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忘年山行 石老山
播磨 忠

山行日 1972年12月3日
メンバー 宮坂、長久、原口、小島、野田、野田、播磨、別所、今村、鈴木(嶽)、稲田、春原、長崎、松本、他2名

 「猿も木から落ちる」「弘法も筆の誤り」とか昔から言われているように、いや少々違うかな?マアいいや何しろ寝坊などしたことのない私が、不覚にも寝坊してしまった。
 前日私のアパートへ来て泊った稲田と、同時に目を覚したのが、新宿集合の約束の時間を45分オーバーする7時45分、慌てて寝床もそのままで飛び出し、オートバイで一路甲州街道を西へ、もちろん新宿駅にも寄ったが、そんな時間まで待っているはずもない。約2時間寒風に晒されてやっとの思いで相模湖駅着。駅の中を一通り見て、待っていないのを確めてまたもやオートバイで登山口へ急行した。
 登山口へオートバイを置いて、広いアスファルト道路を顕鏡寺へ向かって歩き始める。天気は申し分ない青空だが、心の方はそれとはうらはらに暗い。やはり約束を破ったと言う責任感にさいなまれているのだろうか。参加者一人一人の顔が頭に浮ぶ。きっとただでは済まされないだろうな、と思うと背筋が冷たくなる。何しろ彼らは手八丁、口八丁の連中だからな。
 顕鏡寺を通り、色々な名前のついた岩の横を通ったりして、急登しばしで明るいカヤトの尾根上に出る。そこを少々登ると前方に当山岳会員らしき連中が見えるので、モートのコールを送ると、はたせるかな「遅いぞ!」の返答あり、やっと追いつくことが出来た。
 しかし、結局全員に追いついたのは、頂上に着いてからであった案の定口の悪い連山?に色々いびられたが、何しろ悪いのは私であるから平身低頭ただ謝るばかりである。
 しかし、なお驚いたことに、食料を全部お願いした原口さんが来てないということだ。装備の私と、食料の原口さんがいないこのグループは何をしにここまで登って来たのだろうか。いや彼等はアルコールを飲みに来たのだ。
 しかし、その原口さんも私に対する制裁が終った頃、汗びっしょりで登って来た。何しろ電車の便が悪くて高尾から車を飛ばして来たとの事。さすが遅刻の御大、原口さん、私等と比べてスケールの違うことをなさる。何はともあれ、全員揃ってめでたく鍋を囲んで、あわい冬の陽を浴び、適度のアルコールでホロ酔い加減(中には度を過し、ホロ酔いを通りすぎた人もいたが....)で、丹沢や道志の山々を眺めながらの一日は大変楽しい一日でした。なお帰路は大明神から鼠坂へ抜ける予定でしたが時間の都合その他で往路を戻りました。長久さんが秋の天皇賞を取ったということで鍋の材料代全部を負担して下さいました。大変御馳走様でした。また、私もこれからはこんな失敗のないように、注意いたします。どうもすみませんでした。


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