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スキー初滑り・石打丸山スキー場
松谷 洋美

山行日 1973年12月22日~23日
メンバー 小池、小島、斉藤、能地、松谷

 なけなしの金で買ったスキーを担いで電車に乗り込む。この例会は、スキー初滑りと名がついているが、僕にとっては、初滑りも初滑り、スキーなんて今まで遠い世界の夢物語りにすぎなかった。早く滑りたい。そんな気持でワクワクしてきて大声で歌でも歌いたくなるが、ぼくも母の腹から出て来てはや20年、あまりそうはしたないこともできまいに。
 12月22日朝8時に上野に着くと小島さんしか来ておられない。能地さんが来るとのことだったが結局は、ふたりで石打へ向かう。他の人は後から来られるそうだ。
 長いリフトを一つ登った所にロッジがある。そこでしばらく休んでからいよいよスキーを履く。最初、小島さんと二人きりだったことは幸運だった。なにしろ、スキーのベテランからマンツーマンで教われる。この後、2、3時間にわたり、まったく手取り足取りで教えていただいた小島さんには、誌上を借りてお礼を申しておきます。
 先ずは例のごとく登高、ウンこれはできる。しかし次からがさっぱりだ。直滑降、横すべり、プルーク・ファーレン、おまけにプルーク・ボーゲンとなると、もうあきまへん。なんで滑らんのや?と考えるけれど滑らんものは仕方なし。夕方になったので、あきらめてロッジに帰る。夜になり小池、斉藤さんたちがそろう。これらのベテランに連れられて哀れなるかな長いリフトに乗せられる。ナイターなんてこんな目に会うのだったらなければよいと、思うのにリフトはお構いなしにグングン上がる。それからは転ぶことに、あけくれた。ところがアレ不思議。3回4回とリフトを登っているうちに雪に慣れてくるではないか。こいつぁ、おもしれェャ。とにかく滑ればヨイ、止まらなけりゃ転べばよい。誰かにぶつかっても、そんな事ァ俺の知った事じゃナイ、死ナヘン死ナヘン、相手は雪ダ、死んだら小島の責任ダ、この野郎なめやがって、と粉骨砕身?精進しているうちにどうにか型がついてきた。昼間全然駄目だったが、プルーク・ボーゲンとやらをやれるじゃないか。スキーは楽し。いい気なもんだ。
 翌朝早くから小島さんと斉藤さんは頂上まで行くという。すごいナと思っていたら、僕にもお声がかかる。冗談でしょうと言おうとしたが、二人に赤い歯茎をむき出されて微笑みかけられたら、こういう誘惑に弱い僕は仕方なく、あったかい布団から抜け出ざるを得ない。その朝は晴れた。リフトから見る雪の世界は素晴らしかった。白一色限りの国に空の青とスキーヤーの派手な服装が目の覚めるようなアクセントをつける。陰うつなこの世界に、明らかな原色が活動感を与えている。と、この辺で少々心細くなって来た。乗り継ぎするリフトは、上がりっぱなしだし、なんといっても傾斜が急だ。この辺で滑ってますからと許しを請うが、適当にあしらわれたり、おだてられたりで、とうとう標高800mだ。小島三峰スキー学校の先生がまた、教えてくれるのかと思って安心してたら、突然滑り出し斉藤コーチも僕を捨てて後に続く。ああ、小島さーんと情けない声で叫んだが既に遅しで、二人はぐんぐん下降する。それからは滑るなんていうものじゃなく、転げて落ちてゆくようなもので、恐怖で顔はひきつるしなんとも....三峰スキー学校はこういうサディスチックな事をやるのですぞ。
 昼からは桐の木コース。また、どえらく急な所だ。今日来た野地さんも入れて総勢で出かけたが、上から下を見下ろして驚いた。アイゼンでも欲しいや。この時は小池さんがいてくれて斜滑降とキックターンのコンビネーションで下る方法を教えてもらいどうにか下まで降りる。小池さんが、有難たかった。鬼の小島、仏の小池、島と池では大違い。これから三峰でスキーを習う御仁は、これを知ってスキーをやるべし。
 ロッジに別れを告げザックを背負って、麓まで。リフトで降りたいがそうはいかぬ。きょうは標高差計550mのダウンヒル、最後はツアーだと、ふざけてみるものの、からだ中ガタガタだし、いい加減にうんざりする。列車の中で。首が痛エヤと言うと誰かが、ふてぶてしく大笑いした。


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