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第一夏山合宿 中央アルプス縦走
斉藤 正雄
別所 三郎
春原 君代

山行日 1973年7月27日~31日
メンバー 長久(鶴)、長久(美)、小島、別所、播磨、山本、春原、長崎、柴田、斎藤(正)

7月27日(晴れ)(斎藤)
 我々が木曽駒スキー場を出発する時、約1名を除いて全員が胃腸薬を飲んでいた。なぜなら木曽福島からの道中、オンボロバスに揺られながら食べた弁当が何か落ち着かないのである。何となく落ち着かぬスタートであったが、高度を稼ぐにつれ眼下の風景は木曽駒スキー場と赤い屋根のロッジが、何かヨーロッパ調であったことを記憶している。五合目と六合目の中間に"ちからみず"といって茶碗が一つ置いてあった。「うめえや、皆も飲んでみな」播磨さんの一言に皆飛びついた。銀座のパブや新宿のコンパの水割りがこの水を使えばいいなーと考えたのは不謹慎だったかも知れない。森林地帯を抜け、視界が開ける頃には八合目になっていた。ルートのあちこちに残雪が灰色ではあるが涼しそうに見られるようになり、足許にだんだん石コロが増えた頃、九合目(玉の窪山荘)に着いた。正面に宝剣岳、左手に木曽駒頂上および木曽駒神社、右手に木曽前岳が見える。木曽駒頂上に着いた時、目前に宮田小屋とテント場が見え、数分後、長久さん、小島さん、別所さんの出迎えを受け第一ステージを終わった。テント設営、夕食準備などと慌ただしく過ぎ、星空の下で食べた牛丼が忘れられない思い出となった。

7月28日(曇のち晴れ)(斎藤)
 テント場を発ち中岳から宝剣山荘までガスで視界が悪く、寝ぼけ眼に中学生の一行に出逢う。ワイワイガヤガヤ喧しかったが、その一人一人が「オハヨウゴザイマス」に変わったのには参った。宝剣岳のシンボル、天狗岳が別所さんの指差すガスの中にボンヤリ見える。キスリングを岩にぶつけながら宝剣岳の頂上に着く頃にはガスも薄くなり、パチッパチッとポーズが決まり、長久さんとの別れになった。「じゃー、皆気を付けて」の言葉に送られ、第二ステージは始まった。宝剣の下りクサリ場が終りになる頃、長崎さん、別所さんの「ブロッケンだ」の叫びに、フワリと生まれる幻想的な世界に足を止めた。極楽平では、数々の高山植物(チングルマ、ミヤマキンバイ、エーデルワイス、etc)が、目を休めてくれた。しかし、まだ空木岳は姿を現わさなかった。さらに濁沢への下りは、砂ボコリで、まいった。かなり急な下りのため、ズルズルと意に反してホコリが立ってしまうのである。桧尾岳の頂上に立った時、正面に空木岳が、手前には数々のピークが、今日のステージのゴールとなって見えた感じであった。
 ガムシャラに歩き、雪渓でジュースを飲み、東川岳の頂上では、春原さんとリンゴ1個による"引カダンス"に大笑いなどしているうちに、今日のゴール木曽殿小屋テント場に着いた。水不足のため小島さんと、ザイル担いで、水汲みに約1時間など数々の思い出残る第二ステージでした。

7月27日(別所)
 ロープウェイを降りて、千畳敷カールに立つと、碧くぬけた空があった。東京にはない空の色だと思った。コーヒーとおにぎりの朝食を済ませた後、三ノ沢岳に向う長久父娘と別れて、前岳と宝剣のコルヘ登り始める。口ープウェイを利用することにより課せられたキスリングの荷は重い。スカートや短靴に追抜かれ、気狂いみたいに汗を流し、2ピッチで宝剣山荘に着く。山荘前で登攀準備をし、天狗のコルからガレ沢を下り、二尾根末端に取付く。花崗岩の尾根はフリクションが良く効くが慎重に登る。2ピッチで50mほど登った後、今にも落ちそうなチョックストンをもったチムニーを登る。ビレー用のハーケンを1本打ち、小島さんトップで、ザックを胸に抱き変形バックアンドフットにより、2、3分で抜ける。チムニーの上からは右側を行けば、ハイ松の斜面を踏跡を追って行くと楽に登れそうだが、忠実にリッジ通しに行く。次のピッチは残置ハーケンを利用してカンテを登り、邪魔になるザックを外し、変形L型チムニーを登ったりして、なかなか面白い所だった。続いてはピクナルに片足を乗せカンテに渡り、馬乗りになって越すが、アイスハーケンがガッチリ打ってあり快適であった。次の堰堤状の岩だが、ハーケンを2本打ちアブミ1本で越そうとしたが、無理なので小島さんのショルダーを借りることにする。思えば5年前、滝谷の第四尾根最後の1ピッチ、3メートルのハング状を越えねば不慮のビバークになる瀬戸ぎわ、ショルダーで間に合わなくてヘッドランプを付けたヘルメットに乗って越した時のヘルメットの下で頑張ってくれたのが、小島さんであった。小島さんは、堰堤状の岩をスポーツ法で登る。山頂はすぐそこ、恐龍の背のような岩の立並ぶ最後のリッジをノーザイルで越して行くと終了だった。約2時間、4年以上遠ざかって忘れかけていた岩登りの楽しさ、変らぬザイルに通う信頼感に満されて見下せば、アルペン的な景色のカールが美しかった。山頂の岩上でゆっくり昼食を摂り、300人ぐらい2隊の中学生が一般コースを登って来たので宝剣山荘に戻る。和合山の岩場を人工登攀しているのを見ながら長久さんを待っていたが遅いので、先に天幕を張り紅茶でも沸かしておこうということで、中岳を越え5時頃キャンプサイト着。ボンボンテン卜を張り終えた頃、中岳からモートーの声、長久さんだった。美智子さんが親父さんのザックを背負って来た。ほぼ同時に駒山頂よりコールがあり、これで縦走本隊と合流した。

