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秩父三峰山参拝登山(40周年記念)
長久 鶴雄

山行日 1973年10月13日~14日
メンバー 宮坂、長久、山本、播磨、小島、別所、鈴木、川田、北林、小池、桜井、斉藤、渡辺、長崎、庭野

 当初30名を予定した行事であったがそれぞれの都合で15五名となって一寸淋しい記念行事となったことは残念だった。
 それでも山形からわざわざ出席してくれた鈴木君も含めて先発隊は1時半の特急で池袋を発ち、山頂駅に降り立った時は5時近かった。天候はあまり芳しくないが足元を雲が去来して明日はどうやら天気も回復しそう。この辺りの紅葉はまだ早い模様である。
 宿坊に着き意外と良い室にくろぎ後発隊を待つ。最終ケーブル組、車組、と相ついで到着、7時半頃より会食となるが一本ついているので外の風雨が気にならぬ程の賑やかさであった。遅れて来る宮坂さんを心配していたら、モートーの声と共にずぶ濡れの裸チョッキが現われた。雨中を一人歩いて登って来たとのこと、さすが!と一同感心する。隣室からのご寄付のお酒と渡辺さん、横関さん(旧会員)御寄進によってまたまた追加で宴会のやり直し、やがて例の御開帳ともなると、宮坂さんの大いびきと共にその賑かなこと、外は相変らずの大雨で風がごうごうと杉の木立を揺すっていた。
 翌早朝本殿に昇殿して御祈とうを受ける。ドンドンと打ち鳴らす太鼓が眠気を吹き飛ばしすきっ腹に響く。冷たい板の間に正座しているので早くも足が痛くなった人が現われる。登山安全山岳会隆盛の祈願も終え、神前でお神酒を頂き朝食となる。それぞれ出発の時刻となれば風もおさまり雨も上って日射しさえ見え始め御利益も誠にあらたか。大きな杉の木に囲まれた境内はスガスガしく、しーんと静まり返って良い気持ちである。神社の石段で一同委員長を中心に記念撮影の後それぞれのコースに出発した。雲取越の班から先ず出発、大洞川源流の沢登り班が小池さんの車で送り出され、その他は車で、ケーブルで下山した。

雲取越え
 三峰神社の駐車場前で一同と別れて雲取越えの登山道に入る。妙法岳の分岐を過ぎるとやっと山道らしくなる。御経平への道は灌木帯で相変わらずじっとりと汗ばんでくる。やがて霧藻ヶ岳(秩父宮が名づけたとのこと)に着く。ここは昔、地蔵峠といっていた。宮坂君が調子が悪く遅れがちであったが、彼は具合を見て行けるところまで行ってみるから別行動にしてくれと言うので我々は先に行くこととした。前白岩の登りにかかると紅葉も一段と増して両神山の姿もはっきりと見えてくる。前白岩の登りは苦しい。登り切ってやや平らになると行く手に白岩山がのしかかるように仰がれ、その中腹に白岩小屋の屋根が見える。小屋を過ぎると白岩山の急な登りとなるが、昔は白岩山を巻いて芋ノ木ドッケへの分岐点まで道があったのだが今は廃道になっている。白岩山頂に立つと天目山、長沢山の尾根が左に派出し眼下に大ダルミを見下ろし、その向こうに目指す雲取山が黒々と聳える。せっかく登ったのにまたまた大下りはいささか腹立たしい。この辺りから左側は東京都で右側は埼玉県だ。一登りで雲取ヒュッテだが武州雲取小屋はそのまた上だ。やがて昔懐かしいガマ仙人の小屋に着いたが、辺りの木立は切り払われて炊事場や便所の位置も変わっていた。小屋に入って昼食とする。ガマ仙人が座っていた所は土間になってしまって、ストーブだけが元のままの位置でチンチンと湯をたぎらせていた。
 小屋からはコメツガの樹林の登りとなり2、30分で山頂に出た。三角点には櫓もなくなり大きなコンクリートの展望板が置かれている。風が強くて大休止もならず下山にかかる。小雲取までは快適な広い尾根の散歩道である。五十人平という所まで下ると奥多摩小屋(昔は甚助小屋といった)である。七つ石山の手前で鴨沢道に入り堂所まではぐんぐんと高度を下げるが足が痛い。堂所辺りから後5キロといった標石があったりして、遥か彼方に小袖川の出合付近が望まれ、行けども行けども山腹を行く道は続いてなかなか小袖川の川床が近くならない。部落を幾つか抜けると急にバスの音がして鴨沢に着いた。正に出発しようとするバスを桜井君が駆け下りて止めていてくれて、一同痛い足を引きずってやっと間に合った。


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