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冬山合宿 北岳
播磨 忠

山行日 1972年12月30日~1973年1月3日
メンバー 原口、播磨、別所、山本、鈴木(嶽)、稲田、平、春原

計画
 今年の冬山は北岳と目標を決めたのが、昨年6月夜叉神峠へ行った時だった。それからコースは吊尾根から往復とし、9月に同コースを偵察、その結果池山小屋より下の吊尾根末端のコースは大分荒れていることと、野呂川に懸っている吊橋が落ちていて渡渉する以外方法が無いことが判った。
 その後地元に色々と問合せた結果、現在吊尾根は末端からほとんど利用されておらず、少し上流のあるき沢の所から登る義盛新道が利用されていることが判った。また年末年始の交通は夜叉神峠までマイクロバスが入るが、それより先は難しいことも判った。
 そこで期日は12月30日から、1月3日までの5日間とし、初日はマイクロをたのんで夜叉神峠まで入り、荒沢下降点、義盛新道経由で池山小屋、二日目池山小屋から森林限界まで登りそこをBCとし、3日目に頂上アタック、4日目下山、そして1日は予備日という計画とし、新人はBCまでとし、もし条件が許せば全員登頂するということとした。

記録
12月30日(快晴)
 前夜11時45分発の長野行にて新宿を出発。早暁の甲府駅に到着。予め頼んでおいたマイクロバスにて夜叉神山荘まで入る。この冬は南は雪が多いせいか、夜叉神山荘まで入る林道途中より雪道になる。
 朝の寒さに震えながら、夜叉神山荘前で出発準備を整えて勇躍出発。トタン板で封鎖された夜叉神トンネルの中で寒さを避けながら朝食を摂る。ここは両側のトンネルの口が封鎖されているため風も通らず、以外と寒くないが、周りが暗いため何か気味が悪い。
 朝食を終え、トンネルから出た途端、白根おろしがまともに吹きつけ、身も縮むほど寒い。凍てつく道に足をとられないように、重い荷物に喘ぎながらも林道を進む。幸い天気は非常に良く、間の岳、農鳥岳の稜線に雪煙が立っているのが見える。
 鷲の住山や荒山を過ぎ、封鎖されたトンネルを2、3越して2ピッチで荒沢下降点に到着。途中の封鎖されたトンネルは雪のため戸があまり広く開かず、通るのに大変苦労した。
 ここでアイゼンを付け野呂川の下降に移る。野呂川に近づくにつれ、陽も当らないためか道が凍っていて非常にスリル満点だ。野呂川を仮橋で渡り、対岸の電源開発道路へ上る。そこでアイゼンを外して、林道を上流に20分程歩いた所が、義盛新道の登山口である、銀色に塗られた近代的なあるき沢橋がある。ここから約3時間の急登が、本日のヤマ場である。
 橋のたもとで休んでいる人々を横目で見ながら、我々は休まず義盛新道へ入る。最初は凍って滑り易い道を、重荷に喘ぎながら慎重に登る。ジグザグの道がやがてなだらかな歩きやすい道になったあたりで、横にそれて昼食とする。陽は輝っているのだが何せ寒い。少々休んでいるとすぐ震えがくる。そんな訳で早々に昼食を切り上げ、寒さに追い立てられるようにして出発。
 そこからは最初なだらかな道も登るにつれて、いよいよ急になり、対岸の林道と高さを比較しながら、ただひたすら高度を稼ぐがここへきて夜行の疲れが出てきたせいか、なかなかピッチが上らない。しかし今日はどうしても池山小屋まで入りたいので、歯を食いしばって頑張る。我々の前にいたパーティの一人がバテた様子でなかなか進まない。小屋まであと少しだ。頑張ろう。
 昼食をとった所より3ピッチで、暮色せまる池山小屋へ到着。手早くテントサイトを作り、設営の準備にかかる。今日は皆良く頑張った。天気が良かったのも幸いしたが、テン卜の中でバーナーを囲みながら、楽しい夜の団欒が始まる。
 夕食の後、明日からの行動を天候と見合せて検討する。先ず天候であるが、明日は大陸の高気圧が移動性となってくる様子なので、天気は良さそうだが、明後日はその高気圧の後から来る気圧の谷の影響で天気は下り坂に向いそうだ。とすると明日BCを森林限界まで上げても、明後日以後の行動はあまり期待を持てない。また、計画を変更して、ここをBCとして明日直接アタックしようかと思ってもはたして時間的に往復が可能かどうか疑問である。どちらにするか検討している時に、池山小屋の親爺がテント料を徴収に来たので、それとなく聞くと、皆んなこの辺りより往復しているとの事、急拠予定を変更して、明日の好天を期して頂上ヘアタックと決めた。
 この親爺、大変なのんべで、テント料は要らないから、ウイスキーはないかときた。約1/3残っているウイスキーを渡すと喜んでで帰っていった。この親爺、名前を深沢義盛さんといって、今日我々が登って来た道は、この義盛の親爺が作ったそうで、何でもここの小屋へ泊まる人のために作ったので、お前達のようにテント持参の連中のために作ったのではない、等の能書きを一くさり並べて帰っていった。
12月31日(快晴)
 前日夜遅くまで起きていたせいか少々寝坊をしてしまい、出発時間が7時頃になってしまった。先ず今日の行動だが、この池山小屋のBCより頂上までの所要時間がはっきりつかめないので、12時まで行動して登頂の可能性がなければその時点で行動を止め下山する。
