トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ219号目次

思い出の小屋 駒の小屋
川田 昭一

 私が三峰に入った年の10月の終り頃のウイークデイの日を選んで、上越線小出から銀山平行のバスに乗った。途中の道は大湯温泉を通って枝折峠へ続く道を、うねうねとバスは登って行く。途中、大湯温泉で、5人くらいの人が降りて、ガラガラのバスの中はおばあさんが一人、小さな包みを持って乗っていた。人なつこい感じで色々と話が飛んで来るが、土地の方言のわかりにくさと、おまけに歯がかけているためか、余計に内容が聞き取りにくいが、どうにかこうにか解釈出来る。銀山平の本家で一人畑作をしている、おじいさんを息子夫婦が住んでいる、小出の町へ連れて帰るために、バスに乗ったのだそうである。銀山平での老夫婦、二人だけの冬ごもりは、並大抵ではないそうで、息子夫婦のとりはからいで、雪が降り始め、融ける間までの半年くらい、小出の家にて親子そろってくらせる「あたし達老夫婦にはこんな二重生活がなによりも楽しいんですよ」とおばあさんは語っていた。エンジンの響きが軽くなったなあーと感じて間もなく、バスは枝折峠に着いた。
 ここでおばあさんを乗せたバスは峠から銀山平への小さな曲りを繰返しながら、下って行った。おばあさんと別れ、バスから降りた峠は、重く垂れ下がった雨雲に視界を隠され、何も見えない。長居はしないで、すぐ登山口を探す。枝折峠登山道入口には立派な指導標があり「大倉山、駒ヶ岳、中の岳、八海山縦走コース入口」と書いてあり、これから先の縦走から来る不安を少しでも、和らげてくれた。
 登山道は良く、途中迷うことなく、駒の小屋に着く。外の明るさと小屋の暗さが、はっきりしすぎているため、目が小屋の暗さに慣れず、小屋に入ってもストーブの小さな焚火穴から、こぼれ落ちる灯り、その灯りの囲りが見えるだけ。他は薄暗くなって、その薄暗い場所から、「どこから来たのですか」と標準語で男の問いがあった。声のした方に注意して目をやると、ストーブから離れた板の間の中央に座わっている人がいた。「枝折峠からです」と答えた。「今日は小屋泊りですね」と続いて声があり「よろしく」と答えた。
 目が暗ヤミに慣れてきて、色々な物が目に入る。まず小屋自体小じんまりしているが、太い材木を使って大変頑丈に作ってある。登山客は何人くらいいるかなあと見渡すと、先ほど声をかけてくれた人、その人は30くらいの年令で小柄な感じで、いかにも山屋といった風情をしている。もう一人は、その人の連れかどうか、わからないが、24、5才の女性の二人であった。昼頃から降り出した雨が夕方には強くなった。早めに夕食を摂って横になった。
 入口の方で声がした。「力松さん一パイ飲みましょうよ」先の小柄な感じの山屋が、駒の小屋の主人らしい人に言っている。小屋の一部に隠れ部屋があって、そこで寝ていた駒の小屋の主人が起き出して来たのだ。小屋の主人は「ん、一寸外へ出て、計器を見てくる」と言って出て行った。主人と入れ代わりに、別の女性が手に大鍋をぶら下げて入って来て、山屋と何か話していたが、大鍋をカマドに置いて、山屋とその女性は外へ出て行った。小屋の中は寒々としてストーブの暖がひときわ欲しくなる。よく乾いた薪の燃えるパチパチという音がし、雨だれの音、ヤカンの湯が煮たって、蓋がパタンパタンと音を立てている。ストーブの側に座わって昼間の雨で濡れた物を乾わかしながら、斜め向かいに座わって乾わかしている、24、5才の女性と山に関する共通の話題を話し合う。東京の社会人山岳会に所属しているそうだ。毎週必ず山に入るそうで、訳を聴くと冬山合宿(鹿島槍東尾根にサポートとして入るため)に備えて体力をつけるんだと話した。今回も駒ヶ岳、中の岳、三国川コースを取って下山するとのこと、また毎週山に入るから単独で入る機会も多くなり、単独の時は自分の体力の限界範囲内を越えない程度に行動するんだということも言っていた。