7月29日(斉藤)
 木曽殿乗越を5時30分に出発。幕営地から急な登りになり、1時間15分で空木岳山頂着。天候は相変らずどんよりして、雲も低く垂れこめていました。1180年、木曽義仲が以仁王の令旨を頂き、木曽で挙兵し越後へぬけた峻険な中央アルプスの木曽殿乗越は遥か眼下にくびれて見えました。空木岳2864m頂上での視界は雲にはばまれ、残念でなりませんでした。  空木岳で播磨氏一行と別れ、7時、心残りな空木岳を後に南木曽駒ヶ岳へ向い、赤ナギ頭で一本立て、8時35分、南駒ヶ岳(2843m)山頂着。9時出発し、難所の鎖場まで1ピッチの後、仙涯嶺に10蒔20分着。この時刻より低く垂れこめていた雨雲から雨がポツリポツリ降り始め、11時20分越百山へ着いた時には、雨と風が強く、岩の下で小休止したのち記念丈へ。越百小屋分岐点に着いたのが12時、依然雨止まず、荷物を分岐点に置いて越百小屋で昼食を摂る為、空身で下りました。小屋は鉄骨で作られ頑丈な筈が雪崩にやられ、屋根だけがかろうじて残され潰れていた。小屋から下ること2~3分で水場があり、豊富に水を使い、熱いラーメンをすすり、天候の回復を待ったが雨は止まず、さらに降り続け、さらに風までが強くなる様子なので、今夜はここで幕営することに衆議一決しました。その時、6人連のパーティが険悪な雰囲気で下山してきた。休息も満足に取らず、リーダーの号令で再び下山して行きましたが、雨具も満足に着用せず、短パンなどの軽装で、今から下山しても夜までかかる距離なのにと思うと、リーダーの判断がいかに大切か思いしらされます。そのあと山本氏のポリタンが紛失しておりました。その日は、山小屋跡の隣りにテントを張り、早めの幕営となりました。
7月30日(斎藤)
 越百小屋跡を5時25分出発し、小屋への分岐点5時45分に着き、奥念丈を目指し、1ピッチの後7時5分奥念丈の山頂に立ちました。一本立てて念丈岳へ。道ははっきりついていましたが、昨日の雨で笹の上を滑ったり転んだりして下り、鳥越を過ぎた頃より、空も晴れ日が差し始め、気持の良い朝になり、気分もすっきりし自分の足で踏みしめて来た山々が美しく映えていました。8時40分、念丈から「池の平山」へ、9時40分到着、視界の利かない広々とした山頂で早目の昼食を摂りました。夕食の残りとラーメンのブッかけ飯のうまかったこと。10時40分出発、鳥帽子岳へ11時25分着、縦走路に被さる笹を掻き分け、スネを切株に打ち、散々な目に合って山頂に着く。鳥帽子岳を出発し、1ピッチの後1時43分小八郎岳下で小休止し、鳩打峠へ下る。林道をダラダラと下り、村が近くなると村人や童の平穏な顔を見、笑いや、話し声を聞くと、今までの緊張が取れ、充実感がジーンと湧き上ってきて駅へ向かう道の両側の果樹園から聞えてくる蝉の声が心地よく感じられました。
  風渡る青葉の中の せみの声
   伊奈の夏は 今盛りなり

