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石打スキー変更高湯スキー
小島 作蔵

山行日 1973年1月13日~15日
メンバー 宮坂、長久(鶴)、長久(美)、原口、野田、小島、鈴木(嶽)、山本、別所、松本、他1名

 厳冬だというのに、江戸の街には、春のような風が吹いておりやした。越後の国石打の里も、積雪も少なく、長下駄雪面滑行遊戯なんざあ、出来っこありゃあしません。スキーをとられちまいやすと、背骨を抜かれたみてえになっちまうアッシにとっちゃあ、一大事でございやした。
 そこで雪の豊富な、奥州路、岩代の国は福島、更に奥へ入ったところの、高湯の里へと足を運んだんでございやす。
1月13日(晴)
 やってメェりやした高湯の温泉、硫黄の強い温泉の出る所でござんす。早速温泉に入り夜汽車の疲れを癒やすてえと、すぐにゲレンデへ、飛び出したんでござんす。
 正確には、吾妻スカイラインスキー場、通称高湯スキー場は、下から高湯、湯花沢、白樺平、日経の四つのゲレンデより構成されている。高湯のゲレンデで軽く足ならしをし、上の白樺平ゲレンデへ登る。吾妻小富士、安達太良山が望見出来る展望の良いところである。そこで私は、恋こがれていたミユキ(深雪)チャンにめぐり逢い、我を忘れ深雪を滑った。誰も滑ってない雪面に、自分のシュプールを描く。時には強く時には弱く、深雪独得の抵抗感を膝で吸収して滑る。実に楽しいものです。さて皆様方は、どうでしょうか。先ず長久天皇、昔ならした古流フランス式スキー術、滑る事よりも8ミリ映画の撮影に忙がしいようです。次は、宮坂親分、相州は丹沢に端を発した、グリセード式滑走術、今回はスキーをとりかえた為か、見せてもらえず、もっぱらスキーの着脱訓練に励んでます。次は、野田のアニさん、高い姿勢からの正調オーストリア式スキー術によるパラレルは、見事なものです。今回は、それを脱皮して、日本式かかえ込みケリ出し術の修業の為、深雪にチャレンジしてます。次は、女性を代表して松本さんの登場、この人には、なにもかにもオドロキました。一年前とは比較にならぬ程立派になったこと、身につけているものは、グリーンのキルティング、赤のパンタロン、板は、どうする、クナイスルとくれば、技術も当然レベルアップの、チヨッピリハナレルクリスチャニア、イヤアマッタク板についた滑り方になりました(スキーだから板につくのはあたりまえ)てな調子で本日終了。宿へ帰り、トランプで夜を過ごす。
1月14日(晴)
 宿のライトバンで、日経ゲレンデへ、本当の空の下で滑る。ここは、途中に急な斜面をもつ滑りがいのあるゲレンデです。昨日足ならしをしているので、スタートからとばす。無宿渡世に怒りをこめて、口のヨウジがピューとなる....は、木枯し紋次郎だ、こちらは、そうはいかない。出てくるギャップに怒りをこめて、滑る耳元ヒューとなる。ここがうわさの急斜面、頼れるものはただ一つ、オノレの技と足の板、ギャップに飛ばされ、バランス崩し、顔からとび込む雪の中、後姿が泣いている。てなことで滑りまくり、白樺平へ降りていったらモンチャン、別所、原口、オイハギのヨッチャンの4人に逢う。昼食後一緒に滑り、太陽も沈み、リフトもとまったので宿へ帰った。卓球と、トランプで夜を過ごす。
1月15日(曇り)
 午前中で滑るのを止め帰る。福島駅で溝越の見送りを受け、山形へ行く、モンチャン、ヨッチャンと別れ帰京する。


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