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日和田山ロックゲレンデ私想記
多部田 義幸

 武蔵野の俤に揺れ、しばらくすると秩父山地東麓である。東に高麗丘陵が突き出ている。中央を西から東に向かって高麗川が曲流している。高麗の名称はその昔、朝鮮半島の民族である高句麗国からの由来と言われる。「高句麗人一七九九人を武蔵国に遷し、高麗郡を置くというのはこの地のことである」この一団の首長であった「若光」の居た所でもある。そして、この人を祭ったのが歴史の山、日和田山である。高句麗人が日本に帰化したと伝えられる高麗部落を一望するかの如く高麗神社があるのである。退屈感から解放されると正面に聳える神話の山、日和田山である。そして、その奥に影を潜める物見山。こんな神話の世界へあなたもやって来ませんか。武蔵野の俤の残る農家の庭先を進むと岩場に続く。それで道に迷う方は高句麗人の子孫に尋ねると良かろう。
 武蔵野の俤は今僅かに入間郡に残れり....昔の武蔵野は萱原のはてなき光景をもって絶類の美を鳴らしていたようにいい伝えてあるが、今の武蔵野は林である。これは国木田独歩による「武蔵野」の書き出しの一節であるる。日和田山は楢の山、「楢の類いだから黄葉する。黄葉するから落葉する。時雨が私語く。凩が叫ぶ。一陣の風小高い丘を襲えば、幾千万の木の葉高く大空に舞うて、小鳥の群かのごとく遠く飛び去る。木の葉落ちつくせば、数十里の方域にわたる林が一時に裸体になって、蒼ずんだ冬の空が高くこの上に垂れ、武蔵野一面が一種の沈静に入る」独歩の一節の引用であるがまさにその通りである。ツルゲーネフの「あいびき」にも、自分は座して、四顧して、そして耳を傾けていたとある。私が「武蔵野」を知り、独歩を知った追憶の一時である。赤錆びた線路に沿い現代の武蔵野が続く。至る所に赤土が露出し....。そんな光景が一望に見渡せる日和田山ロックゲレンデ。明治30年代の独歩に帰り武蔵野の再幻をしてみては。私は独り岩場に行く時は、青葉繁る岩壁で小麦色した肌を初夏の日差しに晒し煙草をくわえる。ただそれだけなのである。貴方もそんな一日を作ってはどうだろう。
 武蔵野に散歩する人は道に迷うことを苦にしてはならないという。どの路でも足の向く方へ行けば必ずそこに見るべく、聞くべく、感ずるべき獲物がある。武蔵野の美はただその縦横に通ずる数千条の路を当てもなく歩くことによって初めて得られるという。浪漫詩人としての若々しい感情を自由に流露した独歩。そして激動の社会で青春を謳歌しようと思う若人よ、日和田山ロックゲレンデに集え。そして三峰に....。青春を一本のザイルに託そうではないか(ちょっと気障だったかな、まあ気障ついでに)。自我を自然に対立させるのではなく、自然と人間との連続性によって自我の自由を確保し人間の本然の姿に遷るのである。


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