 「だけど何だね、ガムシャラに登って下るだけの繰返しだけで、自分自身満足なの]と問いかけた。すかさず、単独行の女性から返事があった。「最近は考えるようになったの。余裕のある山行がしたいの。景色はもちろん、その景色をスケッチしたり、写真を撮る。また花、鳥の名前になじむ、変化のある山行がしてみたいですね」口には出さなかったけど、僕も内心同感だと思った。ただアタックのみを競う、うるおいのない登山を否定して多くの自然にふれながらの登山こそが本当だとも言いたかった。時計を見ると午後5時頃である。空模様が気になって、入口に目を向けると、雨は相変わらず降っている。そこへ小屋の主人と二人連が現われた。主人の観天望気によると今夜いっぱい雨が降り、あす日中は晴、夕方には再び雨になるだろうと言った(事実、天気は晴から雨となった。小屋の主人は風向風速、気圧等を観測して、そのデーターを地方気象台へ無線で連絡するという、仕事もやっている)。小屋に入ると、ストーブの側に来て座わった。「今日は雨で大変だったネ。明日はどこへ抜けるかネ」「三山縦走で、明日の夜は千本桧小屋です」と答えた。「明日の夕方から雨が降り始めそうだから、昼間の晴れている間にうんと稼いだ方がいいな」とアドバイスしてくれた。斜め向かいに座わっている女性にも同じようなことを言っていた。主人は大きなアクビをしながら「あーァ今日の日課が終った。林さん、ヤッカ」と言って長ぐつを脱いで筵に座った。続いて林さんという例の山屋も、何かの仕事を終え、力松さんの側に座った。林さんは土間にて夕食の支度をしている。連れの女性に、「あれ出して来て」と言う。女性は間を置かずすぐ袋からなにやら取出して来た。
 主人が僕の方を向いて「こっちへ来て一緒に飲まないかネ」林さんも「来て飲みなよ」とよく通る声がかかる。待ってました。今すぐ行きますよと答え、すぐ立ち上がって行くわけにもいかないし、かといって「自分は全然飲めないんですよ」というのも、自分に対して嘘をついている(現にウィスキーの小びん2本が、ザックの中に入っている。かといって一人でウィスキーを飲むのもなんだし....)。結局、僕もウィスキー小ビン2本を持って酒の席に混じった。ハイニッカとブラックニッカが1本づつ。酒のサカナはこの山で採れたという、キノコの煮つけ、ワラビ等が無造作に置かれてあった。単独行の女性も主人の御声がかかり席に呼ばれた。時間が経つにつれ、山小屋の主人、林さんと連れの女性、単独行の女性、自分も含めて良くしゃべる様になった。山小屋の主人は星力松という名で(アルコールが根から好きなようで目を細めて実にうまそうに飲む。話がはずむ)生まれは銀山平で現在は小出に移りそこに住いを持ち、冬の間山を下りて、それ以外のシーズン、3月~11月の初雪が降るまでは、山小屋に居るそうで、この間の必要な荷はその都度、力松さんと息子二人でボッカをして、登山客に備える。ボッカのたび必ずアルコールも荷にして上げるのだそうです。
 林さんと力松さんの付き合いは長く10年にもなるそうで、連れの女性は5年前に駒の小屋で林さんと知りあいそれが縁で結婚したそうで、子供が一人いて東京の家にあずけて、夫婦二人で小屋に来てわしの仕事を手伝ってくれるんだと力松さんは言う。林さん夫婦はテレながら「力松さんその話はもういいよ」と力松さんの話題を持ち出した。力松さんがシーズン中ボッカの為小出に下った時、また冬小出に居る時は必ず教会(プロテスタント系の教会)に寄って礼拝を済ませるという熱心なクリスチャンだそうだ「私達もそんな人間的に幅のある力松さんを慕ってよく登って来るんですよ」林さんは言った。その後再び力松さんの話は続いた。自然保護、政治、山の人身事故色々な話題が出て来る。力松さんはすっかり酔っちまってゴロ寝。
 雨音に代わって自家発電用のエンジンのゴトゴトという音がはっきり耳に入ってくる。雨が止んだのだ。用足しに外へ出た。雲の切れ間を通して半分欠けた月が目に入る。ジャーという音が止むと、エンジンの音と沢の水の流れる音しか聞えてこない。静かだ。(昭和46年10月)


トップページ > 岩つばめ一覧 > 岩つばめ219号目次