山行日 1973年1月28日
メンバー 宮坂、野田、山本、稲田、長崎
久し振りの山行であったので、朝家を出た時、空の暗さに驚いた。未だ、月が三日月の形をして光っている。寝静まった町や、人気のない私鉄の駅に吹く寒々とした風に、思わず気弱になったりして、中央線の中でやっと暖まり、安心して窓の外を眺める。今日は富士山がよく見える。
その富士を再び見い出したのは、猿橋から歩くこと1時間、神楽山の西鞍部でである。甲州街道から逸れて畑中の道を辿り、落葉がぶ厚く積った山の急斜面をなんだか歩き難く思い、一汗かいてやっと出た小さな鞍部がそれである。大きな松の木があって山並を隠しているが、少し体をずらせば白い富士。目指す九鬼山は黒く、標高千メートルに満たぬ山とは到底思えない重厚な感じのする山である。メンバー5人"大人しきひと"が集まったとみえ、静かに休息をする。
岩登りでもしたくなるような御前岩を過ぎ、馬立山までは丁度1時間、この小さな山頂で早めの昼食を摂る。その間に空には雲が多くなり、度々日が蔭ったりするようになった。
枯葉の積った道と雪道と、道は色々に趣向を凝らして急な下りとなり、右手から田野倉よりの道と出合うと札金峠である。峠と言っても妙な具合に窪んでいて、木々が影を作っている。宮坂さんが、札金峠の名の由来を話して下さったが、何処かで聞いたことのある内容と考えてみると、昔聞いた落語なのであった。
ここより道はよく踏まれた登りとなり暫く行くと、今日初めて私達以外の登山者に出逢った。その人達に山頂への直登の道を教わり歩いていると、雪の上に気になる足跡が続いているのに気付いた。四ッ足動物のそれで、しかもつい先程歩いたような真新しいものなのである。他の人に何か言おうかと思っていると、直登への別れ道で突然二匹の犬に出逢った。下山中にも沢山の犬に出逢ったが皆猟犬で、猪を追っている最中なのであった。彼等の何とも冷やかな目差しの中をゆっくりと登る。
峠より約1時間、最後はかなりきつい斜面を登りきって九鬼山山頂に着く。展望はよく雁ヶ腹摺山や黒金なども見える。写真などを撮って30分程休んだ後、禾生目指して下る。
薮の尾根道を嫌って草の斜面に出ると、風景は丁度箱庭と言っても良いようであった。低い山々に家が雲海のように迫り、山は島のように浮かんで見えた。ここで、私達のとった下りの道がどうも違っていると少々もめたが、目でこの尾根と決めたその道を下ることになった。
下りは早くあっけない。膝がガクガクするような急下降を続けて、日だまりの民家の裏庭に出た。川に架かっている橋に「よなわ川橋」とある。??目的地のはずだった禾生まで30分も歩かねばならないと言う。再びのんびりと歩き出す。わめいた割には傷の少なかった手の甲を眺めながら薮山もたまにはいいナと思いながら風に吹かれて。