トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ216号目次

権現山
宮坂 和秀

山行日 1972年1月23日
メンバー 宮坂、野田、播磨、鈴木、松本

 ぎりぎりに馳けつけたので、新宿駅では集合場所に行かず、いきなり列車に乗込んだ。案外空いていたので車内ハイキングをやって連中に逢ったが、男だけ3名だった。女性の松本さんは立川で乗込んで来る由。
 立川でキョロキョロしたが、いないようだ。とうとう寝坊をして乗りおくれたらしいねなどと語り合いながら、上野原に着いた。
 7時35分に着いて、待つ程もなく甲東行のバスが出る。上野原の町中を通りぬけ、40分程で終点「甲東小学校前」でバスを降りる。コウトウ小学校であって、昔の尋常小学校と高等小学校を思いだした。
 仲間川に沿って上流へ向うと間もなく棚頭(たながしら)に着く。ここの民家で水を貰らいながら登り口を尋ねると、この先の火の見やぐらの所から登ればよいという。この家の裏手からも小径があって、少し薮があるがその方が早いというので、それに従った。10分ばかりで尾根径(火の見からの)に出る。案外と良い径だったが苦しかった。
 郷土山付近では5、6名のハンターが休んでいて、トランシーバーなどで連絡し合っていた。連れている猟犬の頭をなでてやったら1、2匹我々について来て、追い払うのに苦労をした。
 郷土山の頂上で早い昼食。すぐに和見峠。ここ迄はヨカ径であったが、これからが大変。急坂の上、薮径となり苦労させられた。1160m圏の雨降山の稜線に出たのが12時少々前である。尾根径は西の権現へ向うにつれて雪が現われだし、北側を通る部分では10cmから15cm程だった。
 鍋割沢の頭付近で休んでいると、甲竹から登って来たという登山者が一人追越して行った。紙袋を一つ抱えているだけの超軽装で、恐らく地元の人が大室権現にでも参詣に行くのだろう(後で聞いたが、単なる登山者)。
 私は両脚の膝上がつってしまい、極めて調子が悪かったが、大室権現社辺りからやっと治ったようだ。
 積雪を踏みしめて頂上に来るとい何と寝坊をした筈の松本さんが待っていた。「オソイワネー」とぼやくことしきり。何でも一列車遅れたが、犬目かち棚頭をすぎ、仲間川の上流のアセミ沢から甲東村と七保村との境界尾根を登って来たらしいような話である。
 1時間半近くの大休止の上、大室権現まで戻り、浅川峠へと下る。小尾根を一気に馳け下ると竜滝沢付近で自動車道に出る。ここから浅川部落を過ぎ、瀬戸のバス停までは嫌になる程の長い長い道程であった。


トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ216号目次