 また、天気の動静を見て慎重に行動することとし、一応念のためスコップ、バーナー、ツェルト、ローソク、予備食、ザイル等を持参、不時の事態に対して備えることとする。
 キャンプサイトは池山小屋のそばの池(今は凍っていて雪原)のほとりであるが、そこより少々登って屋根に出ると、農鳥、間の岳が大きく眼に入ってくる。また、これから登るボーコンの頭の向う側に、北岳の頭がちょっぴり顔を出している。天気は幸いにも申し分なく無風快晴といっても過言ではないぐらいだ。
 昨日までの重荷と違って今日はほとんど身一つの軽装なので、快調に歩を進めることが出来る。約2ピッチで森林限界に達することが出来た。そこで軽い食事を摂り、これからの厳しい登りに備える。ほとんど風もないせいか陽当りの良い所へ出るとポカポカする。食事もほとんど素手で摂ることが出来た。
 森林限界点より少々登ると砂払いだ。ここまで登ると限前にバットレスが大きく立ちはだかり、その上の方に本日の目標である北岳山頂が迫る。バットレスは夏のそれとはまた違った感じで、その威容は全く我々を圧倒して、さすがにここまで苦労して登って来た甲斐があると言うものだ。
 ここまで来ると山頂も見えたせいか、またバットレスの威容に惹かれてか、一層登頂欲が出てくる。幸い天気は崩れる様子は微塵も見えず、冬山とは思えないほど穏やかかだ。
 砂払からは尾根の一上一下を繰返して、ブロックで囲われたテント群を横に見ながら、これから登る北岳を正面に見ながら先を急ぐ。八本歯の通過には細心の注意を要するが、雪のつき方が良いためか、それ程緊張することもなく無事通過、ここを越えれば後は頂上までたいした難所もなく、唯ひたすら急登を続けるだけだ。バットレスの方を見れば、第四尾根のマッチ箱がはっきり見え、何パーティかがアタックしているのが判る。
 3000mに近くなったせいか、また今まで登ってきた疲れが出たせいか、すぐ上に見える吊尾根と稜線の分岐点になかなか着かない。それでも苦しいながら、一歩一歩着実に登り11時40分に分岐点に到着。ここまで来れば頂上まではひと登りだ。分岐点で軽く一本立てて、最後の登りにかかる。さすが稜線上は今までと違い寒風が吹いている。しかしそれでも強風といえる程の風ではなく、オーバミトンなども要らないくらいだ。
 12時10分、我々は待望の頂上に立つことが出来た。しかし頂上を踏んだという感激はほとんど湧いてこない。と言うのは思ったよりあっけなくて、今日のこの好天に助すけられ登らせてもらったと言う方が正しいのかもしれない。こんなに条件のよい冬山は今まで無かったし、またこれからもほとんど無いに違いない。全く我々は幸運中の幸運である。
 頂上からの展望は今更言うに及ばず、360度の大展望だ。約10分展望を楽しんだり、記念撮影をしたりして、下山に移る。先程一本立てた吊尾根分岐まで戻り、岩かげに風を避けて大休止を取り、昼食とする。登頂を済ませたとうう充実感で、昼食も大変美味しい。
 特に、別所が持って来たテルモスのコーヒーが大変良かった。
 帰路は登って来た道を忠実に戻り、八本歯を慎重に越して、往きよりも数を増した砂払い下のテント村を見ながら、今日一日恵みの光を与えてくれた太陽に感謝しながら、無事BCに帰る事が出来た。
1月1日(晴のち雪)
 今日一日は元旦ということもあって、目的を達成してしまったので停帯と決める。天気は下り坂になっていることは確かで、富士山には笠雲がかかっている。気圧の谷の接近である。案の定、夕方から天気は荒れてきて雪となる。明日の撤収が心配だ。
1月2日(雨のち雪風強し)
 今日は撤収して下山の予定であったが、昨日からの雪が夜明けと共に雨となり、風も大分強いので急ぐ旅でもなし、もう少し様子を見ようということになり天気の回復を待つことにする。朝のうちに低気圧は東の海上へ抜けた筈で、東京地方の天気も回復しているのに、やはりここ山の上では雨も止む気配はなく、今日も停帯とする。アルコールも切れ、トランプも飽きて、テント病患者が続出する。
1月3日(快晴)
 昨日夕方まで降っていた雨も止んで、夜半の寒冷前線の通過と共に気温もぐんぐん下り、風も北西の季節風と変わって一晩中うなり声を上げていた。これでは稜線にテントを張った連中は可愛そうだなと思いながら、朝を迎える。
 早々に朝食を済ませて撤収に取りかかる。昨日まで暖たかかったのが、今朝の急な冷え込みで、テントがバリバリに凍り撤収に大変苦労する。大きく膨らんだテントを無理矢理ザックにつめ込み、4日間暮したキャンプサイトを後にする。
 今日は昨日の荒天がうそのように、抜けるような青空だ。たしか登って来た日もこんな天気だったなと思いながら、喘ぎながら登って来た道を、嘘のような速さで下る。池山小屋より約1時間、確か登りには休みもまぜて、3時間半以上かかったのに、下りでは1ピッチにてあるき沢橋まで下ってしまった。
 あるき沢橋で、アイゼンやオーバーズボンをとり、長い林道歩きに移る。帰りは夜叉神を越えないで、電源開発道路をそのまま奈良田まで下った。約3時間半の行程だが何の変てつもない林道歩きは重荷ということも手伝って大変疲れた。しかし奈良田でのお風呂は、この退屈な林道歩きの疲れを補って余りあるものであった。

