山行日 1972年7月21日~23日
メンバー 原口、小島、山本(義)、春原
7月21日
羽前下関駅よりタクシーにて大石集落の上まで入ることが出来た。さてと荷物を取り出す段になって、困った事にトランクの鍵が中のキスリングに押されて開かなくなってしまった。急停車したり、四人で奮闘したが開かない。やむをえず、ダム工事の飯場より金テコを拝借して、ビスを3本外しこじ開けてしまった。この事故の為に40分も経過している。吊り橋を渡り、やっと西俣川の左岸につけられた登山道に達する。無風快晴、炎天の下での行動は体力を消耗することはなはだしく、少し歩くだけでバテる。滝倉沢にて差入れの重たいメロンやモモを沢水で冷やし昼食とする。道は西俣川を見下ろす高い所についていて、ガンジガネの岩盤を削ってつけられ、おまけに傾いている。緊張させられる所である。途中に沢が何本も入っていて、水には不自由しなかった。十貫平の樹林帯を過ぎ西俣川橋を渡れば5分程で大熊小屋に着いた。小屋のすぐ上にテントを張り、冷や麦を清水で冷やし、ビールで乾杯、テントから首を出して空を見れば、満天の星空、明日の天気を約束してくれる。
7月22日
暗い中を先行パーティーは出発する。その足音を聞きながらのうたた寝、我々は5時半に小屋を出る。駒鳥の声を聞き、大熊沢を渡り大熊尾根を登る。ブナ等の巨樹の間を辿るので、昨日とは違って足も捗る。赤トンボが上昇気流に乗っている。一杯清水迄2ピッチ、冷たい清水でコーラを冷し小休止。カリヤス平には岩カガミ等の高山植物が咲いている。一の峰の急登を越え、二の峰の岩稜を登ると新六の池が目の下にある。雪田の雪解水がチョロチョロと流れ、ハクサンコザクラ、イワカガミの大群落があり、小さな花が無数に咲いている。杁差小屋はカマボコ型でガッシリしている。荷物を置いて頂上へ10分位で達することが出来る。頂上からの眺めは素晴らしく、北方には月山、朝日連峰が、日本海の海岸線もはっきりと見え、前杁差の方はゴルフコースのように広く草がなびいていて小池まである。南方にはこれから歩く北股岳や本山がどっしりと構えている。風が冷たいためにお花畑の下のミヤママツムシ草や二ッコウキスゲの咲いている中でサンドイッチを作り昼食とする。鉾立峰を過ぎ大石山へかけては広々とした草原の尾根になり、期待のウスユキ草の群落が雪渓を通って来た風の中にそよいでいる。頼母木山直下には雪田があり、雪渓の上でポーズを作って記念撮影をして昼食。地神北峰から丸森尾根が飯豊温泉へと続いている。北峰から扇の地紙までも美しいお花畑で楽しくさせられる。門内の池のすぐ上に門内小屋が石で組まれて建っている。九州南方の台風の影響か、風が強く吹きつけてくるので、テン卜は止めにして小屋泊りとする。ここでヨッチャンの大チョンボが発覚、ガソリンを大熊小屋に置いて来たのである。
7月23日
万事休す。朝食を終える時にはバーナーもガスも丁度なくなったのである。結局、皆一緒に下ることになった。門内岳まで往復し、扇の地紙より梶川尾根を下る。梶川峰まではハイ松のあるなだらかなもので、それから500m程の大下りがあり展望台まで続く。鞍部から湯沢峰へ、その下りもジグザグの嫌な下りが湯沢まである。湯沢から1ピッチで飯豊山荘に着き、早速一風呂浴びる。休みの取れない小島、春原さんを見送り、私とヨッチャンの二人で岩魚の塩焼、山菜とビールで乾杯。二食付でわずか千百円でした。翌日はジープで長者原まで150円で送ってもらい、バスで小国へ出たのでありました。車窓から飯豊連峰の眺めは大変素晴らしいものです。