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八甲田山スキーツアーより
長久 鶴雄

山行日 1974年3月16日~19日
メンバー (L)長久、斎藤(正)、小池、春原、他2名

 高度経済成長とは恐ろしい。何だか特急寝台に乗らねばならぬ気持になってしまったり、バスの時間に間があると当然のことの如くタクシーのキャリアにスキーを積み込むことになってしまう。その昔、鰊漁出稼ぎの人達の話に耳傾け、赤ん坊の頭ほどの焼いたおむすびをほおばりながら、ゆっくりと車窓を流れる青森湾の夜明けに感動し、そこだけ湯気が立ち昇る朝市の活気がせまる駅前の雑踏には津軽の方言がいっぱいで、異国にでも来た思いがしたものだ。
 今ではそんなロマンは何処にも見当たらない。馬橇に乗りウィーゼルの牽引で滑って行った道は、ブルドーザで壁の如く削り下げられ、八甲田の山懐深くまでチェーンのカチャカチャという音が入り込む。
 ロープウェイ駅に着けば早くも心は田茂萢の樹氷に飛んで、サア!行こうかァということになる。頂上駅は真白に雪の花と氷に包まれた殿堂で一同感嘆の声を上げた。
 一面のガスで視界悪く、間隔を詰めてゆっくりと滑り出す。樹氷群を過ぎた辺りから下界が見え始めると、それーとばかり雪煙を上げ新雪を蹴って右に左に樹氷を縫い、プレジャンプして赤や青のスキーウェアは見る見る点となって消えていく....といった筈であったが....実は、当事者に聞いてごらん。きっと雪だるまになってキャァキャァやってた変な外人の話をしてムニャムニャでしょう。午後になるとガスも晴れたのでもう一度ロープウェイに乗り、ダイレクトコースを滑降する。いやァ今度は、間違いなくシーハイル。樹氷も美しかった。皆も誠に快調、小島さんが居たらウファウファいって喜ぶだろうなァと言うのが皆の実感。吾が三峰プロダクションのスター達は元気良く再度の挑戦、監督は歳でダウン。
 酸ヶ湯温泉は長い廊下と大きい風呂場が名物だ。東北特有の入口男女別々、中一緒、湯気が一杯で何処に誰やらを良いことに泳いだり、滝を浴びたり。湯船の縁に高々と足を上げてた誰かさんの「キャー」ってな声もして先ずは目出度し。食事は大広間だが座って食べるのと、可愛い津軽娘の御給仕、それに汁と御飯はお代わりし放題なのは結構でした。でも我がグループには50キロに足りない人や、我慢して小食の人もいて誠にお気の毒でした。
 2日目、大岳にツアーする。例によって7時出発が8時半となる。快晴、大岳がくっきりと碧空を画し、南八甲田の雄大なスロープが魅力的に迫る。シールを付けたスキーは意外に重く何度も休んでしまう。硫黄臭い谷筋を抜け奇怪な樹氷の山を山を越すと広々とした仙人岱に出る。
 大岳、小岳、高田大岳と似たような円錐形の山が雪原のピラミッドを思わせる。雪に埋もれた硫黄岳小屋で大休止。
 すっがりガスって来た中を大岳に向う時は風と粉雪が舞い始める。目標のない白い斜面は来たことのある私が先導することとなる。井戸岳の鞍部に出るや猛烈な風雪で、手足顔ストックにみるみるエビのシッポが付き始め、もう大岳どころではない。
 シールを外すわずかな時間に手は半分凍傷状態。ガタガタしながらトラバースで、やっと大岳西南に回り込むと風も収まった。だだっ広い尾根だ。竹棒の標識を見失なわぬように注意しながらガスの中を一気に滑り下る。最後に岳樺の急斜面をヒヤーとがワァッと叫んで下りると田茂萢コースに合して温泉の真上に飛び出す。ここがまた急だが、そこはもう皆達人、サアー、サアーてなもので温泉の玄関にすべり込んだ。正直その日は風呂に入って寝るだけであった。
 次の日、快晴、悔しかったので昨日の吹雪かれたところまで逆コースで登り、樹氷の真中にベースをおきバーナーを焚く。写真を撮ったり、附近の樹氷の間を滑りまくる。スタントマンが居ないのでスター連中は汗だく。充分堪能して昨日のコースを楽しみながら宿に引き上げた。
 最終日は名残りを惜しんで田茂萢岳に再びロープウェイで登りダイレクトコースを楽しんだ。
 最後の斜面の下でカメラを構えていると面白い。壁の上部でズルズルガバーってな奴も下にくると誰もがカッコイイッ、例外はあったね、自衛隊員のドンとくる突撃形も良かったよ。キマッテラァネ、吾がプロダクションのスター達は格別だよ、ホン卜。
 心配だったのは小池さんがお熱を出して帰路元気なく五円安。お育ちのせいで下々の御食事が喉を通らなかったんでしょうね、....心にもないことを....。


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