装備
 ミード型冬天6人用1張、カマボコ型冬天2人用1張、ツェルト1張、ザイル(10mmX40m)1本、スノースコップ1丁、ガソリンバーナー3基、ガソリン10L、ローソク(大)12本、中鍋3個、コッフェル(大)1組、食器類1式、炊事用具1式、ラジオ1台、なおガソリンは停帯が多くなったため10L全部使用する。

〈コースタイム〉
12月30日 甲府(5:30) → 夜叉神荘(6:30~7:10) → 深沢下降点(9:40~10:20) → あるき沢橋(11:45) → 池山御池小屋(15:45)
12月31日 BC発(7:00) → 森林限界(9:10~9:30) → ボーコンの頭(10:10) → 八本歯のコル(10:40) → 吊尾根分岐(11:40) → 頂上(12:10~12:20) → 吊尾根分岐(12:35~13:20) → ボーコンの頭(14:10) → BC着(16:20)
1月1日 停滞
1月2日 停滞
1月3日 BC発(10:00) → あるき沢橋(11:00~11:30) → 奈良田(15:00)

食糧計画
日付
12/30 いなり寿司
バナナ
どら焼き
サンドイッチ
みかん
一口カツ
白菜のロール煮
12/31 米飯
みそ汁
とろろ月見
海苔
漬物
酢だこ
フランスパン
ビスケット
コーヒー
みかん
ハム
干しぶどう
ボリュームシチュー
そば
1/1 雑煮
おせち料理
米飯
山芋とうにの二杯酢
鮭と白菜の中華風煮
1/2 餅入りおじや
おせち料理
そば
フランスパン
米飯
野菜炒め
漬物
黒豆
1/3 米飯
すいとん
凍豆腐のふくめ煮
漬物
おにぎり
南京豆
チーズ
あげせん

