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谷川岳
安田 勉
多部田 義幸
桜井 且久

山行日 1973年11月23日~25日
メンバー (L)別所、野田、小島、柴田、桜井、安田、松谷、真木、多部田、春原、庭野、長崎

11月23日(安田)
 土合駅に着くと、それはトンネルの中であった。この駅は私にとっては初めてである。
 ホームから改札口まで階段があるのは知ってはいたが、あれほど長く辛いものとは思わなかった。外へ出るまでに疲れてしまい、本当に谷川岳へ登れるか否か、不安になってしまう程でした。生まれてこのかた20余年、雪とは全々縁のない私は、雪を見ただけで心が何故か、弾むのである(全く単細胞である)。駅で朝飯を摂り、記念撮影をし出発である。土合口よりゴンドラに乗るのかなあーと甘いことを考えたが、やはり甘かったのである。土合口からは沢へ出て、ゴンドラを真上に見て、雪の降る中を行くのであった。途中からは雪もかなり多くなり、ペースも遅くなる。私は気持ち悪くなるし、風も強くなってくるし、このまま180度方向転換して引返したくなる。「土合行」の標示のある所を過ぎた所で昼飯を摂る。ここで後から来ることになっている小島さんがやって来た。「さぁー」谷川へ向って出発である。少し行くと、前に居るパーティーがラッセルを行っている。そのうち我々もラッセルを始める。私は冬山は初めて、もちろんラッセルはやったことがない。ただ今回は参加メンバーが多かったので、実際ラッセルをやった時間は15分くらいで、楽しみながら雪と戯れたような感があった。
 そろそろ皆、疲れてきた頃、避難小屋と巌新道との出合に出た辺りにテン卜を張ることに決まったが、吹雪のためテントがなかなか張れない。結局、2時間くらいかかった。午後4時頃、テントを二つ張り終える。私などはテントの張り方も良く分らず、ただオロオロするばかりで、全く役立ずで、他の人がテキパキと行動しているのに、張り網を引っ張っているくらいで、情けなくなったものである。
〈コースタイム〉23日
土合駅発(8:05) → 土合口通過(8:50) → ロープウェイ駅(10:00~10:15) → 土合行の標識の所(12:10) → 幕場(巌新道との分岐)(14:05)

11月24日 快晴(多部田)
 周りの物音で目覚めると、時計は6時を回ろうとしていた。昨日が堪えたのだろうか。山にしては、少々遅すぎたようだ。それとも今日も吹雪になると思っていたのだろうか。耳を澄ましても何ひとつ聞こえない。眠い眼をこすりこすり天幕から這い出ると、昨日とは打って変った世界である。そこには青と純白の別天地があった。だが、やはり寒い。昨日は何ひとつ現そうとはしなかった山々も、今日は我々に何かを語りかけようとしている。眼前に威風堂々たる谷川岳。そして、その左右の肩を支えるかのように西黒尾根、オジカ沢、小障子、大障子の山々が鋭い岩肌を現わしている。昨日、我々の前をラッセルしていた、東京登高会らしき方々が、アタックザックにピッケルという姿でこちらに向かって来る。彼らは、我々と軽く挨拶を交し通り過ぎていった。ああ、なんて凛しい御姿なんだろう。こんな良日にアタックできるなんて幸せ。それに引き変え我々は、よりによって今日みたいな日に寝過ごすとは。そんな気持ちを一方に、今日の朝食、雑煮を摂った。相変わらず私は満足のようでもある。だがどんな味であったかはどうにも思い出せない。雪で濡れた天幕を取りはずし、今日の露営地天神峠方面へ向うことになった。モートー、モートー、こちら三峰一号、三峰二号応答願います。どーぞ。歩き始めて数時間ほど過ぎた尻出岩であったろうか。その登りでトップの方が新雪に足を取られたのか、キスリングもろとも、5~6m落ちてしまい深みにはまってしまったのである。そこで我々自称三峰先鋭隊一行6人は、向こうのピークから高見の見物をしておられる、30分遅れの後続隊の見守られる中で、壁を乗り越えたのである。日が上天の頃大きなピークに立った。眼下には天神平スキー場、向こうのピークにリフト小屋が見える。先程まで体にのしかかるかのようだった谷川の山々も、今は少しばかり遠のいた感じだ。ところでここは天神峠だろうか。このピークが峠だとすれば、おかしな話だ。ともあれ、このピークで後続隊を待つことにした。スナップ写真などを撮り、喜んでいる姿を見ると、先鋭隊ならずや、青春隊であろうわ。そのうちに途中で合流した野田先輩と共に後続隊が着いた。峠とリフト小屋の途中の尾根上を露営地にした。日が南に斜き出した頃、リフトの下部で野田、小島、別所さん方々の指導でキックステップ、グリセード、確保訓練を行い、7時頃終了した。日は既に沈み、夜空一面星が舞っていた。我々の今日一日の疲れを何よりも癒やしてくれたのは、それに違いないだろう。そして、私たち新人にもう一つの山での楽しさを教えてくれた先輩方々に、礼の念を抱きキャンプヘと急いだのである。

