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スキーツアー・横手越え
小島 作蔵

山行日 1972年3月4日~5日
メンバー (L)小島、長久、宮坂、野田、鈴木、斉藤、松本、杉原、平、中川、他1名

 昨年は、吹雪の為に果たせなかったツアーの再度のチャレンジである。
 この日の為に、猛練習をした方も多々あったと思い、係の私としては、好天を期し、祈る気持で上野を発った。メンバーは、昨年のメンバーに増減すること総勢11名である。

3月4日(晴)
 熊の湯に早朝に到着。旅館で一休みの後、明日のツアー本番の為の足ならしの為に、ゲレンデにとび出す。
 上越の「石打」の雪質に比べ格段に素晴しき雪質である。旅館の周囲のゲレンデを、午前中に総ナメにし、午後より横手山にかかる長いリフトにて、中腹まで登り、ゴキゲンに皆各々優雅(但し認めているのは、自分のみ)に滑る。夕方になり最後の一滑りと、前山ゲレンデに登り、さっと滑って旅館に帰る。
 風呂に入って、寝る前に例によりトランプを行なう。

3月5日(くもりのち晴)
 起床後、空を見る。ガスがかかり、時々雪が散らつく。ふと何年か前の吹雪の横手越えを思い出す。ツアーをやるか、止めるか、思案していると、廊下で会社の工場の奴にバッタリ会う。
 「よう!」
 「なんだ来てたの!」
 「今日は、どうすルン?」
 「うん、横手越えをやるつもりなんだけど、天気が良くないから考えてんだよ」
 「俺達もそうなんだ。ダケン渋峠まで行って、天気の様子を見て、それから決めらいね...」
という様な会話を交した。
 そうこうしているうちに、青空がちらりと見え始めて来たので、ツアーを決行することにした。旅館の前で記念撮影をしたあと、ザックを背にし、出発した。中川さんとその友人は、ツアーに参加しないということなので、長久、宮坂両ベテランを筆頭に曇り空のもとを総勢9名で出発した。
 横手山へは、リフトを3回乗継ぐと頂上に着く。空は段々と青さが増してくる。時折、ガスの切れ目より、青空が見え、春の強い日差しが雪に反射して眩しい。空の青さ、雪の白さ、これが実に美しい。「今も昔も変らぬものは、空の青さとチョイト月の色...」なんてえ唄の文句があったっけ。
 頂上の無線中継小屋のそばで写真などを撮る。完全に晴れれば、頸城連山、北信五岳、そして北アルプス、中央アルプス、浅間山、菅平スキー場の根子岳等一望に出来るが、今は出来ない。
 いよいよツアー開始である。第一ラウンド渋峠までである。緩くて長い斜面の初級コースを滑る、静かな林間滑行である。転到者も出ず、渋峠小屋へ到着。そこから芳ヶ平への道を左にやりすごし、山田峠へ向かう。第二ラウンド開始である。道は、林間の緩い登りになり、階段登行で登る。やがて前方が開けて、白根山が見えだす。空は完全に晴れわたり、太陽ギンラギンラである。小休止ののち滑り出す。右山の斜面をトラバース気味に滑る。一度自動車道路にとびだすが、再びトラバース気味の滑行が続く。転到者が出始める。山田峠から坊主山への登りは、スキーを外して登る。坊主山を越した平担地で昼食を摂る。白根山頂へは、ここから登るわけであるが、我々は、登らずに、自動車道路に沿って白根山を巻くようにして万座と草津の分岐まで滑る。第三ラウンドである。そこから道は登りになり弓池までスキーを外して登る。この歩きは堪えた。弓池ヒュッテの前でスキーをつけて、ヒュッテ前の斜面の直滑行にて第四ラウンドが始る。しかし最初の直滑行だけで、あとは殆んど歩きである。振子沢の上に着いた時は、カウント88ぐらいのダウンであった。大休止をとる。
 さて、第五ラウンドは、本日のハイライト振子沢の滑行である。急な斜面の沢の入口をトラバース気味に滑るが、コブが多く、とばされぬように注意して滑る。沢の入口を越すと長い沢の滑行に入る。その名の通り、身体が右上、左上と、沢の斜面を振子のように振られながら滑って行く。パラレル、ハナレル、ウエーデルン、アエーデルン、斜滑行、ブカッコウと、皆各々転到したり、とばされたりして、滑り降りた。振子沢を過ぎるとゆるい斜面の林間滑行が続く。ゆるい斜面のくせにコブが多い。釈迦の頭みてえなものである。
 コブを乗越しそこなってとばされる者、木にだきついてとまる者、林の中に突っ込む者と、いろいろである。やがて前方に天狗のゲレンデが見え始める。ギャップの多い林間の道を滑れば、スキーヤーで混雑する広い天狗のゲレンデの下にとび出す。熊の湯を出てから5時間経過して、今回のツアーは終了した。ケガ人が出なくて、先ずは、めでたしでした。
今回のツアーとかけて、
カミさんに逃げられた子連れヤモメととく
その心は、
コブで苦労します。


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