山行日 1974年1月13日~16日
メンバー (L)別所、安田、長崎
23時45分新宿発の急行に乗ったがさすがスキー客で一杯である。車中では立っている人もいるが、我々は幸運にも全員座れた。車内では人息と暖房でかなり暑い。間もなく有明駅という所で、荷物を出口へ持って行こうとするが、混んでいてなかなか出入口へ出られない。有明駅のホームに立った時にはホットしたものである。
さて、有明駅からはタクシーで中房温泉へ行ける所まで行ってもらうことになり、一ノ瀬(第四発電所)で下車する。ここから、苦難(私だけ?)の道が始まったのである。道は車道を中房温泉へと、上り坂である。1時間もしないいちに、バテてしまい歩調は超スローテンポでテクテクと、少し歩いては止って、そんな事を何十回と繰り返して、やっと中房温泉へ着く。今日はここで一泊の予定である。
昼食を終えてから、ここから燕岳までは、急登なので、翌日の山行の時間を稼ぐ為、デポを行う。登山口から直ぐ、急な登りになる。やがて、第一ベンチを過ぎ、第二ベンチの手前に来ると、二人のパーティ(月稜山岳会)に出会うが、一人は道に座り、タバコを吸んでいる。良く見ると右足に副木を当てている。聞いてみると、合戦小屋の下でスベッて骨折したとのことである。そんな訳で協力する事になり、急いで第二ベンチまで行き、デポし駆け戻り、仲間の一人が怪我人を負んぶしてザイルで固定して、そのザイルを我々が後から引いてフォローしながら、中房温泉まで降したわけだが、痛そうで可哀相になると共に、もし私が骨折したら、あの人みたいになるのかなあーと思うと、明日の山行が不安になってしまった。その晩は温泉につかり、たっぷりと休息を取る。
1月14日 6時15分に起床。朝食を摂り7時28分に中房温泉を出発する。昨日デポした第ニベンチまでは疲れもせず1時間位で着く。ここから合戦小屋までは、腹が立つ程急登が続き、もう山登りなんか止めちゃおうと思いながら、仕方なく諦めの境地で、四つん這いになりながら登る。
やっと合戦小屋に着く。この辺で森林限界なので、ヤッケを着る。ここからは、燕山荘が見えるが、槍ヶ岳や燕岳は、ガスっていて見えない。風力はまあまあである。バテているので一向に、燕山荘が近づかない。気を紛しながら、やっと燕山荘に着き、冬期小屋に入り、休みながら、燕岳アタックの準備を始める。今日のうちに、アタックするのである。小屋からは、燕岳の岩峰が良く見える。小屋からは難なく、燕岳のピークに立つ。ガスっていて回りの山は良く見えないが、良い気持である。雪は風で飛ばされて、あまり多くない。辺りをぷらついて小屋へと帰る。小屋には、我々の他に三名のパーティーが居る。別所さんがテントを張り、長崎さんは、夕食(シチュー)に精を出す。私は天気図を書いた。夜になると、一段と風が強くなり、明日の天気が気になったが、それ程悪くならないだろうと楽観視する。外に出てみると、雲一つ無く、夜空一面に星が輝き、手を伸ばせば届きそうである。また、松本盆地も良く見え、町の灯がきれいに見える。自然の美しさにあまり接した事のない私には、心のオアシスに来た感である。一日の疲れが、素飛んでしまった。
1月15日、朝3時15分起床、テントをしまい朝食を食べたら、6時を回ってしまった。小屋を6時45分に出発し、表銀座コース(かもしかの足跡がついている)を通り、大天井岳へとアタックする。歩き始めて幾分かたった頃、東の空が明るくなってきた。雲一つ無い快晴である。槍ヶ岳が朱色に染まり、自然の美しさに、またまた驚愕する。足取りは軽く、気分壮快である。かもしかの足跡が、まるで我々を大天井岳へ案内してくれているみたいである。10時5分に大天井岳ピークに立つ。槍がドーンと、目の前に聳え立っている。上高地、穂高はもちろん、富士山、浅間山の煙まで良く見える。実物を見ながら、山の名前を色々と教えてもらう。ピークには30分くらいいて、燕山荘小屋に向かい下山である。あんまり天気が良いので、恐いぐらいである。小屋には13時頃着き、13時45分には中房温泉に向け下山を開始。合戦小屋までは、冬の日を背に受けながら、周囲の景色を楽しむ。合戦小屋からは、樹林帯に入り、斜面も急になる。そこで、キスリングを背負いながら滑って下る。雪まみれであるが実に面白い。中房温泉には15時55分に着く。すぐ温泉に飛び込む。この温泉には、幾つもの風呂場が在るが、我々は湯船が木で作られていて、底がぬるぬるしている風呂に入り、湯船の中で冷たいビールをキューッと飲む。風呂から出て、食事を待つ。なかなか出来ないのである。我々の部屋は、ロビーから調理室を通らなければ、行けないのである。ロビーのコタツに入り、テレビを見ながら、今か、今かと食事を待つ。別所さんが、調理室を通った時、ビフテキを作っていたとの事である。さては、時間をかけて丹念に焼いているのだなと考え、食事が楽しみになる。温泉のオジサンが、夕食の仕度をして、ロビーまで持って来てくれたが、他の御馳走は揃っているが、肝心のビフテキは全々、出てこないのである。皆がっかりする。後で分った事であるが、あのビフテキは、他の泊り客の為(たぶん特注)のものであった。
1月16日、6時起床、朝風呂に入り、中房温泉を8時に出発し、有明に向う。途中では氷を食べたり、スキーで作ったソリ(月稜山岳会の怪我人を乗せたもの)に、荷物を乗せて遊びながら下る。第四発電所が見える所まで来ると、温泉を出る前に電話で呼んでいたタクシーが、ちようど着いたところだ。汽車の都合から、行先を変更してもらい、穂高駅へ向う。時間がかなりあるので、荻原碌山美術館を見学する。駅から歩いて、5、6分の所に在り、建物はアルプスを背にして教会風でとても感じ艮い。屋内には、ロクザンの作品が在り、スバラシイものである。ここに住んでいる人達は幸者である。また、付属館がロマンチックな作りなのである。丸太で作られていて、窓は一つ一つ、クローバーの形に刳かれて作られている。燭台には、白い太いローソクが在り、テーブルもイスも丸太作りでこんな作りの家に住みたいなあーと思ったものである。12時4分の電車で、穂高を後にし、松太駅に着き、市中に出て、ソバを食べのんびりと、14時15分発の、新宿行急行を待ったのである。
1月13日 | 一ノ瀬(6:25) → 一つ目のトンネル(7:30) → 第五発電所(8:35) → 中房温泉(10:40)(泊り) |
1月14日 | 中房温泉(7:28) → 第二ベンチ(8:23) → 合戦小屋(11:10) → 燕山荘冬期小屋(12:48) → 燕岳アタック → 冬期小屋(15:30)(泊り) |
1月15日 | 冬期小屋(6:45) → 蛙岩(7:10) → 大天井岳(10:05) → 冬期小屋(13:00) → 合戦小屋(14:30) → 第二ベンチ(15:20) → 中房温泉(15:55)(泊り) |
1月16日 | 中房温泉(8:00) → 第五発電所(8:55) → 一ノ瀬(10:30) |