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北岳~間ノ岳~農鳥岳
鈴木 俊之

山行日 1972年10月8日~10日
メンバー (L)野田、鈴木(俊)

 今回の山行はジャコビニ流星群を見ようと思い気楽に東京を立った。夏シーズンは25日間、山行したので体力的にはバテるなんて全然考えても見なかった。しかし3日前、数学の試験があり、因数分解、図形、微積分、集合、論理数学を一夜づけでやり、1日前は夜勤、当日は夜行と少し疲れていたようだった。南アルプス野呂川林道を走るバスは、前に行くパブリカを追越して、広河原へと向った。昼食を野田さんの持って来た、にぎりめしで満し出発した。野田さんのペースは早く感じたが最初の1時間は何とかついて行けたが、そのあと北岳肩ノ小屋までは、まったくペースを崩してしまい苦しかった。何とかコースタイム通り着いて早めにシュラフに入った。テントの中で野田さんとウイスキーを飲み話しをした。山小屋にはない落つきを感じて良かった。11時に野田さんが何度もテントの外に出て、北の空を見つめたが、何も発見されなかった。1時15分僕が外に出たら、駒ヶ岳七合目小屋あたりから、こちらに向って飛ぶ3個のジャコビニ流星をつづけて発見、その後20分程ガンバッタがダメであった。いくぶんガッカリ。むしろ真上をゆっくり天の川を渡る人工衛星を見て、アメリカのスパイ衛星か、否ソ連かと想像するほうが楽しい。まだ見たことのない人は、真上をゆっくりと一定した速度で、ジンタンの粒ようにキラキラしないで飛んでいるので、すぐそれとわかるから、たまにはよく真上を見て下さい。注意することは、上を見て歩きまわると、山の上から落ちて成仏するので、動かないことが必要です。
 翌日も快晴で北岳からは、北アルプス、八ヶ岳など一望されたが、先週も先々週も同じ景色を見ているので、いくぶん飽きて来たが何回見ても良いものだ。北岳を下山するころから、左足の間接横のスジが痛みだして、間の岳を過ぎ、農鳥小屋に着くころは、完全にイカれて、ほとんど右足の力で動くしかなくなり、苦しい場面に追いこまれてしまった。しかし、この程度なら、まだ歩けそうなので、予定通り、大門沢小屋まで行くことを、決意した。右手は木につかまりながら、急坂を下山したので、鉄棒で鍛えぬいた厚い皮もむけてしまい、左足は増々ダメになったころ何とか大門沢小屋が見えたが、そのころは現実のことより「もう登山出来なくなるのでは」と考えると頭から離れなくなった。遅くなって着いたため、良い場所はなく、かろうじて二人の場所を確保したが、野田さんにはすまないと思うだけで、どうしようもなかった。
 その夜、野田さんも足がダメになって、這って下山した話を聞き、僕もなんとか長丁場を荷物を持って下山出来たので、これよりひどくなった時は、這ってでも下山する気が湧いてきた。今回の山行の最大の収獲であった。バテるとは、這えなくなる時だと心に刻み込む。翌日も足は痛く、何人もの人に抜かれるのが悔しくてどうしようもない。ダムが見えた時、とうとう下山したと思ったが、嬉しくも感動もなかった。ただ囲りにいる連中が「キツカッタ」などと話しているのを聞いて、何言ってやがると心の中で思った。同時に俺はまだ出来てないなとも感じた。
 それにしても、野田さんには、始めから終りまで、迷惑をかけてしまい、すみませんでした。自力で下山したことは大きな自信となって残り、今回の山行は終了した。医者は今年の冬山はダメ、来春から、トレーニングすれば、来年の冬山に登れるとの事なので今年いっぱいは、登山出来なくなった。
 22~23日に広河原へ行き、今までの山行を反省して、会の良き会員として、来年も行けるよう楽しみにしている。


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