トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ216号目次

伯耆大山
鈴木 嶽雄

山行日 1972年4月30日~5月1日
メンバー 鈴木(嶽)

 東京の町に夕闇が迫るころ、新幹線コダマに乗る。走馬燈のように流れる車窓を見ながら独りの為か不安が先立っていた。京都で夜行の急行に乗り換えた。
 目が覚めると朝日が昇り山陰を走っていた。れんげ草の花の咲き乱れる田園の向うには、北壁を隔てた伯耆大山が美しい。昨日の不安な気持も上天気で消し飛んでしまう。
 米子から大山寺までバスに乗る。ポカポカした陽気で居眠りの一つもでてくる。槙原の原生林を走り抜けると観光化された大山寺である。でも頭の上から大山が伸し掛ってくるように迫力がある。
 さあ出発だ。北壁を眺めて登る元谷コースを行く。石畳の参道を登ると大神山神社奥宮である。神社の右から新緑のブナ林を抜けると元谷の川原に出る。一休みだ。
 北壁が目の前に現われる。ガラガラで脆そうだ。北壁に食い込んだ雪渓が土砂や岩屑で赤茶けている。天気が良いせいか陰険さは感じない。明るい感じだ。河原の中を歩いて、右手の行者谷に人いる。
 やがて右の小尾根に取り付く。急なことと、長い山行のために食糧、その他を余分に持っているのでピッチが上らない。ブナ林の中の急登をモクモクと登れば、六合目に出る。一般コースから登ってくる人がワサワサいる。
 暁望小屋の近くで腰を降ろす。見渡せば北壁はもちろん、日本海や中ノ海、島根半島、米子などが手に取るように見える。
 この辺から潅木の中の急な登りだが、展望があるために、足の方も調子が良くなる。  八合目から道もゆるやかになり、左手はいつも崩れている北壁の縁を行く。右手は青々としたキャラボクがハイ松のように生い茂っている。やがて頂上小屋が現われる。小屋の売店でコーラを飲んで山頂に立った。
 ここから大山縦走路に入る。南壁と北壁から突き上げた三角形の痩尾根だ。細い所は人が一人やっと通れるくらいだ。絶えず左右の岩壁からは岩屑が落ちている。馬の背、ラクダなど肝を冷しながら慎重に通って最高峰剣が峰に立った。
 この先、痩尾根の先に天狗峰があり、槍尾根で高度を落とし、再び高度を上げると、これから行く奇峰、カラスガ山が黒々と見え、その向うに蒜山が見えた。このころから空模様が悪くなる。早々に腰を上げて出発。
 天狗峰で、左にユートピアの道を分ける。一般の人はこの道を下る。右にとり槍尾根を下れば、物凄く悪い。絶えずガラガラと足元から岩屑が、南壁、東壁へと転げ落ちて行く。
 今日一番の悪道だ。運悪く、空からは雨がポツリポツリ落ちてくる。慎重に一歩一歩降りる。さすがの槍尾根も灌木帯に入ると、傾斜もゆるくなり、ホッとする。
 振り返る、槍尾根や北壁は物凄く、我ながら良く降りて来たものだと思う。やがてブナ林の中の鳥越峠に着く。左に下れば、無人の駒鳥小屋に行ける。ポンチョを取り出し、カラスガ山の登りが始まる。
 小さいピークを越え、なおもヤブの多い道を急登すれば、三角点ピークである。
 大山の山頂部は既にガスが巻いている。風雨もやや強まる。左にカラス谷の岩壁沿いに行くが、気は焦るが空腹のためにピッチは上らない。ザックがいやに肩に食い込む。
 主峰は右にトラバースして右の尾根より登る。頂上の大きな岩陰でやっと食事を摂る。
 ガスで何にも見えない頂を後に、今夜のキャンプ地、鏡が成目指して下る。始め凄い道で木の根につかまり降りる。雨の降り頻る山道、ブナ、ネマガリ竹の中を下る。救いは、刈り払ってある事だけだった。うんざりするほど下ると杉の植林地に出る。すぐ車道に出た。鏡が成のキャンプ地に着いて、バンガローの長い庇の下にテントを張った。夜は雨が一層激しく降っていた。
 次の日、蒜山縦走のつもりで、擬宝珠山まで登ったが、笹が雨で濡れているのと、道が悪いので山頂から鏡が成に引き返す。
 バスで江尾、米子から広島、夜行で鹿児島屋久島へと行きました。


トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ216号目次