冬山合宿に入山して
稲田 竹志

 雪山への憧れは、僕が九州育ちなので雪国を知らないということと、また幼なき頃の童話の世界を覗くことができそうなそんな甘い気持と、冬山の白一色の昔から変ら厳しい山容にあると言えるでしょう。
 さて、準備も終りザックを背負うとズッシリときた。冬は最低この程度は担ぐんだぞと自分に言い聞かせ足取り重く気も重く新宿へ。見送りの松本さん、長崎さんには笑って見せたものの、初めての冬山だしこりゃ一体どうなるだろうといった心境でした。第一日目に池山小屋への登りで案の定、荷物バテで参ってしまった。播磨さん、鈴木さんに7Kg分位助けてもらい、また登りだす。その夜、池山小屋の幕営地にて小屋番の重盛さんの意見も聞き、明日はベースはこのままにして登頂しようと決めた。
 大みそかの朝7時半、サブザックでベースを出発。ボーコンまで来るとブロックで囲んだテントが4、5張あった。3ヶ月程前に偵察に来たのでいくぶん心強いが昨日夜叉神トンネルより北岳を見あげた時は雪煙が吹き上がっていたので緊張した。アイゼンを引っかけぬように、滑落しないように。そうこうしているうちに八本歯へ着く。意外なほど好天のためと踏み跡が締まっているので夏よりピッチがあがる。どうみても冬山とは思えない陽気の中で12時20分!「やったぜ!!」お天気に連れて来られた気がしないでもないが、ともかく大喜び。
 帰り道のボーコンまでは一応気を張って下るが、その先はというと全員緊張が解けたのでひどいもの。僕など放心状態のようなたるんだ足取りでした。4時半には予定通りベースへ到着。さあ後は紅白歌合戦だとラジオに負けず歌い出す。最近僕の身の周りにはいつも彼女がベッタリ....じゃあなく酒のビンが転がっているのは三峰の試練か?
 いやはや嬉しきこと、メーターが上がってくるとろれつが回らなくなる。当会には特有のテント病なる伝染病の病源菌がテン卜に染み付いているらしくて、この病気とはいろんな要因が復合して発症するそうで、その症状は頭痛、目まい、脱力感、何もやる気がしない。気圧のせいもあるが、顔が変形して目つきが違ってくる、などでその要因の第一条件は酒がきれること、次にいろんなゲームなどにも飽きて他にやることがないこと、食料がさびしくなること、その他。
 テント病の治療方法はというと、それがいとも簡単。温泉で熱燗一杯やりゃたちどころに治る?、こんな病気があるものか。医者でも治せぬテント病。巷では知る人ぞ少ないテント病。誰が名付けたかテント病。こんな面白い冗談がでるのもベースをあげた次の日に予定行動を終えたためでしょうね。しかしこの三峰テント病、将来治りますかねえ?。元日はトランプなどで一日つぶし、二日は、ミゾレのため停滞。さすがにテント内の散乱ぶりも見事なものの、テント病のため一向に片づかず。夕方にはミゾレも止んだので別所さんと二人で池山の尾根まで冬山のムードを味わいに行った。尾根のトレースは、ところどころ吹き消されズボッと踏み外すこともあった。1ピッチでUターンしてベースに着くと空の雪洞が目にうつり、中に入ろうと思ったが中はナニでばっちくなっており、新らしいのを作ろうと1時間程頑張ったが夜になってしまった。これもゴミ捨て場になると思えば惜しいが。
 三日の下山の日は、いつもならブツブツぼやきながらの林道歩きも素直に早足で歩いた。テント病を早く治さんがために。今回の合宿を最後に山形へ帰られる鈴木さんの後姿とキスリングのダッシュより顔を出してる丸ごとのプレスハムとの組合せがいつまでも思い出に残りそうです。
 個人的には反省しなくてはいけない面もあった合宿、次の機会にプラスされることもあるでしょう。

