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春山合宿 谷川岳平標山
小島 作蔵

山行日 1973年5月2日~6日
メンバー (L)山本、別所、川田、野田、溝越、永田、春原、長崎、稲田、柴田、平、小島

5月2日(曇り後雨)
 早暁の土樽駅を後にし、魚野川の橋を渡り、左岸の林道を群大ヒュッテ目指して歩く。重荷が肩に食い込み嫌な歩きである。林道途中で一本立てる頃には夜も完全に明けたが、空は雨雲に覆われて入山の日にしてはさえない天気である。更に雪が少なくザックに積んだスキーが恨めしい。途中、道路に沢の水が溢れている箇所などを通過したりして、どうにか群大ヒュッテ前に到着した。ここら辺はバッキガ平といって仙ノ倉谷と毛渡沢の合流点である。
 先に入山しているはずの別所君のテントを探したが、それらしきものは発見されなかった。仕方がないので兎に角ベースを作ろうとテント設営作業にかかるが、ここでポールと天幕が違うことが分かり一時ざわめいたが、色々と工夫を凝らしどうにか2張の天幕設営が完了した。
 この辺はタラの木が沢山あり、溝越君がテント設営の合間に今晩のオカズにとタラの芽を沢山採取した。棘の沢山ある木(長崎さん曰く、別名を嫁たたきと言うのよ....、嫁=女性はこんなんでたたかれても平気なのかな?スゴイモンダ)なので、芽を摘むのに苦労してた。
 そのうち雨が降り出してきたため、全員テントに入り朝食を済ませたが、昨夜の夜汽車の疲れを癒すためにシュラフを引っ張り出して眠った。一眠りし目を覚ましたら雨も小降りになってたので、毛渡沢沿いの道を雪渓訓練場所探しに登ったが、雨が再び本降りになってきたので慌ててテントに戻った。群大ヒュッテ前の林道をずぶ濡れになりながら駆け足で通過していると、飯場の建物から「小島さん!」と声がかかった。振り返るとなんとそれは別所君だった。
「よおッ!どうしたの、何処にテントを張ってたの」
「この上の河原に張ってたんだけど、皆なかなか来ないんで平標新道の取付きまで探しに行ったんだけど、先に行った様子もないし、この雨だろう、ずぶ濡れになって降りてきてこの飯場で休んでたんだよ。それに群大ヒュッテ前で1時間も待ってたんだ」
「そうかあ、俺達ゃね、またどっかの稜線で閉じ込められてんのかなあと思ってたんだ」
「何処にベースを張ったの」
「このちょっと下の右手だよ、三峰の旗があるからすぐ判るよ」
「じゃ直ぐ行く」「ああ、待ってるよ」てんで変な巡り遭いをし、ここに全員そろった。しかし、雨が激しいので外にも出られず、トランプをしたり川田君を先生にしての天気図の書き方等をして過ごした。夜は早速タラの芽のテンプラを食べた。大変美味しかった。
 タラの芽の十や二十や何峠(波郷)
5月3日(雨)
 雨が降る降る雨が降る....何もすることがないので例によりトランプ大会と相成りました。運動不足気味なので雨の中を山菜採りに出かける。山菜の検定員は秋田出身の柴田君です。
 林道をしばらく下ると道の両側にくさそてつ(こごみ)が沢山生えていた。
 くさそてつ、繁く生えたる古庭の道を通りて、主を思ひき....という歌があったっけなあ、そして昨夜のテンプラの味が忘れられず、タラの芽を更に蜀山人の狂歌、
 さわらびが にぎりこぶしをふりあげて
 山のヨコッツラ、春風ぞ吹く
あるいは、昔の山国のわらべ唄、
 ぜんめい、わらび
 なんで腰かごんだ
 親の日にぜぜ(魚)くって
 それで腰かごんだ
と唄われた、ゼンマイやワラビも採取した。午後、稲田君が帰るので一先ずテントに戻った。丁度、永田君も入ってきたが稲田君と溝越君が帰るので永田君も一緒に帰った。さあ次はふきのとうだッてんで林道を登り吊橋を渡り平標新道へ行く山道をしばらく登ったらふきのとうが群れをなして生えていた。
 元舟の、水汲むうらや、フキノトウ(大祗)
雨でずぶ濡れになりながらテントに帰った。テントの周囲にイタドリが沢山生えていたので、今が食べ頃とこれも採取した。
 夏野原、イタドリのびて、木の如し....と言って、大変生長の速い植物だそうです。
 さあ今晩は山菜料理です。イタドリのマヨネーズ和え、コゴミ、ワラビのお浸しを沢山食べた。
5月4日(曇り後晴れ)
 5時頃、野田、平の両君が入山した。今日は平標新道の取付きまでベースを移動することにする。
 2日ぶりに重荷を背負って吊橋を渡り、山道をテクテク歩き1時間くらいで目的地に到着した。すぐテントを設営し、近くの雪渓でキックステップ、滑落停止を主に訓練する。その合間にスキーをやったがあまり滑らねえんですぐ止めた。3時頃訓練終了。テントに帰りのんびりと酒を飲み濡れた物を乾かす。明日はこの地点で訓練なのでテントの中で歌を歌ったり、トランプをしたり夜の更けるまで過ごす。星が綺麗だった。
5月5日(晴れ)
 良い天気だ。別所君達が訓練場所を探しに行っている間、スキーで遊ぶ。7時頃、春原さん入山。
 午前中はアプザイレン、および簡単なザイルワークを中心とした岩登りの練習であった。午後は午前中の練習で膝のサラを外した平さんをテントキーパーにして、平標新道を30分くらい登った地点から右手にトラバースした沢の上部でキックステップ、グリセードの訓練を、沢の下部でザイルによる確保訓練を行い5時頃終了。川田君午後下山。
 今夜は野田、平、春原の御三方に一昨日採取したタラの芽とフキノトウの天ぷらを御馳走する。またヨッチャン自慢のトンガラシ入りのハスのキンピラが出たり、大変な御馳走でした。
5月6日(晴れ)
 再び重荷を背にする。急な山道を登るのでスキーの板は置き去りにする。重荷なので急な山道は辛い。その代り、タッパはどんどん稼げる。矢場の頭を過ぎた辺りから右手に平標沢、左手に残雪を留めている西ゼン、東ゼン等の各沢、更に仙ノ倉北尾根等が眺望できる。最後のピークを越えると残雪のある池塘を配した草原に到着した。ここで一休み。
 さて、もう一頑張りと平標直下の急登を登ると山頂に飛び出した。延々と続く縦走路は東に仙ノ倉山のドームを越え、南には一直線に屋根の光る平標小屋を目がけて下っている。雪渓ではスキーヤーがスキーを楽しんでいる。オレモスベリテエナア....コースを南に取り、雪解け水でぬかるんだ道を平標小屋へ降りた。
 予定では三国を越すつもりだったが、湯沢温泉で温泉に入ろうと元橋方面に降りることにする。山道を降り林道を歩き(トコロテンと寿司が食いたいなあ!と思いながら)、平標登山口バス停に着いた。後はバスで湯沢へ行けばよい....。
 湯沢で金25円也の公衆温泉に入り汗を流し、」満員の特急電車に乗り込んだ。

