヤのエベレストでは、エベレスト登頂とスキーの滑降と両方行うために日本隊がアタック中ということであったが、我々は一足先に山こそ違え、登頂もスキーも立派に成功した(スケールが全然違うが)。
残念なことはただ一つ、参加者が少なかったということでした。外部からの参加でどうにか合宿らしくなったものの、今後の大きな課題として残るであろう。