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阿能川岳~平標山
別所 三郎

山行日 1973年4月29日~5月1日
メンバー 野田、別所

 4月29日、水上で2時間ほどステーションビバークをして、仏岩バイパスなるジャリ道を仏岩へ。しかしその道も、仏岩への急登が始まる所で途切れており、伐採された斜面を行くようになる。大峰山吾妻耶山と阿能川岳に続く稜線とは、仏岩の少し北方で交わり、ここで大休止、ついでに鎖のついてる仏岩に登ったが、一ケ所ホールドスタンスの細い所があり、てっぺんに行けなかった。
 山鳩がデンデンポッポーデンデンポッポーと鳴くのを気にしながら、いよいよ阿能川岳への稜線通しを行く。途中7キロメートルは道は良かったが、それからは微かな踏み跡を追って藪を漕ぐようになる。そろそろ残雪がこのうるさいヤブを覆って、アイゼンでも付けてスタスタ登る春山特有の楽登スタイルで行きたいのだが、樹間からかいま見る谷川の山々は、そんなに雪は付いてないし、ひょっとすると、今回は大藪漕ぎ山行になりそうな懸念がする。原生林の中、緩い傾斜の登りが続く、三岩山を越えたと思われる雪渓で、ハンバーガーとスープの昼食とする。三岩山はそこから少し行った所にあり、阿能川岳へは待望んだ雪渓でつながっていた。三岩山頂から阿能川岳まで20分たらずで着いてしまう。阿能川岳からは小出俣山への雪道を探すが見つからないので、藪を漕ぐことになる。シャクなシャクナゲがビッチリ繁って悪戦苦闘し、稜線上阿能川岳寄り第一番目のコルに着く。その間山鳩天気予報適中で俄雨が隆り出す。先ほどの藪で疲れが出たのと、この雨で今日はこれまでとしてもらう。急いでカマボコテントを張る。2時半を少し廻った時であった。テントは雪上だが北側は森林帯で風に対する備えは十分。早い時刻から、ウイスキーをちびりちびりやりながら、天皇賞を聞きリラックスする。晩飯は野田料理教室が開催され、ニンニクとニラがドサッともり込んである。野田ギョーザをメインとした豪華版、すっかり満腹してしまう。
 30日、野田さんのオプティマスの音で眼を覚ます。枝葉のザワメキが耳に入るので、雨が降り続いていると思ったが、強風で快晴とのこと。6時45分ビバーク地点を出発、小出俣山に向かう。藪、雪渓、藪の断続で小出俣山と川棚の頭方面への稜線上のコルに着く。この調子だとオジ力沢の頭まで雪渓漫歩は望みなし、藪漕ぎに時間も取られそうなので、小出俣山は割愛し川棚の頭への藪に挑戦する。この登りは非常に体力を消耗させられ、無用の長物になったアイゼン、ピッケルを恨んだりした。天気は谷川では信じられないような快晴であったが、風は強く、オジカ沢の頭へ着くまで、吹飛ばされないようピッケルを使って耐風姿勢を取った時が何度もあった。オジカ沢の頭からは雪の全くない夏道を40分で大障子避難小屋に着く。今日までの雪の付き具合からみて、仙ノ倉北尾根は藪漕ぎとなるのでとり止め、平標新道を下ることとし、避難小屋には先人もいたので、すぐ脇にカマボコを張る。
 5月1日、今日も快晴風もなく、5時半幕営地を後にして、昨日から見ればハイウェイのような道を順当に、万太郎山、エビス大黒、仙ノ倉を越して行く。平標新道から、西ゼンのブロック雪崩を見たりして、新道取付点まで下る。ここで2時56分土樽発の列車に乗り込むべく先を急ぐ野田さんと別れ、のんびりと群大ヒュッテまで歩き、木材輸送用ワイヤーロープの下を避けた仙ノ倉谷の河原に今夜の幕営地を定め、明日合宿に入ってくる人達との出会を楽しみに、シュラフに入った。


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