7月29日(池山尾根下山)(春原)
 今日下山の3人は空木岳の三角点で南駒へ向かう一行を見送り、左にスリップしそうな赤茶けたザレの中を下る。すぐ左下方に空木駒峰ヒュッテが在り、人影も見えたが水はないとのこと、そのまま空木小屋へ向かう。ハイマツとお花畑の間にえぐられた道で前方は展けており、遥かな山並みに雲間から光が漏れ降り注いでいる。晴れそうでもあり、降りそうでもある。
 暫く行くとダケカンバの中の涸れた沢沿いの道となりやがて湿原に小さな小屋を見出す。水は豊富に湧き出ている。前夜は水で難儀したがそれだけに、このあくまで冷たく透き通った水は格別だった。ここで、昨夜分けてもらった食糧を取り出してみると、きょう下る私達三人の分としては多すぎる程だったので縦走組の食糧事情が急に心配になってきた。といっても引き返す訳にもいかず....。
 道は尾根の駒石からの道に合流し、シラビソか何かの針葉樹林帯の中を幾分トラバース気味が続く。天候のせいもあり、狭い樹間を縫っている道は暗く湿っぽくて憂うつだった。雨が降り出した。雨足が強い。本格的だ。稜線上のパーティが気に懸る。「今夜はヌレネズミでビバークだろう」などと言い合う。
 大地獄・小地獄と言われる道は、ヤセ尾根の上に狭い梯子の連続する所だが、ほかにも深いガレ場をトラバース(壊れた梯子があったりする)するような所が何ヶ所かあって緊張させられた。マセナギの頭に出ると一挙に明かるい展望が開ける。この頃、雨は止んでいた。ここから左山腹を下り、かなり降りてから右へ尾根を乗越すようにして尾根筋から下ると池山小屋に辿り着く。付近は、ヤナギランが山腹を覆いつくし、お花畑の中から首だけ出して歩いていくような感じである。小屋には太いホースで水が引かれ、濤々と落ちている。もったいないくらいだ。早々に発ち、再び尾根道に合流し、間もなく小ぶりな松やナラの樹林の間の広い赤土の道となる。低い木にかっきり縁どられた空しか見えない。この道もかなり長く少々うんざりする。伐採中の山腹に出て間もなく、車道を何回か横切り、ユースホステルの指導標を見て駒ヶ根鉱泉に向かう。雨は再びザーザー降りとなっている。播磨さんは、お父さんの代理で駒ヶ岳神社に「お礼詣り」を済ませ、しごく満足そうだった。駒ヶ根鉱泉は100円で、日曜日というのに湯舟は人影もなく思う存分浸った。のんびりと雨の音さえ私たちには心地よく感じられたが、稜線上では夕闇も迫る中でさぞかし難儀していたことだろう。

食糧計画表
日付行動食
7月27日お弁当レモン
ハチミツ
ソルダム
カステラ
フランスパン
チーズ
アンパン
乾燥果物
牛丼
味噌汁
漬物
7月28日お雑煮リンゴ
メロン
枝豆
フランスパン
ゼリー
アメ
ラーメン
天ぷら
もろきゅう
ご飯
7月29日米飯
味噌汁
梅納豆
漬物
枝豆
フランスパン
アメ
ハチミツ
メロン
乾燥果物
鶏釜飯し
7月30日麦そば
お吸い物
ラーメン
レモン
ゼリー
羊羹
乾燥果物
サラミ

夏山合宿の共同装備
1. 夏テント6人用 1張 ツェルト 2張
2. バーナー 2基 ガソリン 4L
3. 食器 炊事用具 1式
4. ザイル 1本 岩登り用具 1式

〈コースタイム〉
7月27日 木曽駒スキー場(8:50~9:05) → 沢出合い(10:00~10:20) → 支尾根途中(11:05~11:45) → 五~六合目中間(12:35~13:00) → 七合目(13:40~14:20) → 八合目(14:50~15:05) → 九合目(15:50~16:13) → 木曽駒山頂(16:43~16:50) → 宮田小屋(17:10)
7月28日 宮田小屋(6:10) → 宝剣山頂(7:05~7:25) → 濁沢岳ピーク前(8:35~9:00) → 濁沢岳通過(9:20) → 檜尾岳直下(9:55~10:20) → 檜尾岳(10:50~11:00) → 熊沢岳ピーク途中(11:50~12:50) → 熊沢雪渓(13:40~14:30) → 東川岳山頂(15:15~15:50) → 木曽殿越(16:10)
7月29日 木曽殿越(5:30) → 空木岳山頂(6:45~7:00) → 赤ナギの頭(7:50~8:00) → 南木曽駒(8:35~9:00) → 鎖場(9:55~10:10) → 仙涯嶺通過(10:20) → 越百岳山頂(11:20~11:40) → 越百小屋分岐(11:50) → 越百小屋テント場(12:05)
7月30日 越百小屋テント場(5:25) → 越百小屋分岐(5:45~5:55) → 奥念丈岳(7:05~7:15) → 念丈岳(8:20~8:40) → 池の平山(9:40~10:45) → 烏帽子岳(11:25~11:30) → 一戸(12:20~12:37) → 小八郎岳下(13:43~14:05) → 鳩打峠(14:15~14:20) → 林道途中(15:05~15:20) → 上片桐駅(16:10)

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