初めての冬山
春原 君代

 冬の北岳、一度は冬山に行きたいと想い、そしてその山が北岳にほぼ決まってから数ヶ月、いろいろ想像し、期待し不安を感じたりしてきた山。去年の11月には、奥秩父から遥かに仰いで、本当にあの山に登れるのだろうかと、一際高く既に白いものの着いた北岳に怖れを抱いたりしました。
 それにしても、この生まれて初めての冬山はあまりに恵まれ過ぎて冬山に来ているなんて信じられないほどだった。既にその兆は出発の時からあったのかも知れない。
 初日は予定通り池山御池小屋まで、翌日はその夜テントを訪れた義盛氏の勧めで予定を繰り上げてアタックということに決まった。
 その日は、昨日に続き全く目も眩むような好天で、各々サブザックを背負い、ツェルトを携行し、アイゼンをつけ出発した。山ではこのくらいの風は無風といってもいいような状態だった。登り始めると、今日こそ一歩も矢敗できないという緊張のうちにアイゼンの感触をかみしめていた。そして一見して新米と判るヤッケとズボンに身を固め大きな雪山に取りついている自分が、よちよち歩きの幼児のように思われておかしかった。唯一面の白い雪を一歩一歩踏みながら、今こそその時なんだ、何かに近づきつつあるんだ、と胸がワクワクしてくるのだった。また一方では、こんなに素晴らしい冬山なんて想像もできなかったので、どこかで何かが起こるんじゃないかと、不安な気がしたほどだった。
 ようやく森林限界に出て間の岳の稜線が見えると、稜線からは雪煙が輝くように舞い上がってぃる。「『山がラウフェンしている』と先輩が呟いた」という、以前読んだ文章を想い出す。それは天気の良い印だった。そしてボーコン沢の頭。それまでは拝むこともできなかった巨大なバットレスが真正面に威圧するように迫っている!思わずため息がでる。雪の中にはテントが幾つか見える。エスキモーのようにブロックを積み、この穏かな陽ざしに入口を開けた中からは、ラジオの音や、人声がしたり、また物を干してあるのもあり、また、側に腕を組んで佇み、じっとバットレスを見つめる岳人の姿もあった。ブロックをせっせと積んでいる岳人もある。それらの側を通り抜けて行く。吹雪の日はいざ知らず、今日のような日に、こんな所に居られたら、きっと山の空気に酔い痴れてしまうだろうと思われる。そして難関、八本歯のコルでは最も緊張して、無事やり過ごすと皆一様にほっとする。あとは登るだけだ。
 吊尾根分岐から頂上までの一部の卜ラバースには肝を冷した。岩に貼り付くように、そろりそろりと体をずらしていくのだから。何かのはずみで落ちるんじゃないかと本当に冷や冷やした。
 頂上。この山行はベースまでかも知れないと覚悟していただけに皆が無事立てた時には新人はもちろんのこと全員が満足げな笑顔になっていた。幸せの一瞬。強風で顔が引きつってしまうこともなく記念撮影が済むと下山にかかった。岩についたエビの尻尾がカリカリとお菓子のようにおいしかった。下りは、この幸運をとり逃さぬよう、更に慎重に下る。八本歯を過ぎると初めてほっとする。山に暮色の訪れるのは早い。少し曇って、あるかなきかの夕映えを残して暮れた。BCには大晦日と正月の行事が残っているだけだ。
 元旦は、素敵なおせち料理に舌鼓を打ち、ゆっくりおとそを味わい正月休養。外は穏かだ。翌日は吹雪かれて、テント病にも負けず身体を持て余し、さて翌日はまた快晴にて下山。正月も今日で3日。この天幕に4泊もしたとは信じられない。下りは一気に下る。林道もどんどん下る。途中ふり返って仰ぐと間の岳が深い谷の遥か彼方に、昨日の雪で一層白く高く輝き、そこには別天地があるかのようだった、
 こういう訳で今年のお正月は、近年になくお正月らしい気持になりました。かの啄木の詠める歌「何となく今年はよいことあるごとし元旦の朝晴れて風なし」の実感がふと湧いてくる想いでした。本当に、皆様のお蔭で無事終わることができ、ありがとうございました。これからも機会があれば、冬山の、また別の味に少しでも近づけるよう冬の山行をしてみたいと思います。


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