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その3 鍋割山
長久 鶴雄

山行日 1974年6月2日
メンバー (L)長久、能地、山本

 新宿集合班、渋谷集合班ほぼ予定通りバスもスムーズに連絡し総勢19名、蛇だ蝶々だ木苺だと賑々しく四十八瀬の左岸の道を行く。これを世俗では行きはよいよい、と言うのか、ともかく我々の言葉でヤナギムシ(山窩語)調であった。
 勘七の出合で勘七班9名と別れ、ミズヒで7名と別れ、勘七を覗きに行った能地、山本君を待つ。12時半に後沢乗越しに向かう。この調子では早く着きすぎると蝶々を追っかけたりやたらに休んだりにんびりやって頂上に着いたが、勿論まだ誰も来ていない。
 昼寝したり、お汁粉を作ったりして1時間半ほど待つほどにミズヒ班が到着。枝沢に迷い込んだ旧会員野口老もバテバテで到着。3時かつかつに「お汁粉まだある!」って多部田君がハァハァ言いながら到着、大丸小丸を25分で走ってきたとのこと、御苦労様でした。勘七の班が到着して全員揃ったのは3時半であった。
 お酒も1本あるし、お汁粉も美味かった。この日ばかりは甘辛両天秤、1時間ほどで適当な仕上がり具合となる。早く着いた能地さん、素とぼけも甚だしい。青学ワンゲルの中に整列してリーダーの演説を聞いたり、宮坂さんも今日は無事(多少足りなかったのでは)で4時半に頂上で記念撮影。夕暮れの富士山や箱根にサヨナラをしてヨイショ、ヨイショと一気に駆け下る。ミズヒ沢の出合近くの枝沢の滝水で汗を拭き、朝来た道をさっさと下る。
 勘七沢出合を過ぎると大倉まで天皇賞レースが始まり、先行した古馬は向う正面で早くも抜き去られ、3コーナーで牝馬も脱落、あとは明け4才と5才のデットヒート、4コーナーでコース馴れしていない4才2頭が間違えて逸走してしまい暗くなってから大倉を出る。
 心配した多部田、甲斐君も次のバスで無事到着、渋沢で解散となった。
 ともかく若い人達には足の痛い、腹の減った集中であったことでしょう。


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