11月25日(桜井)
 谷川岳山頂を目前にして幕営地を撤収させることは何とも悔しかった。一つの頂きに目標を設定して、その頂きを所定のルートから登るに好都合な本拠地を求める。そしてその本拠地を出発して、途中のあらゆる困難を一つ一つ克服しながら、なんとかして目標に達しようと努力する。その結果、一つの登頂を成し遂げる。たとえそれが貧しい登頂であろうとも、一つのものを完成させる。そこにこそ登山の持つ魅力の一つが存在するであろうし、ピークハンターを自認する私の登りがいがあるのである。ましてや、24日は快晴が半日余りも持続したのである。いくら今回は会の訓練とはいえ、このまま退却するのでは自称《山屋》の恥さらしでは。
 そういった《無念さ》を一気に次き飛ばすかのように、星の鈍く瞬く午前4時40分。我々12名は冬山装偏に身を固め、一路谷川岳山頂目指してテントを出発した。避難小屋まではこの二日間のラッセルのおかげで難なく到着。あまりスムーズに通過できたので、あの苦しかった初日のラッセルが全くばからしく思われ、しょうがなかった。しかし、この頃から除々に雲行きが怪しくなってきて雪がちらほら。ピーク直下に到着する頃には、風こそまだ弱かったが視界が堪しく悪くなってきて降雪の量も俄然増えてきたようだ。荷が軽いので皆さん快調に来たことは来たが、一瞬各自の顔に緊張感が漂ってきたようだ。頂上はすぐそこだ! 思わず「ファイト」と自分自身に言いきかせてしまった。こんな時、単独行の多かった私は、単独だったらさぞかし寂しく不安に違いないと思われた。しかし、今度は11名もの頼もしき、《山仲間》のが傍にいると思っただけで、何の不安も抱かなかった。目指すは山頂のみだ。そして、ついに7時45分谷川岳到着。が、天候は増々悪化の一途を辿っているようだ。手拍子で登頂の喜びを分かちあうや否や即下山にかかる。ほんの5分前の12人分の足跡がもう分らなくなってしまっている。ルート選定に何回か迷いながら避難小屋まで辿り着いた時は、一安心といったところだった。それにもかかわらず今度は雪だけでなく風が強まり、完全な「風雪の世界」をひたすら幕営地目指して下る羽目になった。9時15分、幕営地着。テントの中に着のみ着のまま入りこみ、すぐさまバーナーに火を点す。思わず、みんなの厳しい顔が和む瞬間だ。2時間ばかり暖かいココアを飲みながら楽しい語らいの時を持つ。11時、撤収開始。激しく吹きつける中を約1時間後には、再び緊張の面持ちで下山を開始した。初日同様、歩き始めるや否や猛烈なラッセルを余儀なくされた。それでも新人組は雪に慣れたのか、元気よくトップをきってラッセルに終始した。まさしく、新人の「心意気」を示した3時間といってよいだろう。土合駅に着いた時は、この三日間の充実しきった山行に個々の顔付が心なしか満足気に思えるのであった。


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