〈コースタイム〉
5月2日 土樽(2:58~3:10) → 林道途中(4:05~4:20) → 堰堤(5:00~5:08) → 群大ヒュッテ(5:15)
5月3日 停滞
5月4日 群大ヒュッテ(8:00) → 平標新道取付(9:10)
5月5日 訓練
5月6日 平標新道取付点(6:00) → 1ピッチ目(6:40~6:50) → 2ピッチ目(7:40~8:00) → 3ピッチ目(8:55~9:15) → 平標の池(10:05~11:00) → 平標山頂(11:25~11:35) → 平標小屋(12:05~12:25) → 林道出合(13:05~13:35) → バス停(14:25)
谷川岳春山合宿装備
川田 昭一

(一)今回の春山合宿に用意された主な団体装備
 1. 冬テント 2張、ツェルト 1張
 2. ザイル 3本、三つ道具、ゼルブスト
 3. 食器、炊事用具等1式
 4. バーナー 3基、ガソリン 7L
(二)装備に対する反省および改善
 今回の春山合宿で大きな失敗をして、合宿に入った方々には大変ご迷惑を掛けましたことを最初にお詫び申し上げます。今回のような大きな合宿に必要な装備の点検、修理に時間をかけないで山行に出かけたので次のような失敗をしたのです。
 冬テント2張(No.1、No.2)用のポール2組を間違えて持ってきたことです。最初の1組は夏テントNo.2のポールを、またもう1組のポールは点検不備、欠陥ポールを運んでしまったことでした。こんなヘマをしたので一時は2張とも張れないのではと途方に暮れたが、どうにか細工して騙し騙し使えた。装備の悪さがもとで夏山、冬山縦走を断念せねばならぬ、または既に入山してから初めて装備の悪さを知って慌て、最悪の場合、生命にかかわるという事態にまで発展しかねない。テント場が樹林帯で風雨をかなりカバーできたので事なきを得たが山のイロハを守って装備は最初から完全でなければならないと思い、またそうしなければならないのが当然だと考えさせられました。

春山合宿献立表
日付
5月2日 うどん 米飯
豚肉生姜焼き
ポテトサラダ
山菜天ぷら
漬物
5月3日 米飯
味噌汁
山かけ納豆
漬物
ラーメン 米飯
納豆汁
大根と糸こんにゃくの炒め物
漬物
5月4日 米飯
味噌汁
大根と糸こんにゃくの炒め物(残り)
菓子パン
食パン
紅茶
コンビーフ缶
シーチキン缶
うどん
米飯
さつま汁
鮭の大根おろし和え
漬物
5月5日 うどん入りおじや
漬物
食パン
フランスパン
パイナップル
甘夏みかん
米飯
山菜精進揚げ
キンピラ
梅納豆
5月6日 かに雑炊
天ぷら(残り)
海苔佃煮
おにぎり
食パン
フランスパン
ハム
甘夏みかん


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