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鹿岳
播磨 忠

山行日 1970年10月25日
メンバー 播磨、溝越、鈴木、山本(義)、三橋

 この日は10月の下旬というのに馬鹿に暖く初夏を思わせるような天気だった。
 小沢橋でバスを降りた我々は、南牧川を対岸に渡り、下高原の部落目指して大塩沢川に沿ってつけられた林道を歩き始めた。途中の農家でネギを買い、ざくろのなっているのを眺めながら進むと、前方にこれから登る、鹿岳の岩峰が立派に見え、登行欲をそそる。
 下高原の部落からは、林道より離れて、いよいよ本格的な登りになる。最初、部落の民家の庭の中を通り、小沢を渡って畑の中の道を、尾根を絡むように登り、尾根を廻り込んでから巻き気味に沢に降りるように道がつけられている。この沢は鹿岳の岩峰のⅠ峰とⅡ峰の鞍部から流れ出ている沢で、登山道はこの沢に沿ってつけられている。ここで先程調達してきたネギを具にしてうどんを作り、遅い朝食にする。
 ここからは道も今までのようにはっきりしておらず、藪に消されがちな踏跡を追って、I、Ⅱ峰の鞍部目指して一気に登る。高度を上げるに従って、I峰の岩壁が圧倒的に迫ってくる。登り着いた鞍部から、I峰の頂きまでは意外にすぐで、思ったより簡単に達せられる。山頂からの展望は素晴らしく、妙義、浅間、荒船はもちろん、遠く奥秩父や八ヶ岳も見えるのだが、今日は残念にも気温が高すぎて、天気が良いにもかかわらず、あまり遠望は利かなかった。しかし足元から切れ落ちている岩壁の縁に立って、麓の部落を眺めると、何か吸いこまれそうな気持になる。
 山頂から元の鞍部に戻り、今度はⅡ峰へ登る。Ⅱ峰はⅠ峰よりもやっかいで、裏側から木の根、岩角を頼りに登るのだが、一寸としたスリルで妙義山を思わせる。
 Ⅱ峰の山頂で、山本が持ってきたゆであずきの缶詰を開けて、しる粉を作ったが、量が多すぎてうんざり、左党ばかりが多いせいか胃の小さいのが揃っているせいか、売れ行き悪く大分残ってしまった。
 Ⅱ峰から木々岩峠までの尾根は、鈴木のモンちゃん得意の藪漕ぎであった。5つぐらいのピークを越えた所で、尾根が岩壁となって切れており、はたと行き止りになってしまった。木の間越しにルー卜を見るが、いかにも判然としない。記録にある通り、左下に見えるローソク岩めがけて、適当な所を降りるが、もちろん道などはなく、何となく踏跡らしきものを拾って下るだけ。それもはっきりせず、ただ降りられる所を木に掴まりながら、がむしゃらに下ると、やがて杉の植杯帯に入り、そこから少しで、下高原から木々岩峠を越えて、馬居沢部落へ通じている道に出た。一同ホッとしたところで夕日を浴びながら大休止。付近の岩峰が夕日に映えた紅葉とマッチして、日本画的な美しさを添える。
 木々岩峠からは、反対側の馬居沢部落を経て、小河原のバス停へ下ったが、馬居沢側は藪があって、秋の山の風物詩の、ヌスビトハギやゲンノショウコの種が衣服について、取るのに一苦労、しかし西上州の山々を、晩秋の頃や早春の頃に気の合った友と歩くのは楽しいものだ。指導標もなく、踏跡も定かではないが、山に入れば人に遭うことも希れでゴミの山にもお目にかからない。同じ日に、上野から出る妙義山方面の列車は、通勤電車なみの混みようなのに、あの人たちはどこへいってしまったのだろうか?、今日この山に登ったのは我々だけであった。
 最後に懺悔をせねばなりません。朝来る時に、電車が終点の下仁田駅に着いた時、私達の前に座っていた登山者一人が、大変気持良さそうに寝ていたので、起すのも悪いと思ったものですから、そのまま私達は降りてしまいました。しかし電車は寝ったままの彼を乗せて、折返していってしまったようです。我々のした事は間違っているでしょうか?。


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