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山でしくじった話(滝つぼに落ちる)
長久 鶴雄

 40年も山を歩きますと「失敗した山」も「山で失敗したこと」も何と多いことか。前者は若い時に多く、後者は未だに後を絶たないでいる私です。失敗した山の御話しはさておいて、恥をさらすようですが『山でしくじったこと』を一つだけ、ザンケ致します。
 私は方々の山で落ちました。おちがつけばお話は終りだそうで....でも、山で滑落した瞬間のあの宙に浮いたような無気力感、そして残る恐怖心、何度も落ちると、オチがオヂケになるそうです。
 でもこの時だけは別でした。それは30数年も昔のことで、渋沢から長い夜道を歩き、勘七沢の出合で夜明かし、今の登山訓練所の辺りから勘七の沢に入りました。F1~F3と快適な遡行でやがてF4、牛小屋の滝です。天気は快晴ですが11月の朝8時、寒い日でもありました。滝の上段上部はややハング気味。垂直の壁の中央部下方にバンドがあり水は此処を左上方より一気に上段の釜まで10m程落下し、更に下段3mの滝となっていた。先ず左岸の大岩を登り釜のへりに立つ。釜の深さは2mくらい、右岸は取付点が逆層で駄目とみて、左岸の丸く張り出した岩をへづりその向うのルンゼに入り滝上に出ることとする。
 先ずM氏、続いてO氏、釜の中に足くびまで入れて水中のバンドを探ぐりながら、下方より岩を持ち上げる様にホールドしてへずり、落下する水を左肩までわずかに受け右肩よりルンゼの中に消えた。私の番だ。つま先でさぐる水中のスタンスは意外と小さく、M、O両氏より10cmくらい大きい私は丸い岩がおなかにぶつかり、ホールドは下の方だし、何んともバランスが良くない。長身がうらめしい。ヂリヂリあと30cm。M、O氏は既に滝上にあって見物中、「左手をもう少し下だ」「腹をひっこめてー」とか勝手にホザク。それが出来れば苦労はないよ。滝の飛洙がやたらと顔をたたく。面倒なり飛んじゃエー、と思った瞬間、アッ!とあの宙に浮く気分が来た。足元にスタンスは無かった。水族館の中みたい。上の方が明るいアブクの世界だ。水面に頭が出たとたんバタバタバタと滝の直撃だ、痛い、眼鏡が鼻の下までずりおち白いザックを浮袋にして焦点を決めかねる目付で見上げた私を、無情にもM、O氏は大声で笑って見ている。何がおかしい!こうなったらやけくそだ、これ以上濡っこない。中央のバンド下に泳ぎ着きバンドをまともに滝のウラを潜り抜けルンゼに入り、やっと滝上に立った。
 ザックを岩の上に投げつけると中から水がアザ笑う如くジャボジャボと音を立てて出る。M、O氏が焚き火してくれて衣類を乾かす。水はそんなに冷めたくなかったが11月の風は冷めたく、クラシックパンツ一枚でM氏の上衣を羽織りガタガタ震え乍らノートや地図を火にかざしている私の姿がおかしいとまたしても両氏は笑いやがる。もし肺炎にでもなったら、明後日の結婚式はどうなるんだい、と真剣に考えた。
 焚き火がいやに煙かった。その日はもう、私にとっては目茶目茶でした。生乾きの衣服が気持ち悪く、大棚もなにも皆んな捲いてしまい大倉尾根もほんとに馬鹿尾根だと思いました。その後あの焚き火の煙の臭いが長いこと山の衣服に残りました。そして今でも懐かしさのみが浮びあがって来ます。
 昭和17年明治節(文化の日)私の結婚式を二日後に控えて、悪友共の誘いに乗って丹沢に行きこの日の出来事。ホールド、スタンスは自分の体に合せて、というお話です。


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